労働施策総合推進法の改正によって、パワーハラスメント(以下、パワハラ)の防止対策が法制化され、大企業は2020年6月から、中小企業は2022年4月から、パワハラ防止の措置が義務化された。同時に男女雇用機会均等法と育児・介護休業法も改正され、セクシャルハラスメント(セクハラ)及び妊娠・出産等マタニティに関するハラスメント(マタハラ)防止も強化された。
パワハラ防止は経営者の務め
各企業には、貴重な人材の採用・定着・育成のためにも、ハラスメントが起きにくい組織風土創りが求められる。しかし、多くの経営者や管理職層は悪気がないにも関わらず、ハラスメント・リスクを冒しがちだ。働く人たちの意識も高まってきており、対応を怠れば深刻な経営リスクになりかねない。またハラスメント・リスクを恐れて部下とのコミュニケーションが希薄になる職場も増えつつある。
そこで、本稿では、経営者や管理職層に向けて、「ハラスメントが起きにくい職場を創る」上司の心得を解説していく。パワハラ防止が重視される背景と、これを前向きにとらえ人材育成へと転じる視点を解説しよう
コロナ禍&パワハラ防止法でパワハラが増える?
厚生労働省の「令和元年度個別労働紛争解決制度の施行状況」(2020年7月)によると、民事上の個別労働紛争に関わる相談では「いじめ・嫌がらせ」が年々増加。2019年度は8万7,000件に及び、8年連続で相談割合トップとのことだ。
またコロナ禍の下、リモートワークの常態化でリモハラ(上司から部下への、遠隔での一方的な指示・命令・叱責や監視強化などに伴うハラスメント)の発生も指摘され、パワハラ・リスクは増大する一方だ。その点では、パワハラ防止法施行は時宜を得たものと言えよう。
しかし、そこで懸念されるのが、企業・団体でのパワハラ防止対策による想定外の影響だ。多くの組織が現場に法律順守を呼びかけ、防止対策の周知徹底を図っているが、その大半は「○○は禁止、○○の言動に注意」などの「ダメ出し」のオンパレード。パワハラ「防止」なので無理もないが、加害者になりやすい上司はどうしても「触らぬ神に祟りなし」と、部下への働きかけを避け、コミュニケーションの機会を減らしがちだ。
ところが、厚生労働省がパワハラの発生しやすい職場の特徴を調べたところ、「上司と部下のコミュニケーションが少ない職場」が約5割で最多だったのだ(図参照)。ただでさえ、コロナ禍で職場のコミュニケーションが希薄化しがちな上に、パワハラ防止の法律順守徹底により上司と部下の関わりがさらに減れば、かえってパワハラの温床を増やすというパラドックスに陥ってしまうのだ。
パワハラと働きがいは負の相関
また、リクルートワークス研究所の調査によると、職場でハラスメントを受けた人は、受けなかった人に比べて、幸福感、生活満足感、仕事満足感のいずれにおいても低い傾向が顕著だ(図参照)。想像に難くない結果だが、職場のハラスメントと働く人の幸せや働きがいとは負の相関にあるのだ。
これからのニューノーマル時代の企業経営を左右するのは、社員エンゲージメント(会社への愛着、紐帯)を強める現場の人材育成力と「働きがい」。その実現には、「ハラスメントがない職場」が大前提となる。ハラスメントには、セクハラやマタハラなどもあるが、最も深刻なのは、やはりパワハラである。人が育つ現場づくりへの道のりは、パワハラ根絶を避けては通れない。
では、どうすればパワハラを無くすことができるのだろうか。
対立する上司と部下の「正義」
パワハラを根絶する上で難しいのは、何がパワハラかが必ずしも判然としないことだ。法律によるパワハラの三要件は、上司の部下に対する「優越的な関係を背景とした」「業務上必要かつ相当な範囲を超えた」「労働者の就業環境が害される」言動だとされるが、いかがだろうか。厚生労働省の指針や資料には、主な言動の類型や例が示されてはいるが、明らかな暴力や暴言を除けば、パワハラか否かの線引きの基準は明瞭とは言えない。
上司にとっては日常の声掛けや、良かれと思った行動でも、部下がこの三要件に当てはまると感じれば、訴えられる可能性もある。愛情をもって育てようと熱心に接したつもりが、パワハラと指摘されてはたまらない。そう考える上司が、部下とのコミュニケーションを回避したい気持ちも理解できる。悩ましいのは、「上司の正義」と「部下の正義」が対立する事態だ。
人は一人ひとり違う価値観や感性を持つ生きものであり、環境や状況によっても変わる。百人百様同士のコミュニケーションの問題を法律で細かくすべて規定することは不可能に近く、万一規定できたとしても全ての人がそれを暗記するのは現実的ではない。つまり、法整備だけでパワハラの根絶は困難なのだ。
上司のアンコンシャス・バイアスがハラスメントの温床になる
多くの企業で人材育成を支援する中で感じるのは、上司側にアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見、固定観念)が強い場合や、上司と部下とのコミュニケーションが希薄な職場で、ハラスメントが生じやすいことだ。上司の「仕事には多少の困難や不条理はつきものだ」、「部下は上司の指示命令に従うべきだ」といった固定観念が強い場合は、要注意。上司の思い込みで一方的に評価したり、叱責したりしがちで、部下を傷つける言葉を発してしまう可能性が高いからだ。
異性の部下に対しても、良かれと思ったコミュニケーションが、相手に不快な思いをさせる場合もある。若い世代ほど、不条理なことを我慢し強要されることはおかしいという意識に変わってきている。まず、相手への理解に努めることが大切だ。
傾聴の姿勢を欠かさない
上司がいつも忙しそうにしていたり、不機嫌そうにしたりしていれば、部下は上司に話しかけにくいものだ。また、ハラスメントのリスクを恐れて、部下とのコミュニケーションを避けてしまっては逆効果になる。職場でお互いに気持ちよく仕事ができる環境をつくるためには、上司からコミュニケーションしやすい環境をつくることだ。ハラスメントを予防する職場づくりのために、次の二点を提案する。
第一は、上司が部下に対する傾聴の姿勢と方法を身につけることだ。
ミーティングや面談で沈黙に耐えられず、自分から発言し指示しがちな上司も多いだろう。しかし、沈黙を受けいれることも大切なコミュニケーション・スキルの一つ。部下の意見や気持ちを丁寧に聴き、ありのままに共感的に受け止めるのだ。そして、部下がなぜそうした考えや気持ちを持っているのか、正確に理解するように努めよう。そのうえで、相談やアドバイスをすることが望ましい。
双方向のコミュニケーションを進める
第二は、双方向のコミュニケーションを心がけることだ。
厳しい経営のなか、これまで以上の高い業績目標を掲げる必要があるとする。あるいは、本部など上層部から非常に高い目標を指示されたとしよう。ありがちなのは、組織命令なのでやむなしとし、そのまま部下に割り振るトップダウンだ。しかし、現場の部下の実状に配慮せず目標を強いることは、「過大な仕事の要求」となるリスクがある。まず、現状の仕事の負担感をよく聴く必要があるのだ。
また、お客様のニーズに接し、仕事の改善や創意工夫ができるのも現場の部下たちである。そこで、お客様の要望に応えながら、よりよい仕事をするためにはどうすべきか、部下と一緒に知恵を絞るのだ。そして、経営上有効な情報に整理して目標を再設定、あるいは上層部に調整を上申しよう。これは現場と経営を繫ぐ不可欠なコミュニケーションであり、管理者の重要な仕事だ。
傾聴の姿勢と双方向のコミュニケーションを重視する上司の姿勢が、ハラスメントを予防する職場環境をつくり、よりよい仕事の創造にもつながるのだ。