漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

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今回のテーマは「就職活動」である。

就職活動というのは、本人の資質の問題もあるが「時代的ハンデ」も大きくかかわってくる。

就職氷河期には文字通り、優秀な学生ですらなかなか職につけなかったほどだという。

近年、そんな就職氷河期の煽りを受け非正規などにしかなれなかった者を救済する施策が出されているようだが、現在就職氷河期世代は40代前後のフレッシュマンなので若干遅いのではという批判も当然出ている。

とりあえず履歴書を見て「その年まで何やってたの?」から怒涛の説教に入り、採用もしない面接官をむち打ちの刑に処す法律を作るところからはじめてほしい。ちなみに首をイワすほうだ。

しかし、もちろん私のように時代というハンデをモノともせずに、実力のみで上手くいかなかった者もいる。 一応、私も氷河期世代ということになるようだが、今無職なのがそのせいかと聞かれたら、3秒ほど無言で「まあ、そんなとこかな?」と答える。

私は何度も無職になり就職活動を繰り返すというループ系創作の主人公なので、就職活動も何回かやっているのだが、新卒者として活動したのは1回だ。

ちなみに、ある時期になったら、企業が一斉に新卒採用試験をはじめ、学生が一斉に就職活動をはじめるというシステムなのは日本だけだという。

それも形骸化しているし、前時代的なのでやめよう、という意見もあるようだが、そういうシステムだからこそ「な、何かみんな走り出してるから、俺も~!」というボンクラが就職できている、とも言えるので、ボンクラ一味としてはあまり賛成できない。

前にも書いたかもしれないが、私は専門学校のグラフィックデザインコースに在籍してきた。

一体何を学んで、何になるのかさっぱりわからない、と思うかもしれないが、俺も知らん。

ただ漫画専門学校に行きたいと言ったら親に反対されたので、逆にもっとあやふやな学校にすれば、行かせてくれるのでは、という逆転の発想でここを選んだ。

目論見通り、というか大学を受験する気は皆無の娘がこのまま世に放たれたら、事件が起きると思ったのか、親は高い授業料を払って専門学校に行かせてくれた。

当時は全く、そんなことは思わなかったが、親が学費を出してくれるというのは、すごくありがたいことである。

思わず「母ちゃん、父ちゃん、マジ感謝」と、アーティストがたまに罹る奇病「両親リスペクトソング病」を発症してしまう。

ちなみにグラフィックデザインコースというのは文字通りデザインを学ぶコースであり、就職先はデザイン事務所や印刷会社のデザイン部などである。学校の名誉のために言うと、内容はちゃんとしていたし、そういった会社への就職率は高かった。

しかし、専門学校というのは金さえ払えば入れるので、学生のやる気の差が激しすぎるというのだけは事実であり、私は当然やる気があったが、そのやる気は「授業中推しキャラのバストアップイラストを描く」と言う事のみに使われていた。

そんな自分も2年生になると、就職活動をしなければいけなくなったのだが、就職担当教師が立てた作戦は「やる気を見せる」というものであった。

つまり、ない物を見せる、ということだ。見えない物を見ようとするに通じる、バンプオブチキン作戦である。

そもそもやる気というのは目に見えないものなのだが、それをどう見せるかというと「物理」だ。

デザインコースの生徒は、課題として全員「B全」サイズの作品を作ることになっている。 B全とは何か、というとA4とかB5の仲間であり、B族の長である。

ともかく「バカでかいキャンバス」と思ってくれれば良い。

それを面接に持って行けば、作品の良し悪しなど関係なく「でかい」という一点突破でやる気が伝わるという作戦であった。

確かに、駅から面接する会社までの道のりは遠く、望遠鏡ではなくB全版を担いで歩くのは凄まじい重労働であった。 そのガッツが伝わったのか、私はその会社で採用となったのだが、8カ月ほどでメンをヘラッて、ほぼバックレるように辞めた。

ただし、その年の新卒は全員1年以内で辞めており、私は2番目に辞めたので、新卒の中では割とガッツのある方だったと思う。

しかし、ブラック企業でメンをヘラってまで粘り続けることを「ガッツ」と呼ぶのは雇う側の考えである。

雇う側からすればすぐ辞める奴は「根性がない」ということになってしまうかもしれないが、客観的、そして当人のために見れば「クレバーな判断」「見切りが早い」とも言える。

GWを前にすでに会社を辞めたいと感じている人もいるかもしれないが、体調を崩すほど合わない仕事を続けるのは「ガッツ」ではないので、そのやる気はとっておいて、別のところで発揮することをお勧めする。