漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

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今回のテーマは「忘れ物」だ。

私は注意力と集中力が著しく低いのだが、そういう人間は当然のように物をなくしやすい。

さらに片づけられないタイプとななれば、もう物をなくさない方がおかしい。むしろ現在臓器が全部そろっているのが不思議なぐらいだ。

ただ確認したわけではないので、知らないうちに腎臓を1個ぐらい落としている可能性はある。

だが私は物を「見失う」ことは多くても実は「なくす」ことはあまりないのである。

この「物をなくさない」というのはひきこもりの利点の一つだ。

同じ物をなくすにしても、家の中でなくすのと外でなくすのでは発見難易度が全く違う。 ひきこもりは外に出ないため、物をなくしても在処が「家の中一択」であり、さらに私は「部屋の中一択」にまで絞ることができるのだ。

そして片づけられない奴はすぐ物をなくすが「捨てていない」ことに関しては自信があるのだ。

むしろ「捨てる」という高度なことが出来ないから部屋が汚いのである。

そういう人間が「捨てる」の代わりに取る行動が「そこら辺に置く」なのだ。

そこから導き出される答えは「そこら辺にある」である。

さらにその範囲が部屋の中に限られるならもはや見つかったも同然と言って良い。ただ、部屋に積み重ねた物による雪崩や土砂崩れに巻き込まれ、なくし物を見つけるまえに命をなくすことの方が多いというだけだ。

これが外でなくしたとなると、訪れた場所全てが候補になってしまうし、さらに「他人が拾う」という可能性もある。

その点ひきこもりは大体ソロでひきこもっているので他人に拾われたという可能性はほぼない。

もしこれで見つからないとなったら、考えられる可能性は「知らないうちに捨てた」「自分以外の生き物が部屋にいる」そして「食った」だ。

この中で一番可能性が高いのはもちろん「食った」なのだが、それならばもう悔いはない、という話である。

よって、ひきこもりになって以来、物をなくしたということはあまりない。

物を良くなくす人はできない整理整頓をしようとするより、まず「外に出ない」ことを心がけた方が良い。これで完全紛失率がかなり低くなる。

しかし、完全になくすことは少ないが「見失う」ことは非常に多い。

何故なら片づけられない人間の「そこら辺に置く」という行動はすでに「呼吸」と同じなのだ。

いちいち「あの時、あの場所で呼吸した」などと覚えていないのと同じように「そこら辺に置いた」という記憶が一切ないため、物が突然消えたように感じられてしまうのだ。

そして記憶がないということは手がかりも一切ないため、一旦見失うと最終的に見つかりはするが、見つけるまでにかなり時間がかかってしまうのだ。

しかも「突然消える」ため、なくしたのは自分なのに、誰かに隠されたような気分になり、非常にイライラしてしまう。

ちなみに、見失い率が一番高いのは「ペンタブレットのペン」であり、おそらくこれは記憶喪失系漫画家のあるあるだと思われる。

大体は、机の上の見えないところか、床に落ちているのだが、時々椅子の背もたれの溝、など全く意味不明なところから出てくるため、神出鬼没ぶりでいえば陰毛と肩を並べている。

しかし、陰毛の場合はなくしてもおそらく生活に支障はない、むしろ捗るぐらいだと思うが、ペンタブのペンは、それがないと仕事が一切できなくなるのだ。

さらに陰毛がタダで生えてくるのに対し、ペンタブのペンは意外と高く、税務署に「ペンごときがこんなに高いものか?」とイチャモンをつけられるほどだと言う。

税務署の方は漫画なんて紙と割りばしがあれば描ける物であり、こんなに経費がかかるのはおかしいと思っているかもしれないが、描いている人間のコストは確かに激安だがツールの値段はそこそこかかるということを覚えておいてほしい。

よって何日かに1回は「ペンタブのペンを探す時間」というのが設けられ、予定が良く狂う。

部屋を片付ければいいと思うかもしれないが、片づけられない奴の掃除というのは「目についたものを手あたり次第捨てる」になりがちなのだ。

つまり最後かつ最強の砦である「捨ててない」の牙城を自ら崩すことになってしまうのだ。

一見、部屋全体がゴミ箱に見える私の部屋だが、これは大事なものを守る結界なのである。