列車や駅を舞台とした映画はたくさんある。舞台演劇もきっとあるだろう。しかし、この作品は列車そのものが舞台であり、観客席である。役者も観客もひたちなか海浜鉄道の気動車に乗り、通常のダイヤで列車が走る。その車内で上演される演劇だ。乗客たちは列車の中で2組の男女に注目し、物語に溶け込んでいく。優しさとせつなさが車窓と同じ速度で流れ、心に響く。臨場感あふれる物語となる。終着駅で幕が下りるとき、列車が停まっても、心は感動で震え続けていた。

『ひたちなか海浜鉄道スリーナイン』公演パンフレット

『ひたちなか海浜鉄道スリーナイン』は、東京都墨田区を拠点に全国で活動する劇団「シアターキューブリック」が手がける演劇作品だ。同劇団は「まち れきし あそび!」をスローガンとし、各地で「歴史モノ、戦国エンターテインメントの舞台」を繰り広げる。

その活動のひとつに「ローカル鉄道演劇」がある。作品名は『○○鉄道スリーナイン』となっていて、「○○」には上演する鉄道名が入る。物語はもちろん、その鉄道の沿線風景や、地元なら誰でも知っている物事を織り込む。小道具に沿線の商店のお菓子があったりして、登場人物が生まれたときからの住人のようにも感じられる。「スリーナイン」は「鉄道を舞台としたファンタジー」として、銀河鉄道を舞台としたあの作品をリスペクトしたものだろう。

ローカル鉄道演劇のシリーズ初舞台は2004年の『エノデン・スリーナイン』だ。ただし江ノ電ではなく、東京・中野の小劇場で上演された。そのとき、劇団は思いついてしまった。「本物の列車の中でやりたい」と。列車そのものを舞台にして、役者も観客も列車で移動する。そんな舞台は作れないか。

その願いは2007年の『銚電(銚子電鉄)スリーナイン』でかなえられ、好評だったため、翌年に『銚電スリーナイン ~さようなら、イワシ号~』を上演した。2014年は『樽見鉄道スリーナイン』、2015年は『ことでん(高松琴平電気鉄道)スリーナイン』と『ひたちなか海浜鉄道スリーナイン』の2本を手がけた。

私が観劇し、今回紹介する舞台(列車)は、2015年11月に上演された『ひたちなか海浜鉄道スリーナイン』だ。当連載では異例の舞台演劇紹介となる。これまでは映画や小説をおもに紹介してきた。その理由は、小説なら書店や図書館で、映画は配信やレンタルビデオで読者も体験できるから。

舞台演劇は公演が終わるとそれっきりだ。紹介した甲斐がない。だが『ひたちなか海浜鉄道スリーナイン』は、昨年の公演が好評だったため、3月26・27日と4月2・3日に再演が決まった。劇場はもちろん、茨城県のひたちなか海浜鉄道である。作・演出の緑川憲仁氏によると、物語はほぼ同じだが、前作の季節は秋、今作は春の公演となるため、季節に合わせた衣装になるなど、少し変更があるかもしれないという。

前作を見逃した人にはチャンスだし、前作を観た人も、物語の結末を知っていると、冒頭の登場人物の気持ちが理解できるから、新たな感動を得られそうだ。

始発駅から佇む少女、故郷へ帰った男

ひたちなか海浜鉄道湊線。かつて茨城交通湊線といった。主人公の勝太は茨城交通時代に務めていた。久しぶりに故郷に帰り、懐かしく思いつつディーゼルカーに乗り込む。そこには、すでに少女が座り、地元の名物の干し芋を食べている。やがて他の乗客も乗り込み、座席がすべて埋まった。車掌がきっぷを確認する。

勝太のきっぷはやや大きい。それを見た車掌は「あなたはカツヒコです。この列車内では」と告げる。勝太は承知する。彼には正体を隠す理由があるようだ。干し芋の少女・美波はそのやりとりの後、車掌に同じきっぷを見せようとする。しかし車掌は見ようとしない。そして、すべての乗客に告げた。

「この列車は、途中の停車駅で異なる次元と交わることがあります。お気を付けください……」

列車が走り出す。途中の駅でひとりの女・遙佳が乗ってきた。遙佳はカツヒコを凝視する。勝太も遙佳の視線に気づく。束の間、見つめ合うふたり。カツヒコは言い訳をするように、「僕は"初めて"この鉄道に乗りました」と挨拶する。遙佳は「すみません、知り合いに似ていたもので」と返した。

遙佳はカツヒコに沿線の風景を紹介する。カツヒコと遙佳の会話が弾む。その様子を心配そうにうかがう美波。そこに遙佳の知り合いという若い男が乗ってくる。列車の動きに合わせるように、男女4人の心も揺れ動く……。

通常の列車に舞台を「増結」。列車ダイヤ通りに進行する物語

舞台となる列車は特別なダイヤではない。定期運行の列車に、舞台専用の車両を増結する。だから運行時間は実際のダイヤ通りだ。終点の阿字ヶ浦駅まで約30分。往路を前半、復路を後半として物語が進行する。

往路と復路の間、つまり「幕間」が約2時間あって、観客たちには任意で観光を兼ねた「まちあるきツアー(有料)」に参加できる。このツアーは、阿字ヶ浦駅で降りた登場人物たちを探しにいくという趣向で、台詞に登場する風景や店などを巡る。参加すると物語の世界をもっと楽しめる。

まち歩きツアーで登場人物の思い出の地を巡る。一部は台詞に登場するため、物語を深く理解できる

劇場の舞台には上手・下手(かみて・しもて)があり、役者たちが場面に合わせて入れ替わる。舞台の裏手を通り、次の登場位置を変える演出もできる。しかし列車は密室。そこで役者たちは駅を使って場面を変える。途中から乗ってきたり、途中で降りたりする。『樽見鉄道スリーナイン』では、トンネル内で照明を落とし、場面を転換するという演出もあったという。

ひたちなか海浜鉄道はトンネルがないから奇抜な演出はない。それでも役者たちは場面に合わせて乗ったり降りたりする。その動きは本誌連載「列車ダイヤを楽しもう」の第69回「ひたちなか海浜鉄道『箱ダイヤ』で描く鉄道演劇の舞台裏」で紹介済みだ。

列車は分刻みのスケジュールで動く。演劇だからといって特別扱いはされない。したがって、物語も分刻みで「設計」されている。台詞や小道具も含め、鉄道と沿線を調べ上げないと成立しない。演技が大きくなったりアドリブを入れたりして、「時間が押して……」など許されない。演出家も役者たちも緊張しているだろう。

観客はそんな心配をよそに物語に没入できる。ただし、普段の観劇のように役者たちの表情を凝視していいものか、少し悩むだろう。鉄道で旅していると、他の客の会話が聞こえることがある。それは学生の恋の悩みだったり、年寄りの病気の不安だったりする。そこにはそれぞれのリアルなドラマがあるけれど、乗り合わせた客は関与できない。聞き耳を立てるだけだ。列車内の演劇もそんな感覚に陥る。

乗客のふりをしたほうがいいのか、観客としてじっくり見つめていいものか。なにしろ役者と観客が近いから、大きな舞台の演劇よりも迫力がある。観客が舞台の中にいるような感覚だ。360度の視界、音声、列車の揺れ。最近流行の4D上映の映画よりも臨場感がある。

私が観劇したとき、ちょうどラストシーンで雨が降った。車窓の向こう、救急車のパトライトがにじんだ。それはまったく偶然だけど、登場人物の後ろ姿に哀愁が増したようで、感極まった。車窓はいつも変わる。同じシナリオでも感動が異なる。劇場とは違う。それが鉄道演劇の面白さといえそうだ。

列車内の演劇上演はシアターキューブリックだけではなく、他の劇団も試みている。それぞれ秋田内陸縦貫鉄道や北九州モノレールで公演されたようだ。現在は『ひたちなか海浜鉄道スリーナイン』の再演が決まっているのみ。今後、あなたの近くの鉄道でも公演されるかもしれない。そのときは劇場とは異なる列車内の感動を、ぜひ体験してほしい。

ローカル鉄道演劇『ひたちなか海浜鉄道スリーナイン』に登場する鉄道風景

ひたちなか海浜鉄道 ひたちなか海浜鉄道の勝田駅は茨城県にあり、JR東日本の常磐線勝田駅に接続している。旅客駅としての開業は、ひたちなか海浜鉄道の前身である茨城交通のほうが早かった。その由来から、現在もひたちなか海浜鉄道が1番のりばになっている
勝田駅 ひたちなか海浜鉄道湊線の起点。物語の始まりの駅、物語の終わりの駅
阿字ヶ浦駅 ひたちなか海浜鉄道湊線の終点。物語の幕間の時間となる
3710形気動車 物語の舞台となる車両。ロングシートに観客も役者も座る。観客席は自由席。ただし観客用の印のある席に座る