FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「豪ドル/円の動き」を解説します。

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パリバ・ショック、ベアー・スターンズ・ショックと、世界的な株暴落が起こるたびに、「夢の100円」を割り込むものの、すぐに「夢の100円」に復帰する、そのような動きを豪ドル/円(別名オージー円)は繰り返し、リーマン・ショックが起こる前の2008年7月には3度目の100円台復帰を果たしました。

まさに、FX投資家の信頼を裏切らない、「不死身のオージー」といった様相が続いたのでした。しかしそれは、リーマン・ショックを前後して激変に向かうところとなったのです。

  • 【図表】豪ドル/円の月足チャート(2000~2011年)(出所:マネックストレーダーFX)

    【図表】豪ドル/円の月足チャート(2000~2011年)(出所:マネックストレーダーFX)

7年で倍になったが、3カ月で半分になった=オージー円

不吉な前兆は、リーマン・ショック前からありました。リーマン・ブラザーズの経営破綻が突然決まったのは2008年9月15日のことでした。その少し前に、オージー円は、あの2度のショック相場、パリバ・ショック、ベアー・スターンズ・ショックも割れなかった1豪ドル=80円台半ばの水準をついに割れてきました。

それは、今から思うと、「不死身のオージー」にとっての明らかな変化の兆しだったのでしょう。長く割れなかった水準を割れる、それはチャート的にはいかにも下落余地が急拡大している可能性の示唆でしょう。そのような最悪のタイミングで、リーマン・ブラザーズの突然の破綻となったのです。

これまでも書いてきたように、リーマン・ブラザーズの破綻からすぐに金融市場が大混乱となったわけではなく、世界的な株暴落はそれから約半月ほど後、10月に入ってからでした。ただオージーは例外で、9月末までに82円まで続落、すでに9月の高値から10円以上も大幅に下落していました。

そして10月になり、後にリーマン・ショックと呼ばれる金融市場の大混乱と、世界的な株大暴落が広がると、オージーの下落にはいよいよ歯止めがかからなくなりました。とくに、10月6日と24日は、たった1日で10円以上の大暴落となり、54円台まで下落したのです。

前にも書いたように、オージー円は、2000年の50円台から7年かけて倍、「夢の100円」台に到達したのです。ところが、2008年7月から、今度はたった3カ月で50円台に戻るところとなったのです。

7年かけて倍になったオージー円が、たった3カ月でほとんど半分になってしまった。これこそが、リーマン・ショックの中でFXにおいて起こった「最大の事件」とも言える「オージー・ショック」の顛末です。

パリバ・ショック、ベアー・スターンズ・ショック、そしてリーマン・ショックと展開した一連の信用バブル崩壊、世界金融危機でのオージー円の推移をみると、オージー自体のバブル崩壊といった面があったようにも感じます。

リーマン・ショック以前はリスクオフ局面でもすぐに反発に転じることを繰り返した「不死身のオージー」こそ、行き過ぎた上昇相場バブルであり、それがリーマン・ショックをきっかけに一気にバブル崩壊となった結果こそが、大暴落の「オージー・ショック」だった―――。

そんな理解でも基本的には良いと思います。ただ、「オージー・バブル」の裏には、もう一つ、重要な役割を演じた存在があったようです。「オージー・バブル」の「影の主役」(「この人、この表現好きだなぁ~」思っている読者多そうです)、それは原油だったのでしょう。