全国各地で勃発する嫁姑問題。Twitterでは2人の男の子を子育て中の秋山さんの義母ツイートが話題を呼んでいる。「孫の誕生日プレゼントは水ようかんの空き容器」「手土産にお菓子よりも現金を要求する」……そんな衝撃的な義母との終わらない戦いに挑む秋山さん。今回は「ワンオペで息子がインフルエンザに罹ったとき」の話をお届けしよう。

  • 仕事があるのに息子がインフルエンザに......

    仕事があるのに息子がインフルエンザに……

仕事と育児の両立

働いている母親にとって仕事と育児を両方完璧にこなすのは至難の業である。私は実家が遠方で夫も出張が多く、日中頼れる人間がいない。今日はそんな私が長男の育休明けに初めて義実家に頼ってみようとした話をしたい。

長男は復帰当初認可保育園に入れず、無認可の保育施設に入った。もともと小食なうえに喘息持ちで、気圧の変化や気温の変化に敏感な長男はすぐに体調を崩した。そもそも保育所に預けて1年目の子どもというのは本当に色々な菌をもらってくるわけで、おまけにこの保育施設は検温で37.5度を超えるとお迎えの要請がきた。この数字は働く親にとってはなかなかシビアな数字で、そのボーダーラインを超えることは長男にとって珍しいことではなかった。当時のスケジュール帳を見返すと、復帰して最初の3週間で看護休暇を使い終わり、その後4カ月で有給は半分なくなった。

この年の冬もインフルエンザの流行注意報が出ていた。保育所の掲示板にも、何日に何名発症しました、と張り紙が出される。それが日ごとに更新されていくのだ。こうなるともう神頼みしかない。どうかウイルスをもらいませんように、熱が出ませんように。しかし保育所通い1年目のルーキー、あらゆる感染症に罹る長男には通じない願いだった。

インフルエンザに罹患

その日の朝、起きたときの長男の顔は明らかに元気がなかった。額に手を当てるといつもより明らかに温かい……というか熱い。病院に行くと、診断はやはりインフルエンザだった。「今週いっぱいは登園禁止です」と言われ帰される。 

前述したとおり実家が遠方で夫が出張中の私には、自宅で自分が看病する以外の選択肢はないはずだった。しかし私にはこの時期どうしても休めない仕事があった。今考えると私が休んだところで職場が困ることはほぼなかったし、素直に同僚や上司に頼ればよかったのだが、「仕事も育児も両立したい」「職場に迷惑をかけるわけには」という考えに私の頭は凝り固まっていた。病児保育はこの時期いっぱいで使えない。そうなると私の選択肢は一つしかなかった。

義実家に電話をかけるとお義母さんが出た。平日は旅行でいないことも多かったのでこれは一つ幸運だった。事情を説明して何とか明日だけ長男の看病をお願いできないか聞いてみた。お義母さんしばらく何か独り言を言いながら「明日はちょっと予定があってね」と呟いた。ある程度予想していた返事なだけに、あまり落胆することはなかった。

そうなるとやはり職場に頭を下げて休みをもらうしかない。長男がご飯を食べなかったときのことを考えてフォローアップミルクを買いに行こう、経口補水液も必要になるだろう、何よりも自分が感染することだけ避けなければ……と考えを巡らせているとお義母さんが言った。「明日はダメだけど……」

“明日はダメだけど?”もしかして明後日なら大丈夫なのか。来てくれるのか。助かった、今まで色々とあったが、こういうときに頼りになるのはやはり近くにいる義実家だと私は思った。お義母さんは続けてこう言った。「今日なら行けるわよ」

【今日】きょう。本日。この日。時刻は16時を過ぎている。ここから体調の悪い長男を20時に寝かせようとすると、もはや姑の力を借りるより自分でやった方が楽だった。下手に気を遣って疲れるのはこちらだ。「今日はもうやりくりがついているので大丈夫です」と強めに伝えるも、人の話を聞かない人というのは、本当に人の話を聞かないものである。「あと20分で家を出るからね」という呪いのメッセージを残して電話は切れた。そしてその予告どおり、40分後にお義母さんは我が家の玄関に立っていた。この行動力が明日活かされていればどんなに助かったか。

看病に来てくれた義母

お義母さんの手にはスーパーの袋がぶら下がっていた。「これを孫ちゃんに貼ってあげて」と言われて袋を渡される。袋にはキャベツの葉が1枚入っていた。「これを頭にかぶせてあげなさい」と言うのだ。一応善意で物をいただいたのだからとお礼を言ってはみたが、私の表情筋はこの時点ですでに死んでいた。

お義母さんの持ってきた物はそれだけだった。キャベツの葉1枚。以上。よほど急いで来てくれたのか、キャベツの葉を1枚だけむしって袋に詰めて。ありがたいことだ、とは1ミリも思わなかった。

とりあえず家にあげてお茶を出してみるとそれをソファーにかけて美味しそうに飲む生き物が観察できた。そして明日行く予定の行楽地の情報を延々と語り、長い針が1周する頃に「じゃあそろそろ帰るわね」と言って消えた。夕飯を作ってくれたか、薬局に何か買い出しに行ってくれたか、孫を心配する言葉がけをしたか、答えはすべてNOである。

結局翌日職場に休む連絡を入れると上司はすぐに仕事の段取りをつけてくれた。そして実家に連絡をすると、わざわざ母が飛行機で翌日には我が家に来てくれた。今の私がまだ仕事を続けていられるのはこういう人たちのサポートあってのことである。本当に感謝してもしきれない。

あれ以来義実家に頼ったことはないのだが、未だにお義母さんからはインフルエンザが流行ってくると「あの日孫ちゃんを預かったときのこと、今でも覚えているわよ。あのあと私も家に帰って熱をはかったら37度も出てねえ、でもかわいい孫のためだったから行くしかなかったわ」とまるで隔離病棟で死闘を繰り広げた医療関係者のような話を何度も聞かされることになる。本当は1時間我が家でお茶を飲み世間話をして最後に孫と2ショットを撮って帰っただけなのに。失ったものはあまりに大きかった。