FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「ITバブル崩壊までの流れ」を解説します。

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これまで19回にわたって、2000年からのITバブル崩壊とされた株暴落局面で、為替相場はどのような動きになったかについて述べてきました。改めて、大きな流れを振り返ってみましょう。

  • 【図表】米ドル/円の月足チャート(1998~2002年)(出所:マネックストレーダーFX)

    【図表】米ドル/円の月足チャート(1998~2002年)(出所:マネックストレーダーFX)

歴史的株暴落局面に「21世紀最大の円安」となった

<株安なのに円安>

ITバブル崩壊の株暴落とは、米ナスダック指数が2000年3月から2002年10月にかけて最大7割以上も下落した出来事でした。ところが、そのような米株の大暴落を尻目に、為替相場は1米ドル=101円から135円まで米ドル高・円安に向かったのでした。

ITバブル崩壊は、リーマン・ショックを含む2007年から広がった信用バブル崩壊とともに、21世紀を代表する株暴落、リスクオフ局面です。しかし、リーマン・ショックでは円高が進んだように、教科書的には「リスクオフでは円高」とされている中では意外といえる「リスクオフの円安」となった点が一つの特徴だったでしょう。

ではなぜ、ITバブル崩壊では「リスクオフの円安」となったのか。それは、すでにITバブル崩壊が始まる前に起きていた急激な円高への反動も一因だったのではないでしょうか。

ところで、ITバブル崩壊前夜の1998~1999年といえば、まさにFX(外国為替証拠金取引)が始まったばかりのタイミングでもありました。FXの船出となった1998年は、夏に突如世界的な金融危機が発生するなど、世界経済が豹変したことから、米ドル/円も10月のたった3営業日で35円も大暴落するといった大波乱に見舞われました。

<バブル崩壊前夜の世界経済“豹変” >

そしてこのような世界経済の豹変の中で、米国は景気回復続く中での「保険的利下げ」を余儀なくされました。日本は先進国史上初のゼロ金利政策、「究極の利下げ」を行い、それらが行き過ぎた株高、ITバブルの株高を後押ししたといえるのではないでしょうか。

ITバブル崩壊前後の世界経済の豹変、そして為替相場の動きに翻弄されることになったのが日本銀行(日銀)だったかもしれません。1999年に先進国史上初めてゼロ金利政策を実施、しかし円高が進んだことなどから、ゼロ金利解除が後手に回りました。その結果遅過ぎたゼロ金利解除という利上げが、バブル崩壊の株暴落第二幕のトリガーとなるといった最悪のタイミングになりました。そして株暴落が広がる中で、屈辱のゼロ金利回帰、さらには先進国史上初の量的緩和に追い込まれるところとなっていったわけです。

<そして1米ドル=135円、21世紀最大の円安へ>

世界的な株暴落、そして日銀を筆頭とした金融緩和、その中で為替相場は円安傾向が続きました。2001年9月11日、米同時多発テロ事件での米ドル/円急落も1米ドル=115円で踏みとどまると、2002年にかけて、21世紀でこれまでのところ唯一となる130円を超える米ドル高・円安へ向かったのです。

以上が、FXが始まってすぐに起こったITバブル崩壊といった歴史的事件を前後し、大波乱の展開となった為替相場のあらすじです。もう20年も前になるんですね。でも、ドラマティックな出来事の連続だったと思う私の記憶は、果たして皆さんに伝わったでしょうか。20話で区切りもいいので、ITバブル崩壊編は、これで筆を置くことにします。