「良い人と思われたい」そんな気持ちで、ついつい自分に神対応を求めてしまう人、いませんか? だけど、そうやって自分の「良い人でいたい」という理想を体現しているうちに、どうしても疲れてしまう……。
そんな人におすすめなのが、「神対応をしない」こと。だって、自分の大好きな“推し”がファンに神対応をしているのを見ると「そこまでしなくていいですよ」と思ってしまいませんか?
自分を“推し”にするという「セルフ推し活」を始めたイラストレーター・漫画家のワダシノブ氏は、自分に対しても「神対応を期待せず、塩対応でいい」と思うようになったとか。今回は、そんなワダ氏の著書『セルフ推し活BOOK 自分=推しとして過ごすアイデア36』(ワニブックス)より「推し(わたし)に神対応を期待しない」というテーマについてご紹介します。
推し(わたし)に神対応を期待しない
ついつい自分に対して、神対応を求めてしまうところがある。
神対応と言っても、ものすごく特別に良い人を演じているわけではない。ただ、普通に笑顔で感じ良く人と接したいが、そのハードルが高いのだ。良い人と思われたいから仕事でも範囲外までサービスしてしまったり、子どもの行事の準備も「良いお母さん」でいたいがために準備しすぎてしまったりする。この「良い人でいたい」という理想がしんどい。疲れている時は、神対応を維持することが難しい。
だからなのか、四六時中カメラに張り付かれ、本当に24時間365日、品行方正で天使のような姿を求められている推したちに感情移入してしまうことがある。プライベートでもファンと遭遇したら笑顔で握手しているし、コンサートで最高のパフォーマンスをした後も楽屋でにこにことSNSの生配信をしている。プライベートの時間が減ってしまうのに、会場に来られなかったファンのために時間を作ってくれて、それがわたしにとっては「神対応だなあ」と思っている。それと同時に、「早く休ませてあげたい」とも思う。
この「休ませてあげたい」という気持ちは自分にも持っていいはずなのに、周りへの対応を優先することをつい課してしまう。良い人と思われなくてはいけないと、呪いをかけるように思っているのかもしれない。
そもそも、「最低限の良い人」が大変すぎる。最低限のハードルの高さは、昭和の時代の「気配りができ、嫌なことでも笑って受け流せて当然」という基準を自分に求めているからだ。
子どもの頃から感情をあまり表に出さなかったため、普通に接しているつもりでも愛想が悪いと注意されていた。自分が思っている以上に笑顔を作らないと感じが悪いと受け取られる。「女の子は笑顔が大事」と言われ続けたことが自分の中に残っているから、良い印象を持ってもらうために、愛想や気配りが必要と思ってしまうのだろう。
今のわたしに必要なのは、愛嬌のない対応をすることに怖がらないこと。その場に合わせようとか、良い人に見られようとするのではなく、淡々と対応しても自分に許すこと。無理に笑顔を作らずに、嫌な時には嫌だと、疲れている時には「疲れている」とはっきり伝えられる態度を持つことだ。
推しの神対応はありがたいと思うけれど「そこまでしなくていいですよ」と思っているのだから、わたしに対しても「塩対応でいいんだよ」と、思いたい。いつも良い人であろうなんて、押し付けなくていいのだ。
ワダシノブ:広島県生まれ、イタリア在住のイラストレーター・漫画家。ステイホーム期間中に人生で初めて「推し」と出会った。イタリア人の夫、2人の子どもと暮らしている。

