漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

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今回のテーマは「受験」である。

おそらく世間は受験シーズンである。

しかし、大学に行っていない人間には、一生センター試験の仕組みを知らずに死んでいくという習性があり「マーチ」とか言われても「とりあえずゴイスーという顔をしていれば相手が満足するやつ」という認識しかなかったりする。

陰湿な田舎のことだから、さぞ強烈な学歴差別があると思われるかもしれない。

しかし、都会に比べて田舎はそこまで学歴を重要視しない。

都会であれば、生まれた瞬間からエスカレーター式有名私立幼稚園お受験へのアップが始まるのだろうが、まず田舎には有名私立幼稚園というものがない。

さすがの陰湿な田舎の民も、FGOのように存在しない有名私立幼稚園を巡って概念バトルを繰り広げたりはしない。

ちなみにタワマンもないので階層バトルも起こらない。

その代わりに車のデカさで競ったりするのだが、何しろ「車道の幅」という限界値がある。

競うならデカさではなく金額の高さではないか、と思うかもしれないが誰もが車に詳しいわけではない。その点「デカい」というのは誰が見ても一目瞭然だ。

それに田舎ではたとえフェラーリに乗っていても「BBQ機材が積めない」という時点で減点である。

上を見ればキリがない都会に比べ、何せ田舎は天井が低く、どれだけ学歴や所属企業、セレブぶりでマウントを取っても「じゃあ何でこんなとこに住んでんの」の一言で論破されてしまうのだ。

むしろ都会の一流大学を出て我が村に住んでいるというのは「都会で反社の女を抱いて逃げてきた」等の噂のタネになるだけである。

よって田舎では、上に突き抜けるより、むしろいかにこの狭小住宅からはみ出ず生きているか、ゴミを厳格に出しているかの方が重要だったりする。

それを窮屈と感じる人間は都会に出て、反社のスケを抱かない限りは二度と戻ってこないのだ。

私は専門学校卒であり、学歴がそこまで重要視されない、むしろ高学歴がマイナスになりかねない田舎住みなので、そこまで大卒でないことで困った経験はないのだが、個人的に行けるものなら行っておけば良かったとも思っている。

社会に出て実務の世界になったら学歴は関係ない、と言うし確かにそうだと思う。

だが逆に言えば「実力がないやつは肩書きぐらい持っといた方がいい」ということでもある。

特に私のような「俺を笑ったな」が口ぐせの卑屈でコンプレックスの強いタイプなら尚更だ。

自分が人様の視界に入れてもらっていると信じて疑っていない時点で自己肯定感がかなり高いような気がするが、行ける学校に行かないでわざわざ学歴というコンプレックスを1個増やす必要はなかったのではないか、とも思う。

また「学歴は関係ない」というのは結果であり、スタート地点については高卒と大卒の給料が違う時点で「関係ある」としか言いようがない。

学歴というのは課金アイテムのようなものだ。

それがなくてもクリアはできるが、無課金だとクリアするのが難しくなったり時間がかかったりする。

たとえ実力が東大卒以上だったとしても履歴書の最終学歴が「ゴッサム幼稚園中退」だと、実力を見せる舞台に上がる機会を得るのに苦労してしまう。

また実力があったとしても、相手にその実力を見る目があるとは限らない。

その点、学歴は相手が字さえ読めれば「この大学を卒業するレベルの実力がある」ということを一瞬で理解させることができる。

最終的に実力だとしても学歴という「実力を見せやすい状態にする」というブースト課金アイテムを使えば、周囲よりプラス地点からスタートすることができる。

ただ何せ課金アイテムなため、学歴は学力があるだけで入手できるとは限らず、経済力や家庭環境を必要とする場合もある。

つまり努力さえすればそのアイテムが手に入れられる環境に生まれてきたというのはかなりラッキーなので、手に入れられる環境があり、他にやりたいことが特にないと言うなら、変に斜に構えず入手しておいた方が良いのではないかと思う。

実際うちは親が大学進学を望んでいた。

私が勉学に励みさえすれば入手できたかもしれないものをわざわざ蹴って「どいつもこいつも馬鹿にしやがって」と一生激怒する人生になってしまったので「進学」という選択肢がある人は、それがある時点でかなりラッキーだということを自覚して、慎重に考えてほしい。

よって、私は受験を高校の時しかしていない。

一応専門も面接はあったが、あれは面接官を殴るか、その場でウンコでもしない限りは受かるし、したとしても自分で持ち帰れば合格できる。

ちなみに高校は県内でも有数、と言っても3つぐらいしかないが進学校に合格した。

今思えば、あれが私にとって唯一万人に理解できるサクセスの瞬間だった気がするが、私は合格発表の時、風邪が永遠に治らない病で入院していたので「自分の番号を見つける」という瞬間最高サクセスを経験できていない。

しかし、経験していたら、そのサクセスを、牛ですら「そろそろ消化すれば?」というレベルで反芻して次に進まなかったと思う。

学歴や栄光は自分の人生を優位に進めるアイテムだが、逆にそれが足を引っ張る時もある。 よってないならないでそれを嘆かず、逆に「身軽」と考えた方が良いだろう。