東京理科大学の近代科学資料館──。「理科」「科学」という言葉を目にしてココロを閉ざした方、理系とは無縁と思っている方にこそ、ちょっとのぞいていただきたいのが、こちらの資料館です。計算機の歴史展示などは、きっと「わたしと計算の歴史」に目を向けさせてくれるはず。体験コーナーなども用意されているので、子どもと訪ねるのもいいかもしれません。レトロな建物の中には、科学の歴史がぎゅっと詰まっています。

JRまたはメトロ飯田橋の駅から外堀通を市ヶ谷方面に徒歩5分弱、右手の坂を少し上がったところに建物はある

建物そのものも大きな見どころ

まずは東京理科大学について。前身の東京物理学講習所が創設されたのは1881(明治14)年で、その2年後に、東京物理学校と改称されました。1949(昭和24)年、学制改革によって東京理科大学となります。

ちなみに、東京物理学校の3代目校長中村恭平は、帝国大学の助教授時代に講師だった夏目漱石と親交があり、『坊ちゃん』で坊ちゃんが物理学校出身であるのは、その影響があるともいわれています。

(小説では、「親譲りで無鉄砲」な坊ちゃんは、生徒募集の掲示を見て「無鉄砲」に物理学校に入学し、たいして行きたくもない松山に、なりたくもない数学教師として赴任したのも「無鉄砲」だったから、となっています)

近代科学資料館は東京理科大学創立110周年を記念して、1991(平成3)年に開館。その建物は、1906(明治39)年建設の東京物理学校の木造建築を復元したものです。白亜の質素ながら優雅な建物そのものも見応えがあります。

アジアの科学はここから始まった

資料館には、かなり貴重な展示物もあり必見。そのひとつは、幕末の1862(文久2)に発行された『英和対訳袖珍辞書』で、いわばポケット版英和辞典というべきものです。この本、初版は200冊しか刷られていないのですが、ここに展示されているのは、初版のうちでも第1番目に刷られたもの!! まさに日本の英和辞書のホンモノの第1号なのです。

また、1893(明治26)年に刊行された『普通物理学教科書』は、日本で最初に編纂された物理学の専門教科書であるだけではなく、中国や朝鮮半島にも物理を広める役割を担いました。アジアにおける物理学、さらには科学がこの教科書から始まったといえるでしょう。もちろん、東京物理学校は大きな貢献を果たしたのです。

なお、1885(明治18)年に23歳で電池で正確に動く時計を発明した屋井先蔵(やい せんぞう ※さきぞう、との説もあり)も、物理学校に在学していました。その2年後に屋井は、世界初の乾電池を発明します。乾電池の発明者が日本人で、しかもこの学校の出身者って、知ってました?

『英和対訳袖珍辞書』。資料館の中でも、もっとも貴重な展示品のひとつだ

こちらは『普通物理学教科書』。資料館は他にも約4000点の和算書や資料を所蔵している

世代で楽しみも異なる計算機展示

さて、展示はいくつかのパートに分かれますが、計算道具と計算機の展示物はとても充実しています。時代によっても、地域によっても、計算道具はなかなかユニークなものがそろっています。しかし、中にはどうやって計算するのか「??」なものも。

そろばんになると、なんとなく親しみがもてるようになりますが、これだけさまざまな大きさのものが、世界のあちらこちらで使われていたことに改めてびっくり。大正時代に総理府や保険会社で使われていたという151ケタのそろばん、なんてものもあります。

計算機の展示は、世代によって見るポイントが違ってくるはずです。レバー入力式手動計算機は筆者にとっては見慣れないもの。小型になった電気計算機が「懐かしいもの」の始まりでした。計算機など、今では格安で当たり前のグッズとなっていますが、こうしてもう一度歴史を辿ってみると、いかにすっごい進歩を遂げてきたのか、ということがよくわかります。大きさや値段なども含め、じっくりと鑑賞してみてください。

世界各地の算具。そのかたち、使い方は実にさまざまで、昔の人々の創意工夫に感心するばかり

インディアンの角算具。地域の特性などが、算具ひとつにもよくあらわれている

とてつもなく長い! 151桁もあるそろばん。どのように使ったのか気になるところ

1964(昭和39)年製「タイガー計算機」。昔の映画の中で見たような記憶もある

微分解析機、エジソンの蓄音機なども

さらに貴重な展示物として、「微分解析機」や「パラメトロン計算機」も見逃せません。思わず「これが計算機?」と思ってしまう「微分解析機」は、畳3枚分ほどの大きさがあるアナログ式計算機で、微分方程式を計算しました(微分積分は……、ご自分でお調べください)。

パラメトロンとは日本独自の論理素子……。展示されている計算機は1960(昭和35)年に東京理科大学に導入された富士通製の「FACOM201」。発熱が激しいため連続で30分しか使えなかったといわれますが、この大きなコンピューターが自動車の車体構造解析やロケット設計などの際に使われたとのこと。その他、東海道新幹線の東京・大阪間の営業ダイヤをシュミレーションしたというコンピューターも展示されていて、資料館の宝となっています。

より親しみがもてるのは、エジソン・コーナーの展示品でしょうか。蓄音機や電球を見ることができます。エジソンの電球のフィラメントに日本の竹が使われていることは有名ですが、京都府八幡市の竹が選ばれたことがここの展示でわかります。

小型の計算機も並べてみると歴史が感じられる。懐かしく思う人も多いはず

右手前に横たわっているのが「微分解析機」。その奥が「パラメトロン計算機」。左手にある縦型のものが、新幹線ダイヤに使われた「ベンディクスG15」

エジソンの蓄音機は大正時代初期の頃に生産され、一般に普及した

エジソンの炭素電球。6000以上の素材の中から、寿命が長く安価な素材として京都の竹を炭化したものがフィラメントに採用された

『パソコンの歴史展』は7月3日まで

現在開催されている『パソコンの歴史展』も興味深い展示です。こちらは誰にとっても、感慨深いコーナーに違いありません。「これ、持ってたー」と声をあげてしまうかも。

当然かもしれませんが、「やっぱり大きかったんだなぁ」としみじみ思います。パソコンの歴史についても、改めて振り返るとその発展ぶりに目を瞠ります。写真を見て懐かしくなった人は、資料館へ急ぎましょう。会期後もパソコンの展示がなくなってしまうわけではないようですが、一応、今回の歴史展は7月3日までとなっています。

「これ、使ってたー」と懐かしさがこみ上げてきた東芝ルポ

東芝ダイナブックも、こんなにがっしりしていたのだと改めて実感

パソコンの原点ともいうべき「日立ベーシックマスター2」