5月22日に開業した東京スカイツリーには、汐留シオサイトや新宿のタカシマヤタイムズスクエアと共通点があります。この3つの場所に共通するもの……、それは貨物駅跡地であることです。昭和の時代、国鉄はもちろんのこと、東武鉄道や西武鉄道など大手私鉄でも貨物列車の運転があり、貨物駅には荷扱いのため貨車が留置されていました。

そんな貨物列車にとって、「花道」といえる貨物線がありました。山手線に沿って都心を南北に縦貫する山手貨物線です。当時は首都圏の物流の大動脈として、最盛期には上下合わせて200本以上の列車(1970年5月、東京南鉄営業部貨物課調製貨物列車ダイヤより)が設定されていて、山手線のホームや電車内から、頻繁に行き交う貨物列車を眺めることができました。

昭和の末期、鉄道貨物輸送が転換期を迎え、トラックへとシフトして列車本数が減少する中、まだまだデッキ付きの旧型電機が現役で貨物列車を牽引していた時代。晩年の山手貨物線の写真を紹介します。

田端~品川間を山手線に沿って走る山手貨物線。昭和の時代、東北・高崎線からの北の拠点だった大宮操車場、田端操車場と、東海道線からの南の拠点・新鶴見操車場を結び、新宿駅で中央線の貨物とも連絡し、首都圏と各方面を結んだ最重要路線でした。同路線では、巣鴨駅、池袋駅、新宿駅、渋谷駅、恵比寿駅、大崎駅で貨物取扱いがありました。

山手貨物線を走った、汐留発大宮操車場行「解結貨物列車」の仕事ぶりをご覧いただきましょう。解結貨物列車とは各駅に停車し、貨車の解放または連結を繰り返しながら走る貨物列車のことです。

始発駅の汐留駅にて、空の鮮魚専用冷蔵車2両を連結し出発。この冷蔵車は、東北地方から東京市場駅(築地市場)へ鮮魚を輸送した後、大宮操車場から他の列車に連結され返却されるものです。貨物列車の最初の停車駅は品川駅。牽引機のEF15は一度解放され、ひとつ目玉のDD13が大量の「ワラ」「ワム」の有蓋車を連結。おもに紙を輸送してきた貨車の返却のようです。品川駅では、現在の品川インターシティー付近と田町駅寄りに引込み線があり、貨物取扱いがありました。

恵比寿駅を出発すると、田端から東北貨物線経由で終点の大宮操車場へ。貨車を解放し、行先方面別に仕分けされ、次の列車、そのまた次の列車に連結されて終着地へ送られるのです。

1973年に武蔵野線が開業すると、「花道」の座を譲った山手貨物線は貨物列車の本数が激減。1986年に埼京線が乗り入れると旅客線化が進み、2001年には湘南新宿ラインが運転開始しました。ただし、現在も数本の貨物列車が運転され、日中にコンテナ列車が堂々と走る姿も見られます。

今回紹介した「鉄道懐古写真」

  撮影時期 撮影場所 写真の説明
写真1 1974年10月 目黒~恵比寿間 長者丸踏切付近をいくEF13
写真2 1976年5月 池袋駅 EF10牽引の貨物列車が池袋駅を通過する。奥に西武線のホーム
が見える
写真3 池袋駅に進入するEF13牽引の貨物列車。背景は西武線との間に
あった手小荷物扱所ホーム
写真4 1977年10月 原宿駅 103系と並んだEF15牽引のタンカートレイン
写真5 写真4の後追い。タンク車も古さを感じるスタイル
写真6 1975年7月 新宿駅 いまはなきトビ色のワム80000を連ねた中央線飯田町行
紙輸送列車。右奥は165系急行アルプス
写真7 1981年1月31日 浜松町駅付近 汐留駅を発車直後の様子。牽引機は高崎第二機関区のEF15165
写真8 品川駅 貨車を連結。品川駅の横須賀線下りホームより撮影
写真9 EF15を連結し発車待ち。右に新幹線0系、左奥に横須賀線
113系が見える
写真10 恵比寿駅 時間調整のため、恵比寿駅の側線に入線。最後部に冷蔵車が
見える
写真11 新大久保駅 新宿の高層ホテルをバックに終点をめざす
写真12 1970年5月に作成された貨物列車ダイヤ(1時間目)。午前0時から
3時までを見ても、ラッシュ時並みの列車密度だとわかる
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った