「夢の超特急」に乗って新神戸へ

またまた出張である。この連載では続けさまに寝台を紹介してきたが、「たまには朝の新幹線を使うのもいいかな」と思って「のぞみ」に乗った。なんだかんだで40年間も新幹線にはお世話になっている。そういえば、40年近く前、横浜育ちの私は熱海に行くためにわざわざ東京駅から新幹線「こだま」に乗ったのを覚えている。「ゆめのちょうとっきゅう」という絵本を抱いてだ。おまけに、車内で「ちょうとっきゅう」の唄を歌って乗客に笑われた。歌う鉄っちゃん。なんてね。

新幹線に乗る楽しみの1つが車窓からの風景。この日は富士山がくっきりと見えた。富士川と富士山

なぜ昔のことを思い出したかというと、新幹線の「NOZOMI superexpress……」という社内アナウンス。「"superexpress=超特急"だよな」ということで、「ちょうとっきゅう」の歌をふと思い出したわけだ。話がいきなりそれてしまったが、新横浜から新神戸までは「のぞみ」で2時間31分かかる。新神戸駅は六甲山系の中腹にある瀟洒な高架駅で、六甲トンネルと神戸トンネルの間にはさまっている。新神戸駅は新大阪駅から約37km、これはおおよそ東京駅から横浜駅まで、あるいは新宿駅から八王子駅という距離だ。

新神戸駅は六甲山系の中腹にある

新神戸で「のぞみ」を降りてボーッとしていたら、「こだま633号」広島行きがホームに入線してきた。銀色に緑の帯がはいった100系(新幹線2世代目: 1985~1992年生産)だ。山陽新幹線ならではである緑の帯の「こだま」。新神戸駅がJR西日本のテリトリーであることを強く意識させる。

写真上は新神戸駅の100系「こだま」。写真右は新神戸駅構内にある風見鶏時計

『神戸ハイカラ案内 雑貨とカフェとスーベニール』

神戸に急遽行くことになったのは、毎日コミュニケーションズ刊行の『神戸ハイカラ案内 雑貨とカフェとスーベニール』(神戸の雑貨、カフェ、お土産をフィーチャーした本。ただし、同書では異人館自体については触れていない)という書籍のお仕事。2月の連休中に、掲載する地図のチェックに借り出されて神戸に来たわけだ。地図のゲラを片手に、しらみつぶしに神戸の町をひたすら歩きつづけたぜ、17時間!! 足はマメだらけになりました。おかげさまで、書籍の売行きは好調! でももっと盛り上げるために読者の皆様、頼みますから買ってください。お願いします。

新神戸駅を出て、隣接する「新神戸オリエンタルシティ」を抜けて右手に曲がり、少々歩くと異人館が集まった地域がある。いわゆる「北野異人館」と称されるこの地域には、重要文化財の「風見鶏の館」や「萌黄の館」、登録有形文化財の「うろこの家」をはじめとする異人館が十数棟残っている。

もともとは外国人向けの高級借家だった「うろこの家」

「ベンの家」(明治35<1902>年建築)。中に入るといたるところに動物の剥製が! 夢に出てきそうだ……

このあたりは観光客でにぎわうのだが、私は遊びに来たわけではない。仕事なのだ。まずは、念入りにゲラの地図のチェックを行う。地図のチェックというものは、実際に歩いてみて間違いを発見することが多い。「お! オランダ坂と石畳は一直線につながっていないよ。地図修正依頼しなくちゃ」。さらに、本編で触れられている「うろこの家 ギフトショップ」の位置も確認する。ちなみに、一番奥にある「展望塔の館」は震災で壊れたまま。現在も入ることはできないそうだ。

トアロード沿いは、オシャレな雑貨屋、洋服屋、カフェなどが

その後、異人館を離れるように北野坂を三宮方面に下り、山本通り(通称・異人館通り)を西に行く。山本通り沿いにもまた、シュウエケ邸をはじめとする歴史ある異人館が残っている。このあたりには、俳人・西東三鬼が住んでいた洋館、通称「三鬼館」があったそうだ。そうそう、山本通り沿いにある「セ・エム・アッシュ」というおいしいパン屋さんでパンを買い、味を確かめるのも今回の任務だった。「どうして神戸のパンは、こんなにもおいしいのだろう」と感心しながら、トアロードを海側に下っていく。

シュウエケ邸(明治29<1896>年建築)。山本通には公開・非公開の様々な異人館が残されている

「トアホテル」(大正時代の絵葉書より)。トアロードの山側の突き当たりあたりにあり、明治41(1908)年に建築された。トアロードの名前の起源ともいわれる

明治時代のトアロードと現在のトアロード。明治時代は「三ノ宮筋道」と呼ばれていた

横浜写真と彩色絵葉書

ところで、小生は明治時代の「横浜写真」を秘かに集めている。ちなみに「横浜写真」とは、神奈川・横浜で輸出用のお土産としてつくられていた手彩色の写真のこと(明治20~30年代が中心)。実は神戸の町もよく写されている。また、明治後期から大正にかけて、写真絵葉書に彩色したものも広く海外に輸出されていた。これらを今回と次回で紹介しながら、昔と今の神戸を猫街散歩してみよう。

写真左は明治中期の神戸の街(彩色写真)。諏訪山から東方向を見た様子で、異人館が並ぶ様子がわかる。平成の今、ちょっと方向は違うが同じ諏訪山から見てみると……(写真右)

先ほどから「猫街」といっているのだが、「一体、何!? 」とそろそろ気になってきた方もいらっしゃると思う。だいたいタイトルにもついてるし。ということで疑問にこたえると、猫街とは一種の幻影である。いや、幻影というよりは、桃源郷というべきか。日常の中に外来者には見えないひとつの桃源郷がある。それが猫街なのである。この連載は鉄道を使いながら、猫街を訪ねて彷徨うというのがテーマ。ある時は、それが寝台車のベッドの中にあったり、寂れたトンネルの中にあったり……。そして、神戸のように本当の猫がお散歩しているところであったり……。まだまだ、私の猫街彷徨はつづくのであった。

神戸にはネコが多い