中日新聞電子版の2月1日付「高架化、6月下旬完了へ えち鉄、専用路線へ切り替え」によると、複数の関係者の話として、えちぜん鉄道の福井市中心部の高架化工事が進捗し、6月30日から使用開始する方向で調整しているという。

えちぜん鉄道勝山永平寺線は2015年9月から、福井~福井口間で仮線による営業運転を始めた。それまでの地上区間に高架橋を建設しているため、完成まで隣の北陸新幹線用の高架構造物を間借りして電車を運行している。当時から「ローカル私鉄が新幹線を走る」と話題になり、「乗り鉄」からも注目を集めた。今回報道された通りに高架化工事が進捗すれば、6月29日が間借り運転の最終運転日となるだろう。

「完成までずいぶん先だから」と思って、まだ乗っていなかった人は、そろそろ乗りに行く準備を始めたほうが良さそうだ。一時期は「平成30年夏」と報じられていたため、「今年の夏の青春18きっぷで行こう」と計画していた人も要注意。夏と行っても初夏だった。「青春18きっぷ」の発売前だ。

えちぜん鉄道の高架化工事は、福井県が実施する福井駅付近連続立体交差事業のひとつとして進められた。同事業はJR北陸本線とえちぜん鉄道勝山永平寺線・三国芦原線の一部を高架化し、鉄道線路によって分断された北西・南東方向の交通を円滑にする目的がある。工事がすべて完成すると、踏切5カ所がなくなり、高架下で新たに27本の道路がつながる。踏切がなくなれば、当然ながら踏切事故もなくなる。道路交通の円滑化だけでなく、鉄道の定時運行にも貢献する。

この立体交差事業の構想は1984(昭和59)年から始まった。北陸新幹線の福井駅延伸を視野に入れ、この機会に福井駅と駅周辺を整備しようという構想だった。1991(平成3)年に都市計画が決定し、翌年に事業認可が告示される。1995年に福井県と京福電気鉄道が仮線工事の協定を締結している。京福電鉄はえちぜん鉄道の前身となる会社だ。

京福電鉄が2000年に2度の衝突事故を起こして運行停止処分を受け、安全面の投資ができないという理由で廃止問題が起きた。結果として第三セクター鉄道のえちぜん鉄道が設立された。こうした経緯を振り返ると、立体交差計画や工事が、いかに長期に及ぶプロジェクトか思い知らされる。線路による分断で不便を感じた人々にとっては、待望の工事完成だ。

  • 福井駅立体交差化の手順略図(福井市の資料を参考に作成)

地上駅時代の北陸本線福井駅はホーム3面、線路は留置線を含めて7本あった。京福電鉄の地上駅はそこに並んでホーム1面、線路は留置線を含めて3本だった。高架化工事は北陸本線と京福電鉄(当時)の移設から始まった。京福電鉄の駅を南東に移設し、続いて北陸本線の駅も移設。このとき北陸本線はホーム2面、線路4本に減少している。

次に、北陸本線の地上駅跡地にホーム2面、線路4本の高架駅を作った。えちぜん鉄道の仮駅は動かさず、北陸本線の仮駅の跡地に北陸新幹線用の高架構造物が作られた。北陸新幹線の福井駅はホーム1面、線路2本の規模になる予定。ただし、新幹線の規格なので在来線より大きくゆったり作られている。

高架化工事を実施する場合は、列車の運行を止めないように、一時的に使うための仮線・仮駅も作る必要がある。えちぜん鉄道も高架化の段階になり、仮線・仮駅が必要になったけれど、「わざわざ新規に仮線や仮駅を作らなくても、開通前の北陸新幹線の線路を使えばいいじゃないか」となった。こうして「北陸新幹線の高架をえちぜん鉄道が走る」珍現象が始まった。

ちなみに、開業前の新幹線の高架線を私鉄の電車が走る例は、今回が初めてではない。過去には東海道新幹線と阪急京都本線の例もある。このときも理由は工事の進捗による仮線運行だった。東海道新幹線の建設に合わせ、並行する阪急京都本線も高架化工事を行った。東海道新幹線の高架線が完成した後、阪急京都本線がこれを利用し、仮線で営業運転を実施している。1963年だから55年も前の話だ。還暦以上の人々は覚えているかもしれない。筆者を含めて、ブルートレインやエル特急に憧れた世代は未経験だろう。次の機会があるとは限らないので、えちぜん鉄道の珍しい状況をぜひ体験しておきたい。

なお、福井駅周辺では、2016年3月に福井鉄道が駅前線を延伸し、JR福井駅西口広場に乗り入れた。同時期にえちぜん鉄道三国芦原線との相互直通運転も始まっている。さらに将来の構想として、福井鉄道の駅前線をさらに延伸し、環状鉄道として整備する構想もある。こちらは北陸新幹線の開業に間に合うだろうか。今後の動向に注目したい。