春は入学や卒業、そして入社、異動と人が移動をする季節。環境が変わると、疲れって出やすいものだよね……。そういう時は、リフレッシュが必要だ。鉄道の旅なんて最高。駅弁も食べながら、元気回復。ということで、ワークホリックの私も、いきなり旅に出ちゃったわけで。目指すは日本海。海に向かって叫びたくなってきたからである。そういえば、兵庫と鳥取の間にある余部(あまるべ)鉄橋の工事はもう始まったのろうか。今回は、それを確かめる旅ということになった。

ローカル列車を乗り継ぐ山陰本線の旅

思い立ったのが4月5日土曜日の朝。でも、この日も夜遅くまで仕事で、動けるのは夜22時から。兵庫県香美町の余部鉄橋(正式名: 余部橋りょう)は、山陰本線の餘部駅付近にあり、日本海に面している。橋の名前は余部で、駅の名前は餘部なのである。

東京から行くのはなかなか大変。以前だったら、山陰本線を通る寝台特急「出雲」を使えば楽だったが、2年前の2006年に廃止。現在の寝台特急「サンライズ出雲」では、山陽本線・伯備線経由に変更になったため、直通では行けない。時刻表を見てみると、寝台特急「サンライズ出雲」を利用する場合、兵庫県の上郡駅で5時49分下車、6時3分の「スーパーいなば91」号に乗り継いで、鳥取着7時22分。そして、山陰本線を上る方法がとれるが、鳥取からは朝の便があまりよくない。浜坂行きディーゼルで鳥取8時9分に発車して、浜坂着が8時55分。そして浜坂10時22分発のディーゼルに乗って餘部には10時36分着。寝台特急を使ってお金がかかるわりには、時間がかかる。

そこで、深夜バスを使うとする。現地に着くのはちょっと遅くなってもいいので、節約することにした。餘部に行くための東京からの深夜バスは、鳥取行きと京都府の福知山行きの2つがあるが、インターネットで調べるとすでに鳥取行きは満席。そこで、福知山行きを利用することに。電話で予約して、京急高速バス座席センターで現金で支払うと1万900円也。安いなぁ~。これじゃ、寝台がなくなるわけだ。

安さでいくなら、夜行バス(福知山駅にて)

浜松町バスセンターを22時35分に出発し、福知山駅に着いたのは翌朝の6時35分。日曜日早朝ということで、高架になっている福知山駅に人はまばら。ホームでは、「たんば」号(183系、京都 - 福知山)や「北近畿」号(183系、新大阪 - 城崎温泉)の姿を見ることができる。

福知山駅は幹線駅。隣のホームに特急「北近畿」がやってくる

さて、私は7時3分発豊岡行き2両編成の電車に乗った。山陰本線は城崎温泉まで、電化が行われている。車内は日曜日の朝ということもあって空いており、田園風景の中を電車は走っていく。7時36分に和田山着。ここは播丹線と接続している。びっくりしたのは、進行方向右側にレンガ造りの機関庫があったこと。機関庫の入口は閉められているので、倉庫として使われているようだ。この機関庫は明治45年に造られたのだそう。

私が乗った豊岡行き2両編成の鈍行。クリーム色が基調

列車の内部。ボックスシートは旅情をかきたてる

和田山駅にて。レンガ造りの機関庫が!

7時38分に和田山を出発し、49分に八鹿(ようか)着。ここで特急「はまかぜ」と待ち合わせ。古びた跨線橋を見ながら、ボーッしていると、部活にいくのだろうか高校生が乗ってきた。高校生たちは隣の江原(えばら)で降り、また車内は静かになった。

山陰本線は単線。そのため、八鹿駅で上りの特急「はまかぜ」と待ち合わせ

昔、海上交通で賑わっていた円山川沿いをキハは走っていく

豊岡には8時19分着。ここからはディーゼルエンジンで動く気動車に乗り換え。乗ったのは、8時47分豊岡発キハ47系。キハは水量豊かな川に沿って走っていく。この川が円山川で、鉄道が開通する前は海上交通で賑わっていたと言われているが、今もなお、川を船が行き交う。志賀直哉の小説で有名な城崎温泉を過ぎ、香住(かすみ)には、9時33分に到着。ここで、しばらく時間つぶし。餘部に行くには、10時47分発の浜坂行きを待たなければいけない。香住駅周辺を散策するとしよう。

香住駅は、カニと海水浴で有名な観光の駅。駅を出て海岸方面に歩くと、黒い瓦の屋根の住宅が多く見え、印象的だ。駅から歩くとすぐに、NHK香住局のアンテナが目に入るが、4、5分で海岸に着く。オフシーズンということで、海岸には人気がない。砂浜というよりは、波に揉まれて丸くなった小石の海岸という感じ。平べったい小石をいくつか拾い、アンダースローでひとり水切りを楽しむ。ポン、ポン、ポンと石は水面を飛び跳ねていく。

香住駅付近の海岸。オフシーズンは静かです。1人、黙々と水切りをする

さあ、余部鉄橋に行こう!

さて、10時45分に香住駅に戻ると、すでに浜坂駅行きの気動車は到着していた。ドアを開けて中に入ると、カメラを手にした人々があちらこちらに。そう鉄ちゃんである。私は知らなかったのだが、この日(4月6日)を最後に、余部鉄橋のベスト撮影ポジションである「お立ち台(展望台)」が閉鎖されることになっていたのだ。香住の次が鎧、そして次の駅が餘部。餘部には10時58分に到着。

さあ、餘部に向けて出発。キハ47系の赤い車両で心も弾む!

余部鉄橋は、鎧と餘部との間にあるというより、余部鉄橋の端が餘部駅といってもいいくらい。ドアが開くと、鉄っちゃんたちはホームを小走り。ちょうど、鉄橋の前には大きな桜の木があり、満開の桜の花が気分を高揚させる。

餘部駅ホームのすぐ先が余部鉄橋

この余部鉄橋は、明治42年(1909)に着工し、明治45年(1912年)に開通したトレッスル橋。高さは41mもあり、橋脚の数は11基。日本海が目の前にあり、絶景である。その姿を楽しみながら、私もウキウキし始めた(……次回につづく)。

動画
余部鉄橋上をキハがやってきます!