FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「円安が135円で終わった理由」を解説します。

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  • 円安が135円で終わった理由は?

    円安が135円で終わった理由は?

米ドル/円は、2002年に入ると、本当に1米ドル=130円を上回る動きとなりました。「本当に」というのは、一部の報道で通貨当局の財務省関係者が言ったとされたのが「本当に」そうなったということです。

ただし、そんな円安も、1米ドル=135円で終わりました。その後、2002年春以降、ITバブル崩壊の株安が最終幕といった具合の動きになると、株安に連れる形で、米ドル/円も下落に向かったのでした。

中長期の円安、円高にはルールあり

2002年春以降、ITバブルの主戦場のようになっていた米ナスダック指数の下落が再燃しました。きっかけは、いくつかのIT企業による事実上の「粉飾決算」が表面化したことでした。

総合エネルギー大手のエンロン、また電気通信大手のワールドコム。あれから20年近く過ぎ、知らない人も多いかもしれません。しかし、当時バリバリのITトップ企業が、業績を「粉飾」していたことがITバブル破裂のきっかけになったのは、今から振り返ってもとても分かりやすい関係性だったと思います。

こういった中で、ITバブルの主戦場、米ナスダック指数は下落再燃、「最後の下落」へ向かいました。すると、2002年3月にかけて1米ドル=135円近辺まで米ドル高・円安となっていた米ドル/円も、ITバブル崩壊の株安がクライマックスに向かう動きに連れたように、一段の下落に向かうところとなったのです。

ただ、この背景には、そもそも1米ドル=135円といった米ドル高・円安が、持続不可能な動きだったということがあったのではないでしょうか。米ドル/円の長期のトレンドは、実は物価で計算した適正水準、購買力平価である程度説明が可能です。2000年前後、米ドル/円は日米の生産者物価の購買力平価がほぼ上限という状況が続いていました。

  • 【図表】米ドル/円と日米購買力平価(1985年~)(出所:リフィニティブ・データをもとにマネックス証券が作成)

    【図表】米ドル/円と日米購買力平価(1985年~)(出所:リフィニティブ・データをもとにマネックス証券が作成)

さて、そんな日米生産者物価基準の購買力平価は、2002年当時1米ドル=130円程度でした。その意味では、財務省幹部が、「ファンダメンタルズからすると130円を超えて円安が進んでもおかしくない」といったのも、分からなくははありませんでした。ただ、そんな130円を超えた円安の持続性には限界があり、それもまた米ドル/円と購買力平価の関係が示していたんですね。

ITバブル崩壊で、その主戦場となった米ナスダック指数は、2000年3月の5,000ポイントを超えた水準から、2002年10月の1,100ポイント台まで、最大で7割以上もの大暴落となりました。1998年から始まったFX時代においては、2008年前後のリーマン・ショックを含む信用バブル破裂相場とともに、代表的なリスクオフ、株暴落局面だったわけです。

ただ、リーマン・ショックと、ITバブル破裂では、円相場の動きが大きく異なりました。リーマン・ショックでは、円高が加速、FX時代での円最高値となる1米ドル=75円を記録するきっかけとなったのに対し、ITバブル破裂では、その途中で正反対の実質的にFX時代の円最安値となる1米ドル=135円を記録するところとなったのです。

なぜ、同じ株暴落、リスクオフでも、このように極端な円高、円安の違いとなったか、これまでの説明で分かっていただけましたか。その上で、「そうだったのか!」「難しいと思っていたけれど、FXも分かった気になってきた!!」「FXって、面白い!!!」、そんなふうに思ってもらえたらうれしいです。