挨拶はコミュニケーションの基本です。顔を合わせたら、互いが挨拶を交わすことからコミュニケーションが始まる。挨拶があることで、その後のコミュニケーションが円滑に進む。それはビジネスでも変わりません。挨拶は、人間関係の基本とも言うことができます。

一方、ビジネスでは対面以外のコミュニケーション手段もよく使われます。メールや電話などが代表的ですが、これら非対面のコミュニケーションにおいては、挨拶とセットでもう一つ相手に伝えるべきことがあります。それが「名乗り」です。

電話をする際、いきなり用件を切り出すことはありませんよね。相手には自分の顔が見えていません。挨拶とともに名前を名乗ることから会話をスタートしているはず。誰からの電話なのかが分からなければ、相手は戸惑い、用件が正しく伝わることもありません。相手が自分のことを認識してくれたとしても、挨拶や名乗りがないことで失礼な人だと思われる可能性があることは、容易に想像できます。不思議なのは、電話では挨拶や名乗りを自然と口にする人が、メールとなると名乗りを省略してしまうことです。

メールでは、なぜ名乗りが軽視されてしまうのでしょうか。名乗りを書かない人からは、「書かなくても誰か分かるはず」「何度もやりとりをしているから書く必要はない」といった声がよく聞かれます。しかし、こうした考えが相手に誤解を与えてしまったり、円滑なコミュニケーションの妨げとなったりしていることを見落としてはなりません。

署名や送信者名に頼りすぎない

「名乗りを書かなくても誰か分かるはず」という根拠は、主に署名や送信者名の存在です。確かに、それらを見ることで相手が誰なのかを判断することはできます。ただし、署名や送信者名に頼ってばかりでは、円滑なコミュニケーションが期待できないこともあります。

開かれたメールは、通常、上から下へと読み進められます。署名があるのはメールの最後。となれば、受信者は、相手は誰だろうと推測しながら読み進め、最後に答え合わせをすることになります。冒頭に名乗りがあれば、相手が誰であるかを認知した上で読み進めることができる。短い時間で正しく理解できるのはどちらか、言うまでもなく明白ですよね。

署名を確認してから読めば済むことだと思うかもしれません。しかし、そのためには視線の上下運動が必要です。メールの長さによっては画面をスクロールさせることも。些細なことかもしれませんが、それが何度も繰り返されれば、相手のストレスが膨らむ可能性は否定できないのです。

送信者名も、必ず見られているとは限りません。メールの確認方法は人によりさまざま。件名と送信者名を見た上で開封する人もいれば、ただ届いた順番に開封する人もいます。後者の場合、送信者名を確認しないままメールを読み進める可能性は十分。最近は、仕事のメールをスマートフォンで確認する人も増えています。片手で簡単に操作できる方法を考えるならば、後者の確認方法を選択する人が増えることも予想されますね。

用件だけでは相手を特定できない

メールのやりとりが続けば、用件によって相手を判断することができる。これが「何度もやりとりをしているから書く必要はない」という根拠のようです。果たして、本当にそうでしょうか。

ビジネスは多くの場合、一つに限らず複数の案件や業務が並行して行われています。相手が自分以外の人と同じ用件、あるいは似た用件でやりとりをしていることは珍しいことではありません。

プレゼンを明日に控え、企画部から資料の最終確認を依頼されたメール。この用件は自分だけだからと名乗りも書かずに修正を求めてしまえば、同日に開催される、別の担当者のプレゼン資料にその修正が反映されてしまうことも。限られた時間での対応であればなおさら。早とちりによる誤解が生じたとしても、決して不思議ではないのです。

「名乗りを書かなくても誰か分かるはず」「何度もやりとりをしているから書く必要はない」というのは、送信者の思い込みにすぎません。顔が見えないコミュニケーション手段では、挨拶と名乗りはワンセット。それでこそ用件が誤解なく伝わり、円滑なコミュニケーションが実現できるのです。

名乗りが相手に安心、安全をもたらす

残念なことに、近年、ますます迷惑メールの手口は巧妙化されています。中には知り合いのメールアドレスそのままに送られてくるものさえあります。仮にそうしたメールに遭遇したとしましょう。日頃から挨拶や名乗りをきちんと書いてくれる人という認識を相手が持ってくれるなら、不意に届いた名乗りのない「なりすましメール」に違和感を覚え、不用意なアクションは抑制されるはず。挨拶、そして名乗りを書くことは、単なるビジネスマナーだけの問題にとどまりません。相手に真の安心と安全をもたらす配慮にもつながるのです。