上野の国立西洋美術館は、もちろん絵画を鑑賞する場所ですが、建物そのものもル・コルビュジエ設計による日本唯一の貴重な建築物。現在、ル・コルビュジエの建築が残る国々が集まって、世界遺産への登録を目指しており、国立西洋美術館も世界遺産に指定されるかもしれません。同美術館では、ボランティアスタッフによる「建築ツアー」が行われていて、なかなかの人気だとか。「建築」をテーマに美術館を鑑賞してみました。

国立西洋美術館の正面。シンプルな佇まいは、ル・コルビュジエならではだ

ル・コルビュジエ独特の「モデュロール」

「建築ツアー」が行われるのは、美術館が開館している第2・第4日曜日の午後3時から(詳細はHP参照)。通常はボランティアスタッフの方が案内しますが、今回は主任研究員の方とツアーと同じコースをまわり解説してもらいました。

まずは前庭へ。入口の門から入ってくると、ついついそのまま素通りしてしまいますが、ここにもル・コルビュジエならではの特徴が見られます。最も典型的なのは「モデュロール」。これはル・コルビュジエが考えたもので、人体のサイズと黄金比により定めた設計に使う基本寸法のこと。基本寸法(モデュール)と黄金比(ノンブル・ドール)を合わせた造語です。

詳しくは、ぜひル・コルビュジエ関連の書籍を読んでいただきたいのですが、例えば身長183cmというのがひとつの基本となっていて、しばしばこのサイズが建築の随所に登場します。美術館の外壁にも、さっそくその特徴が……。外壁を構成しているのは3種類のパネル。幅はいずれも53cmですが、上から高さが140cm、183cm、183cm、226cmとなっています。

そして、足元に目を移すと、同じようなデザインが広がっています。これは実際に建設を担当した日本の弟子たちが行ったとのことですが、ル・コルビュジエの精神はしっかりと反映されているわけです。さらに、美術館の前の東京文化会館は、日本人の弟子だった前川國男が設計しており、その窓枠にもモデュロールの影響が見られます。

外壁にも、ル・コルビュジエの建築理念がしっかりと反映されている

前庭のコンクリートも、ル・コルビュジエ風の趣。「建築ツアー」でなければ、なかなか気づきそうにない

向かいにある東京文化会館の窓もよく見ると「モデュロール」の影響が。建物の高さや雰囲気も、美術館に合わせているようだ

ル・コルビュジエが設計したわけは?

ところで、するすると建築の話を進めてきましたが、「そもそも、ル・コルビュジエって?」と疑問の方もいらっしゃるはず。建築家であることを知っている人も多いと思いますが、「なぜ彼が国立西洋美術館を設計したのか、よくわからない」という人もいるでしょう。

では、まず簡単にその生涯から。のちのル・コルビュジエこと、シャルル・エドゥアール・ジャンヌレは、1887(明治20)年、スイスに生まれ、13歳のとき美術学校に入学、18歳で建築家を志します。その後、建築家としての修業を積み、33歳からル・コルビュジエと名乗るようになりました。このいわばペンネームは、母方の祖先の人物名に由来するようです。

国立西洋美術館設計を依頼されたル・コルビュジエが来日したのは、1955(昭和30)年、68歳のときのこと。上野の視察のほか、京都などにも足を延ばし、8日間の滞在で精力的に活動しました。そうして基本設計を作り上げたわけですが、実際に建設に関わったのは前述した前川國男ら日本人の弟子たちでした。

で。なぜ、ル・コルビュジエだったのか? それは、そもそも国立西洋美術館が建設されることになった経緯に関係しているようです。この美術館がつくられたのは、「松方コレクション」を展示・収蔵するためでした。川崎造船社長だった松方幸次郎(父は首相にもなった松方正義)は、西洋絵画を数多く収集しており、パリにもコレクションの一部がありましたが、第2次世界大戦後、それらはフランス政府の管理下に置かれます。日仏両国の協議により、「寄贈」のかたちで370点あまりが日本に戻されることとなりましたが、美術館の新設がフランス側から求められていました。そこで国立西洋美術館がつくられることになったのです。

その美術館の設計を誰に依頼するか、さまざまな議論がありました。当然、日本人が担当すべきだとの声もあったようですが、結局、フランスを中心に活躍していた巨匠ル・コルビュジエ(43歳のときフランス国籍を取得)に決定します。国立西洋美術館がオープンしたのは、1959(昭和34)年6月のことでした。

ル・コルビュジエ。その影響力は今も衰えていない。写真提供 : 国立西洋美術館

開館当時の国立西洋美術館を空撮したもの。写真提供 : 国立西洋美術館

ル・コルビュジエが求めたのは人間的なサイズ?

美術館の中に入ると、まず、天窓から陽光が降りそそぐ展示室があり、そこからスロープを歩いて2階の展示室へ向かいます。ル・コルビュジエが提案したのは「無限に成長する美術館」。建物は上から見ると正方形で、収蔵品が増えれば、その周囲を取り囲むように増築していくように考えられたのです。

自然光を取り入れるギャラリー、細い階段で上がる中3階の展示室、むき出しになった円柱など、どれも特徴的ですが、ギャラリーは今は蛍光灯が入っていて、中3階の展示室も立ち入り禁止。「円柱も躍動感はありますが、展示が難しいですね」とのこと。

また、自由に絵画を鑑賞できるように設計されているのですが、研究員の方によれば、日本人からは鑑賞の導線をはっきりさせてほしいとの声が多いそうです。そのあたりは、西洋と日本の違いといったところでしょうか。

2階の天井の一部は、高さ226cm。これは183cmの人が手を伸ばして届く高さで、ここにもモデュロールが登場します。ちょっと低い感じもしますが……。「技術の発展によって、巨大な建物や高層建築が可能となってきた時代に、ル・コルビュジエはあえて人間的なサイズにこだわったのではないかという指摘もあります」。研究員の方の話に「なるほど」と頷き、そう思って再び美術館をめぐると、なんだか納得できる再発見がいろいろとあったのでした。

ル・コルビュジエによって「19世紀ホール」と呼ばれた展示室。彼の建築の特徴が凝縮されているエリアだ

2階に上がるゆったりとしたスロープ。少しずつ展示室の眺めが変わっていくのを楽しむという趣向だ

上のガラス張りの空間は、屋上から光を取り入れる照明ギャラリーだったが、その役目は断念され、今は蛍光灯が設置されている

天井の低い部分は226cm。高い部分はその2倍。ダイナミックな空間の変化が味わえる

こちらも美術館としては珍しいむき出しの円柱。展示する側にとっては、ちょっと面倒な存在らしいが……

最初の展示室を見下ろすエリアもあり、さまざまな光景が満喫できる