最近の若者が使う言葉に、「ありえねえ」というものがある。「マジありえねえ」とか。カノジョがデートに遅れてきて「ありえねぇ」。カレシの誕生日プレゼントがチープすぎるといっては、「マジありえないっつうの!」。

数学的に考察して、ありえないとは、確率ゼロのことである。絶対に起こりえない、ことである。まあ言うならば太陽が西から上るとか、海水が一瞬にして淡水になるとか、ある日突然、10人もの女の子がキミに「付き合ってください」と告白するような可能性のことである。

一方、ありえないに似た言葉で、しかしある意味、まったく正反対の言葉に「ありがたい」がある。「ありえない」は確率的にはゼロ。しかし「ありがたい」は、確かに確率的にゼロに近いことは間違いないものの、しかし現実に起こる可能性がある、ということだ。確かに2分の2、3分の1、10分の1……ほど高い確率ではないけれど、どんなに分母が大きくても分子はゼロではない。1、つまり可能性として起こり得る、というわけだ。

言うまでもなく、感謝の気持ちを表す「ありがとう」が、この「ありがたい」を語源にしていることは間違いない。語源だけでなく、言葉の奥底にはその精神も脈々と流れている。その意味では、「あなたに感謝します」という英語のThank youとは、根本的に違うのだ。

そんなことはどうでもいいけど、恋愛とはこの「ありえない」と「ありがたい」の関係によく似ていると思うのは、はたしてボクだけであろうか? そもそもモテる、モテないの違いなんて、カノジョもしくはカレシがひとりいるかいないかだけの差だし、せいぜいモテるといったところで、カレシやカノジョに隠れてせいぜい二股か三股、四股くらいが関の山だろう。

しかしながら「ありえない」と「ありがたい」には、その間には深くて暗い川がある。コチラ側と向こう岸では、天と地ほどの差があるのも事実であろう。しかしながらその差は、ただ単にカノジョ、カレシがいるかいないかだけの差でしかないのに。

毎朝、同じ電車に乗る気になる女の子がいたとしよう。その子を口説くかどうかは勇気の有無にかかるだろうが、しかしそれをナンパと取るか、純愛の告白ととるかは、女の子の気分と、そのときにカレシがいるかどうかで決まるものだ。仮にその気になる女の子の後をつけ、住んでいる場所を特定する行為がストーカーに映るか、勇気ある愛の行動に映るかも女の子の置かれた状況次第である。

ついでにいえば女の子には、確実に魔が差す瞬間があって、別の表現を使えばそれが「恋に落ちる瞬間」でもある。なんとなくではあるが、この瞬間は年に4回、季節がわりことに訪れるような気がする。これに失恋というタイミングも加われば、そうそう確率的に低いものではなかろう。つまりキミにも十分にチャンスがある、ということだ。

繰り返すが「ありえない」と「ありがたい」の違いは、それほど大きな差ではない。その現象が現実に起きるかどうかだけの差である。キミの勇気ある告白が、「ありえない」と拒否されるか、「ありがたい」と受け取ってもらえるかの差であろう。

ただ、こと恋愛において「ありがたい」は、「ありえない」の先にあることも覚えておいてほしい。ヘタな鉄砲数撃ちゃ当たるは、ある意味真理であり、「ありえない」に近い確率だが、しかし実際に起こる可能性もある「ありがたい」のためには、分母の数、すなわち挑戦する数……それは失敗する数にも比例するのだが……を増やす以外に方法はない。宝くじを当てたかったら、買う以外に方法がないのと同じ理屈だ。

口説いて口説いて口説きまくって、それでもカノジョができない場合はどうするかって? そんな際にキミに求められるのは、そんな人生も「ありがたい」と思える達観か、「ありえねえ」と吐き捨てる蛮勇であろう。案外、そのふたつを身につければ、モテる男になるのもまた真理ではあるのだが……。

本文: 大羽賢二
イラスト: 田渕正敏