今回のテーマは「初めての自炊」だ。当方、結婚する27歳ぐらいまで、現役のパラサイトシングルとして、1日も休まずマウンドに上がり続けたため「日常としての食事」を作ったのは、結婚後が初めてだ。

「食事だけは作ってくれ」

共働きだったので、家事は分担が前提だったのだが、夫は料理だけはお前がやってくれ、と希望した。 それから八年余り、私は夫の言葉を忠実に守り、マジで料理しかしなくなった。

家事、主に掃除的なものは、明確な分担がされるもの以外は「気になった方がやる」システムになりがちだが、私の「気にしない度が」5000兆なため、自ずと「気になる側」の夫ばかりがやるようになってしまった。

昨日は日曜だったのだが、8時ごろに起き、トイレに行ったかと思うと、そのままトイレ掃除をはじめてしまった。

「休日の朝に起床30秒でトイレ掃除」

出会って4秒で合体どころではない、自分なら起床後1時間は空(くう)を見つめた後じゃないととてもそんな気にならないし、そんな気にならないまま1日が終わることもままある。

だが、そんな私も食事だけは今も作っている、ただちゃんとした食事は未だかつて作ったことがない。

しかし、最初料理をした時は、味以前にまず量がわからなかった。始めて夫に料理を作った時、メインに何を作ったかはもう忘れたが、ジャガイモとかの野菜をめんつゆで煮たヤツに対し「これはこんなにいらねえ」と言われたのは覚えている。

その後も、ホウレンソウとベーコンを何かしたやつにも「これはこんなに食えない」と言われたことがある。いわゆる、メインではない、どうやら副菜的なものを主食級に盛っていたようである。このように料理しないと、作る量、盛る量すらわからないのである。

そんなの、自分に置き換えてみたらわかるだろう、と思うかもしれないが、メシマズのメシマズたる所以はこの「食う側の気持ちがわからない」「自分に逆の立場だったらどう思うかが考えられない」という点にあるのではないか。つまり、メシマズは料理に関してはサイコがパスっている、可能性がある。

また、皆さんはメシマズに対しある疑問を持っていることだろう。「その、不味い飯を自分でも食うのだから、不味さに気づいて改善するだろう」と。

それをしないということは、メシマズは全員味覚が個性的なのか、というとそうではない場合もある。

「食ってない」のだ。

何を隠そう私も自分の作った飯を食っていない、何度も書いているが、平日は夫の分だけ食事を作って、自分はレトルトのパスタを食っている。

私の場合は、自分の作る飯が不味いからというより、楽しみが少なすぎる人生なので、食い物ぐらいは好きな物を食う、という理由でこうなのだが、結果的に自分の作った飯を食わないので「不味いかどうかすらわからない」ため改善しようがない、のだ。

世間ではメシマズ、とくにメシマズ嫁というのは、己の欠点を認めない性悪の鬼嫁、女失格、という大魔王的扱いであり、かと言って事故を防ぐため、クックドゥ的なものや惣菜に頼ると、手を抜くな、女失格と、とにかく料理ができない女への風当たりは強い。

しかし、人間苦手なことやどうしても出来ないことの一つや二つあるだろう、それが料理だっただけではないか。

誰だって「徒歩、マジ限界」と思ったら、諦めてタクシー乗ったりするだろう。それをぶっ倒れるまで歩けというのは、今、しきりに悪とされている「根性論」と大差ない

クックドゥ的なものや惣菜だってそれと同じだ。そもそも世の中自体「自分で出来ないことを金を払って出来るやつにやってもらうシステム」ではないか。それを料理だけ、頑なにDIY精神、ネヴァーギブアップ精神を求めるのはおかしい。

しかし、メシマズは、クックドゥさん的なものが「この通りに作れば少なくとも食えるものができる」と言ってくれてるのに、それを無視したり、そもそも読まなかったりするし「レンジでやるなよ! レンジでやるなよ! 」と書かれているものを「前フリ」と理解して、果敢にレンジに入れたりする。

そういう点は猛省が必要、だと思ってはいる。

筆者プロフィール: カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は全3巻発売中。