――撮影を終えて、想像通り取りだったと感じますか? それとも、想像を超えていたのか。

想像を超えていたと思います。撮影2日目ぐらいからシャワーが水しか出なくて(笑)。1日目はお湯だったんですが。そういうことすら日本では起こり得ないことですもんね。細かいトラブル含めて、想像もしていないようなことがたくさんありました。

――そのほか、上映会の壇上では「俳優をやっていると甘えや慣れが付きまとう」「それを排除しないと乗り越えられない作品」「初心に戻してもらう意味でも必ず乗り越えよう」と。確かに「甘え」や「慣れ」は、どのような職業にも付きまとうような気がします。

別の職業との比べ方は分からないんですが、「ぬるい気持ちでやっても仕事として成立させられる時」ってありませんか? でもそれをやることが、自分にとって何になるんだろうと思ってしまうんですよね。自分の気持ちが乗らないのであれば、やらない方がいい。その仕事が何を生むんだろう、と自分が嫌になるんですよね。

芝居で言うと、技術が備わって見せ方が分かってくると、ある程度のところまでは表現できたりもするんです。でも僕はそれが良いとは絶対に思えないんですね。身を削って絞り出してないということが、僕にとっては「甘え」や「慣れ」という言葉に近い。全てを死にものぐるいでやる必要はないんですけど(笑)人間ってすぐに楽な方に流れちゃうじゃないですか。日本の現場にいると、自分は甘やかされてるなと感じてしまうことが多くて、気を引き締めないと。言い方がすごく難しいんですけど……例えば時間に追われている現場だと、そこまで芝居にこだわれないじゃないですか。

  • オダギリジョー

――そうですよね。その場を成立させるためには、仕方のないことだと思います。

1回でOKを出してどんどん撮影をしていかないといけない現場で、やっぱり自分だけの芝居にこだわって「もう1回やらせてほしい」とも言えないんですよね。「100%出し切れたとは言えないんだけど……まぁ、悪くないならいいか…」みたいに過ぎていく日々が、どうしてもあるんですよ。足らない部分を技術で埋めているような感覚がどうしても許せないんです。

――経験がアダになる。そういう思いが「初心」という言葉に込められていたんですね。デビュー当初は何も分からない中で、どんな仕事でも「足し算」に。

そうですね。今見ると方程式を無視したとんでもないことをやっているんですけど、ただ、今はもうあんな無茶なことが出来ないんですよ。昔の自分の芝居を見ていると、危なっかしいけど、でも独創的で面白かったりもするんです(笑)。何が正解なのかは分かりません。でも、安全なことだけしていても面白くないじゃないですか? 「これが答えでしょ?」というのを指していっても、芸術や表現としてそれはどうなのかなと思うんですよね。安全なものだけ作っていても面白くないという気持ちはいつもどこかに抱いています。

だからこそ、初心に戻りたいというか、「脳みそで考える」ということから外れた方がいいんじゃないかと思わされるんです。もの作りという側面に立ち返った時、そういう思いが度々起きるんですよね。だから、『エルネスト』のような現場に身を置くと、考えていたことのすべて覆されたりするので、本当に感覚的なものに頼らざるを得なかったり、自分の持つ能力というか俳優としての根本をテストされているような場面にたくさん遭遇します。そこが僕にとってはすごくリスキーで面白いんですよね。

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■納得できない仕事をやらなくなった理由

――以前、『永い言い訳』(16)のトークイベントに西川美和監督と出席されたことがありました。オダギリさんといえば、西川監督の『ゆれる』(06)に出演。そのトークイベント前日に『ゆれる』を観て、「もっといろいろなことをやっていたと思った」「いろいろと思うことが多々あった」とおっしゃっていました。過去の出演作は、そういうものなのでしょうか。

そうでしょうね。同時に、あの時にしかできないことはいっぱいあったのも事実なんです。先ほど言ったような。そのトークイベントでも、当時の自分はそう思ったんでしょうね(笑)。『ゆれる』は、その時に自分ができる120%のことをやったつもりでした。だから、今の自分が観て「何が120%だよ」と思ったんでしょうね(笑)。

――たとえば10年後。この『エルネスト』を観返した時に、同じように思う可能性もあるわけですね(笑)。

そうですね(笑)。10年後の自分がどう感じるのかは全く想像できないですけど、少なくとも面白い芝居をしているなとは思いたいですね。

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――今回の作品では、カストロの「やるべきことなんか聞くな」「それはいつか君の心が教えてくれる」というセリフが印象的でした。フレディ前村が大きな決断をする姿が描かれていたわけですが、オダギリさんの転機といえば、映画監督の勉強のためにアメリカの大学に留学したものの、願書を書き間違えたことで結果的に俳優の道へ。俳優になってからの転機はあったのでしょうか?

うーん……(しばらく考え込む)。『ゆれる』は1つのターニングポイントかなとずっと思ってきました。自分が一番大切にしていた作家性やオリジナリティが発揮されていた作品でしたし、公開の規模も含めて自分が一番好きなタイプの映画だったんですよね。そして先ほどもお話したように、その時の全てを懸けて、表現者としての力を120%を出した気がしていたんです。ある種の満足感があったんでしょうね。目標としていた俳優像の1つのゴールを切ったような気がして。それから未来に気持ちが向かなくなったというと大げさなんですけど、「じゃあ、次に何をやろうか」みたいな気持ちになった時期でした。

それが30歳ぐらいだったんですけど、その頃を境に仕事をより慎重に選ぶようになりました。納得できないものは、やらなくなったというか。というのも、ちょっと自分を使い過ぎていた20代だったので。『ゆれる』が終わったあたりから、自分を抑えていかないと出るものも出なくなりそうな気がしたんです。本当にやりたいと思えるものだけで勝負するべきだと思ったんですね。そういう意味でもターニングポイントだったといえるのかもしれないですね。

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――そういえば『エルネスト』の上映会で、阪本監督がこんなことをおっしゃっていました。一緒に飲んでいる時にオダギリさんが「越境したい」「生まれ変わりたい」と言っていたと。先ほどおっしゃっていたように、「俳優として生まれ変わりたい」ということだったんですか?

酔っ払ってただけじゃないですかね(笑)? あまり覚えていません。でも、甘えで乗り越えられる現場を甘んじる環境からは、いつも出なきゃいけないという気持ちはあるので、そういうことも含めて「越境したい」と言っていたのかもしれないですね。

――なるほど。さて、オダギリさんが予感していた「困難な道」の『エルネスト』。こうして踏破した今、俳優としてどのような変化、成長があったのでしょうか。

何よりも自信につながりました。やっぱり、強烈に困難だと予測した上で、それを何があっても乗り越えるんだということを目標にしていたので、甘えることなく乗り越えられたことは、役者としても人間としても成長したのではないかと感じています。マラソンを走り切った後に近いような気がします。振り返ると、この作品がまた新たな転機になっているのかもしれません。そして、自分の中ではある種、できることを全て注ぎ込んだ作品だと思っているので、『ゆれる』の後のように「じゃあ、次何をやろうか」みたいになるのかもしれません。

■プロフィール
オダギリジョー
1976年2月16日生まれ。岡山県出身。身長176センチ。O型。2003年、第56回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された黒沢清監督の『アカルイミライ』で映画初主演。その後、『あずみ』(03)で日本アカデミー賞新人俳優賞、エランドール賞新人賞、『血と骨』(04)で第28回日本アカデミー賞とブルーリボン賞の最優秀助演男優賞、『ゆれる』(06)、『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』(07)で日本アカデミー賞優秀主演男優賞、『舟を編む』(13年)で日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。最近作に『南瓜とマヨネーズ』(17)が控えている。本作の阪本順治監督とは、『この世の外へ クラブ進駐軍』(04)、『人類資金』(13)に続く、3度目のタッグとなる。