さくらももこ先生は好奇心が強い方

――さくらももこ先生についてのお話もお伺いできればと思います。

僕が最初にお見かけしたのは第1話のアフレコのときですね。アフレコ現場に先生も見に来ていらして、当時僕は演出助手の新人だったので、まだお話をすることもなかったです。はじめてお話をしたのは監督になったときじゃないですかね。

――先生はアニメにはどのくらい関わられていたのでしょうか。

当初は脚本などもすべて現場のスタッフに一任していたと思います。当時は先生もお若くて、性格も控えめでおとなしい方でしたので、自分からなにか言うことはなかったのかなと。

放送を続けていくうちに、だんだんと先生もアニメーションに興味が出てきたのか、脚本を書かれるようになりました。番組開始当初に書き始めて、1995年~1999年4月頃までに約200本執筆されました。ただ、お忙しい方だったので、しばらくしたらまたシナリオライターさんにお願いしました。スペシャル放送のときは、せっかくのお祭りなので先生にお願いしていましたね。忙しくても書いてくれていました。

――作品についてお話をされることは。

シナリオライターさんとはありますけど、先生とはないですね。さくらプロダクションのアニメーション監修の方とお話をするくらいでした。基本的に映像に関しての注文は受けたことがないんです。うぬぼれさせていただくならば、信用してもらっていたんじゃないかなと思います。

――高木監督から見たさくらももこ先生の魅力は?

とても静かで優しい方なんですけど、ひとつしっかりと芯が通っていて、作品に対しての信念を持っている方でした。あと、素晴らしいバイタリティの持ち主でしたね。相当な数の漫画やエッセイ、あとは作詞なども手がけていて、いろいろなことをやられていますよね。とても好奇心が強い方なんだなと思います。

先生はラインを超えられるけど、我々は超えられない

――制作環境は、この30年でどう変化していきました?

初期はまだフィルムで制作をしていた時代ですね。紙に絵を描く工程はギリギリまだ残っていますけど、そのあとの色を塗ったり、撮影をしたりといった作業は全部コンピュータですね。昔は手作業で色を塗って、撮影もフィルムを一コマずつ撮っていましたから。音に関しても、声優さんは変わっていないですが、録音する媒体が磁気テープからメモリに変わりました。そして、表現については、昔は大丈夫だったけど、いまは難しいものが多いですね。昔ははまじや山田くんが下半身丸出しで走っていましたけど、いまはだめですからね。

――そういった表現方法の縛りが多くなると、お話を作る上でも影響は出てきますか?

影響は大きいですね。まる子は悪い子じゃないんですけど、そんなに良い子でもないじゃないですか。ずるいところもあるんですけど、そういうところばかりフィーチャーしてしまうのは、特に子ども向け作品の主人公として、かなり気を使い作っています。いまは作品の原点回帰を目指しているんですけど、そういったところとは矛盾してしまう点ではあるのですが。

――せめぎあいがあるわけですね。

アウトのラインがあるとして、どこまで行けるかということですね。これが先生がシナリオを書かれると、ラインギリギリのところまで近づけて、だから面白くなるんですよ。先生はギリギリのところまでいけるし、もし超えてしまったとしても、今度はそこが新しいラインになるんです。先生は超えられるんですけど、我々は絶対に超えられないので、ちょっと下がって、どこまで近づけるのかを探りながら作っています。

――さくらももこ先生の代表作のひとつに『コジコジ』という作品がありますよね。『コジコジ』は作品全体がラインギリギリを走っているような作風。こちらもアニメは高木監督が担当されていますけど、『ちびまる子ちゃん』でそのギリギリのラインを攻めるのが上手だったからこその抜擢なのかなと。

それは僕からは答えにくいですね(笑)。ただ、『コジコジ』は当時の作品なので、たしかに今と比べるとラインはかなりゆるいですね。いまだったら、そのまま放送できないと思いますよ。