漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

→これまでのお話はこちら


昨今、宅配便のお世話になるとしたら主に通販だろう。

通販の発達というのは、特に地方民にとって、画期的すぎる革命であった。

地方というのは、どれだけテレビや雑誌で「こんな素敵な商品がある」と言われても、それを売っている店が皆無なため、その商品が実在しているのかさえ不明であった。

「未確認物体を紹介している」という意味では田舎の民にとってViViもムーも大して変わらなかったのである。

それが通販の発達により、店舗が都会にしかないような品でも軒並み入手が可能になった。

ただ通販で今は亡き聖典KERA※に載っているような服を全身揃えても、田舎で最も人が多いの場所は銀行、病院、免許更新所なため、それが合うロケーションが存在しない、という問題は未だ解決していない。

ちなみに、買える環境になっても買える金があったわけではないので、1枚だけ買ったデザイナーズブランドの服に、俺たちのファッションセンターしまむらで買った、似たような服を合わせるという上級テクを使っていた。

しまむらは無難すぎるユニクロと違い「謎の十字架や誰の物かわからないドクロが描いてある黒い服」の品ぞろえには定評がある。

ファッション面において、「しまむら」があるという点だけは都会より先んじていると言えよう。

この「しまむら」と「通販」により、田舎に悪い意味でのファッションモンスターが次々と爆誕、この黄金タッグに場外のファンと良識ある親は失神不可避であった。

このように、通販のおかげで大変便利になり、地方格差が若干和らいだのだが、逆に「現地に行って買う」という意味や楽しみは激減してしまったように思う。

それを考えると、今年残念ながら中止になってしまった「コミケ」は数少ない、マグロの買い付けの次に今でも現地で買うことに意味がある催しの1つな気もする。

DB(ドスケベブック)も最近は多くの所が通販をするし、事前に情報がネットに出るので「目当ての品」というのはおおよそ決まっている物だが、商業ではないのだから、参加者全員がネットに情報を出すとは限らないし、通販をするわけではないのだ。

よって必ず現地に行かないと、買うどころか、発見することも出来なかったであろうお宝が存在するのである。

他にも、ネットで見た時はピンと来なかったが、現品を見たら想像以上に表紙の美少女のケツのグラデがイっちゃってたから買った、という思わぬ収穫もあるし、試し読みで済ますつもりが売り子の眼力(メリキ)が強すぎて買う、というハプニングもご愛敬だ。

そして何より、お宝をパンパンに詰めたトートを両肩に担いだ時の痛みこそが「人生」である。

それこそ戦利品を宅配便で送ることも出来るが、それでは詫び寂びがない。

水着の日焼け跡のように、1センチほど陥没した両肩が俺たちの思い出なのだ。

確かに通販により便利になったし、手に入れられるものは格段に増えた。しかし「通販で全てが手に入るわけではない」ということも、コミケを見ると良く分かる。

今はまだ難しいかもしれないが、コロナが過ぎ去ったらこのコミケをはじめとした「現地即売会」を絶やさず続けて欲しいと思う。

通販というのは、地方民にとってもだが、ひきこもりにとってもありがたいことである。 逆に言うと、ひきこもりの「金をあまり使わない」という唯一の長所が通販により破壊され、正真正銘の厄介者になってしまった、とも言えるが、ひきこもり当人だけにとってはありがたいことである。

しかし、私はそこまで通販を使う方ではないと思う。

何故なら、私はひきこもりの面倒くさがりだが、同時に「せっかち」という、あまりに人間に向いていない設定で生まれてきてしまっているため、欲しい物がその日の内に手に入らないと言うのが嫌なのである。

だが、何せこちらでは欲しくても売っていない、未確認飛行商品が多いため、そういった物は通販で買うようにしている。

最近そういう商品を立て続けに買ったのだが、それで気づいたことがある。

「通販で買うものは想像の1.5倍はでかい」

便所紙がいつも使っているのより1.5倍でかくて、フォルダーに入らないということはないが、買い慣れないものを買うと大体想像よりデカいのだ。

想像せずとも、商品の大きさぐらい書いてあるだろうと思うかもしれないが、世の中には「説明」というものを読むと死ぬ奇病にかかっている人間がいるのだ。

この「通販で買ったもの思ったよりデカい現象」により、2回ほど玄関の段階で詰みかけたし「椅子」に至っては「使う部屋に入らない」までワンチャンあった。

このように、通販には写真で外観は確認できるが「スケール感」を把握できないというデメリットがあり、服などになると、逆に自分のスケールが服を軽々越えていた、ということもある。

通販の発達より、我々の生活は便利になった。

しかし通販によって「全く使えない物を買ってしまい、金をドブに捨て、家が狭くなった」という、さらに人生が不便になった人間もいるのである。

金銭感覚がない人間は、便利でもクレジットカードを持たない方が良いように、ゴミを取り寄せしてしまいがちな人間は、手間でも通販ではなく現品を見て買った方が良い。

※2017年7月号から電子版へ移行