「山谷に行ってみたいんですけど」

コラムで取材してみたい場所はないか? 編集Cさんから聞かれた私はそう答えた。かつてドヤ街と呼ばれた東京・山谷地区に外国人が増えている、という話を最近よく耳にする。台東区と荒川区の区境に位置する山谷には、自由労働者が長期滞在する簡易宿泊所が集中しているが、不況や常連客の高齢化などもあって固定客は徐々に減少。それと入れ替わるようにして現在増えているのが若い世代と、外国人なのだという。

山谷が海外から注目されるようになったきっかけは多数のサポーターが各国から来日した2002年のワールドカップ。ちょっと狭いが、安くて清潔な宿として口コミやネットで知名度が高まり、バックパッカーを中心に多くの外国人が訪れるようになったという。取材でも山谷近辺を歩いてみたが、確かに酔っ払ったおじさんが昼間からうろうろしている程度なら、命の危険もある海外のダウンタウンに比べてはるかに安全と言える。最寄り駅の南千住駅か三ノ輪駅から地下鉄に乗れば、上野・秋葉原・銀座・六本木といった場所に乗り換えなしですぐ行けるので、東京を観光するのにもちょうどいい。

今回は海外からのお客を多く受け入れている「ホテル寿陽」にお邪魔してみた。こちらの1泊の宿泊料はシングルで3,200円。1,000円代の宿も存在する山谷では比較的高めの部類になるが、それでも一般的なビジネスホテルに比べれば破格の値段だ。部屋は基本的に3畳間で、各部屋にテレビ・エアコン・冷蔵庫を完備。大浴場やシャワー室もあり、女性専用フロアもあるので、女性でも問題なく泊まることができる。最近はサラリーマンや受験生、就職活動中の学生などの利用も増えており、夏場には地方からコミケなどのイベントに来るオタクもかなり多いという。

泪橋交差点から数分歩いた場所にあるホテル寿陽。付近はマンガ『あしたのジョー』や池波正太郎の時代小説の舞台ともなっている

海外からのお客を受け入れている宿には、たいてい英語で書かれた看板や案内が出ている。一方で自由労働者を優先している昔ながらの宿もあるので、利用の際はネットなどで確認を

フロントの伝言板には交通案内や伝言メモ、地元の商店の英語版のチラシなどが貼り出されている

ジブリミュージアムへのツアー案内も貼られていた。お値段は交通費・入場料込みで6,000円。隣にかけられたペット用のシャツが謎

もともと早くからインターネットを活用して予約などを行っていたホテル寿陽は、現在では日・英・仏・独・中・韓の6カ国語に対応したサイトを開設。館内は無線LANが無料で使用可能なうえ、ロビーにも共用のPCがならべられており、宿泊客からは重宝がられている。そうした努力もあって、いまでは全体のおよそ8割から9割が海外からのお客だという。取材した日も、ロビーにはすでに10人ほどの外国人がくつろいでおり、雑談をしたり、テレビを見たり、ネットで情報収集をしたり、スカイプで母国に電話をかけたりと賑わっていた。館内にはもちろん日本人も泊まっているのだが、日本人はあまりロビーで話したりせずに、さっさと自分の部屋に入ってしまうらしい。海外の人と交流してみないのは、ちょっともったいない気もするが、シャイな日本人らしい気持ちもわかる。

いかにもバックパッカー御用達の宿らしい、交換用のボックス。余った衣類やシャンプーなどが入っていた

ロビーのパネルにはワールドカップの熱狂ぶりが残る。マスコミも多数取材に来て大変な盛り上がりだったそうだが、フーリガン関連のトラブルはまったくなかったとか

ロビーでまず話を聞いてみたのは、日本語がペラペラな韓国人のベック。彼が興味があるのは日本の野球。ふだんは韓国のケーブルテレビで巨人の試合を観戦しており、今回の旅行でも巨人戦を見に東京ドームに行ってきたという。注目はやはりイ・ヨンスプ選手。ベックからは「東京で面白い場所がありますか?」と聞かれたので、そこまで日本語が上手なら、と上野の寄席を教えてあげた。「寄席ってなんですか?」との質問に、こちらも頭をひねって説明してみたが、途中で理解したベックのひと言がふるっている。

「ああ、『タイガー&ドラゴン』ですね?」

ベック、あのドラマ見てたんかい! うーん、やはり日本の文化を広めるには、ドラマやマンガにしてしまうのが一番てっとり早いのかもしれない。

次に話を聞いたのは、アメリカから来たガス親子。奥さんが日本人とのことで、こちらのふたりも日本語が相当うまい。ゲームが好きだというふたりに、最近遊んだ作品を聞いてみると『どうぶつの森』『押忍!闘え!応援団』という答えが返ってきた。大ヒットしている『どうぶつの森』はともかく、日本の人気ソングを使ったリズムゲームの『押忍!闘え!応援団』もお気に入りとは、さすが日本通。ちょうどロビーのテレビでは、ビリーズブートキャンプのCMが流れていたので、ガス親子に感想を聞いてみたが「アメリカで流行ったのって10年前ですよ」「翻訳がダメですね」とツッコミを入れまくっていた。

韓国から来たベック。日本のマンガも好きで、お気に入りは『めぞん一刻』。池袋のジュンク堂で高橋留美子先生の原稿を見て感激したとのこと

何度もこのホテルを利用しているというアメリカ人のガス親子。日本人の奥さんがネットでホテル寿陽を見つけたのが利用のきっかけ

イタリアから来日したトビア、クリスティーナ、アレッサンドラ、イリアナの4人組は、この日も秋葉原に行ってきたというだけあってなかなかのオタクっぷり。好きなものをちょっと聞いてみただけでも『聖闘士星矢』『NARUTO』『ドラゴンボール』『ベルセルク』『きまぐれオレンジロード』『めぞん一刻』『北斗の拳』『キャプテン翼』『シャーマンキング』『NANA』『DEATH NOTE』といった日本のアニメやマンガのタイトルが続々と出てきた。女性陣は亀梨和也、松本潤といったジャニーズアイドルもお気に入りらしい。ドラマの『花より男子』を見たのがきっかけなのだとか。

イタリアから来た(左から)、トビア、クリスティーナ、アレッサンドラ、イリアナの4人組。鎌倉と京都にも足を伸ばす予定だとか

アレッサンドラの日本みやげは少女マンガの単行本。日本語は読めないが、イタリア版の単行本が出るのが遅いので、先に出ている日本版を買ったのだとか

アレッサンドラのもうひとつのおみやげは、なんと緑茶。イタリアでは緑茶ブームらしい。そう言えば確かに日本人も海外で中国茶とか買うなあ……

それにしても、みんな日本のことに詳しい。興味の分野は各人様々だが、ネットで調べやすいタイプの情報ほど共有率が高いようだ。逆に言えばネットでクローズアップされないことほど、実際に来日して驚いたりするらしい。インタビュー中も、いきなり「三浦海岸はどのくらい有名なの?」と質問されて、こちらも面食らってしまった。ほかにも何組かに話を聞けたが、多くて紹介しきれないので今回はこの辺で。次回はさらに濃い人が出ます。

こちらのフランス人男性は、秋葉原で電子辞書を手に入れてご満悦の様子。ヨドバシカメラがお気に入り