漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
今回のテーマは「コンサート」である。
コンサート含む観劇は最もコロナの煽りを受けたものの一つだろう。
その前に「最も~な内の一つ」という言い回しに疑問を感じたことはないだろうか。「最も」の時点で「一番」なはずなのに「内の一つ」と、他にも同レベルが複数いることが示唆されている。
「コウくんのことは一番好きな人の内の1人だよ?」と言われたような、却って納得がいかない、詳しく説明してほしい話になってしまっていないか。
おそらく「最もコロナの煽りを受けた分野」というコロナ界のトップグループがあり、その中の一メンバーが「コンサート」ということなのだろう。
つまり、ゆあ(仮名)の中にも「パパ部門」「ATM部門」「サンドバック部門」のセンターを集めたグループがあり、コウくんはその内の1人ということなのだろう。
意味として間違ってはいないのかもしれないが、もっと真冬のキンタマのようにパシっとした言い方はできないのか、とも思う。
おそらくこれは「最も煽りを受けたもの」と断言してしまうと「ソースは?」「こっちの方が煽られているんだが?」というツッコミが来て面倒くさいからではないだろうか。よって最初から「内の一つ」という曖昧な言い方をしたのではないか。
つまりネットが生まれるずっと前から「巨大主語や断言は燃えやすい」と理解されており「強い口調ながらも微妙に言い切りは避けた言い回しをする」という炎上対策がされているのである。
こうやって先人が気づき同じ轍を踏まないように対策まで考えているのに、何故いまだに「女性は話が長い」などと言ってしまう人がいるのか不思議である。
だが同じ老でも「20~30代もしくは40~50代の犯行」という見事な炎上避けを見せる人もいるので、これを「老害」でひとくくりにしてしまうのも、結局同じことである。
この世で断言できることなど「猫は神」ぐらいだし、それですら「神が猫なのでは?」という反論を許すことになる、おキャット様ですらそうなのだから、人間如きに断言できることなどないと、改めて肝に銘じた方がいい。
そんなわけで最もコロナの煽りを受けたものの一つであるコンサートだが、現在も煽りを受けており、中止や延期、無観客配信など、平常運転にはまだ遠い。
オリンピックをやってしまったんだから、もうやっちゃダメなことなど存在しないだろうと思うかもしれないが、そうはいかない。
オリンピックでクラスターが起きた場合、一選手が「俺の部屋でスマブラやろうぜ」と100人呼んでしまったなど、明らかな戦犯がいるなら別だが、多くの場合批判はオリンピックを決行した「国」というボンヤリした巨悪、または首相や都知事という、今更感あふれる人たちに向く。
しかしコンサートの場合「○○のコンサートでクラスター発生」と報道され、○○のイメージは著しく悪くなってしまう。
つまり参加したファンとしてはクラスターには巻き込まれるわ、推しのイメージは悪くなるわ、おまけに「○○のファンは民度が低い」と主語巨大化現象にも巻き込まれるわで、良いことが何もない。
またクラスターを発生させてしまったら、禊ぎ期間が必要になり、世間がコンサート解禁という流れになっても出遅れを余儀なくされてしまう。
どれだけ気をつけても罹る時は罹るので、正直運ゲー要素も高いのだが、実際クラスターを出してしまったら「運が悪かった」「乱数調整をミスった」という言い訳は通らず「対策が不十分だった」ということになってしまうし、「マスクもしないで騒いでいる奴らがいた」という謎の集団目撃情報も発生してしまう。
たとえそれが非実在ノーマスクユニットだったとしても、事実としてクラスターを出しているなら「いたんだろうな」という感じになってしまう。
このように、コンサート類はいまだに「できなくはないがリスクが高い」ということで開催を見合わせるところが多いというのが現状だ。
じゃあ実際コンサートが安全にできるようになったら行くかというと、おそらく行かないと思う。
ひきこもりの行かず嫌いというわけではなく、実は昔コンサートやライブによく行っていた時期があった。
行ってみてコンサートがつまらなかった、というわけではない、コンサート自体は今行っても楽しいと思う。
しかし、コンサートに至る道のりが私にとってはあまりにも険しすぎた。
まず私の地元にはコンサート会場やライブハウスという概念がなく、あるのは公民館である。
もちろん、そこに御足労してくださる方もいらっしゃるのだが、どちらかというと綾小路きみまろ爆笑トークライブか、出張なんでも鑑定団方向であり、僭越ながら私が見てみたいと思うアーティストの方があまり来ることがなかった。
幸いにして私の地元は「広島と福岡にフックをかけることで沈まずに済んでいる県」なので、隣県に足を伸ばせばいろいろあるのだが、まずそこに到着するために、新幹線を使えば諭吉が命を落とすし、車で行こうと思えば2,3時間かかり到着した時点で疲れてしまっていたりする。
さらにものにもよるがコンサートというのは待ち時間が異常に長かったりする。
既にチケットは購入済、席も決まっているはずなのだが、開演まで屋外の長蛇の列に並ぶのが当たり前になっており季節によってはかなり厳しい。
コンサート自体は良いのだが、そこに行くための金、時間、体力を考えると「配信」というのはあまりにも楽すぎるのである。
よってコロナ終息後も私はよほどのこと、もしくは地元の公民館にヒプマイとかが来ない限りはコンサートやライブにはいかないと思うが、昔コンサートに行っていたからこそ、自信を持って、行かないと言えるのだ。
もし行ったことがなければ一生「行ったらすごく楽しいかもしれないけど、行くのが面倒だ」と言い続けて死ぬところだった。
経験というのは、良い発見のためだけにするのではない「自分には向いていない」そして「二度とやるか馬鹿野郎」というトラウマを作っておくためにも必要なのだ。