とある空港近くのバー。今日もあまり人がいない。バーテンダーしげさんはグラスを磨き、チーママ・サエコはスマホでネットニュースを見ている。そこにあのペンギンブローチの男が入ってきた。

エンジン爆発の窮地で活躍した女性パイロット

サエコ: 「いらっしゃい」


男:

「こんばんは。今日もお邪魔するよ」


「いつもの、ウオッカベースのドライマティーニでいいですか」


「それで結構。何見てたんだい?」


「ネットニュースなんですけど、この5月にアメリカで起こったサウスウエスト航空のエンジン爆発事故って、機長は女性ってことが出ていたんですよ」


「ああ。エンジンの前部ブレードが破壊して、部品の一部が客席に飛び込んで、女性の乗客がひとり亡くなった事故だね」


「そうです、そうです」


「操縦していたのは58歳になるタミー・シュルツさんという女性機長だ。事故は高度9,800mの高空で起こったけど、急減圧になったのでシュルツ機長はすぐに降下を決断して、そのまま片方のエンジンだけで機を操って空港に戻った」


「すごい決断力と操縦能力!」


「アメリカでは、被害を最小限に抑えたとして『ハドソン川の奇跡』の再現、と評価するメディアもある」


「でも、シュルツさんってどんな人なんですか?」


「実はシュルツさんは米海軍のF18ホーネットという戦闘攻撃機の女性パイロット第1号で、退役後にエアラインパイロットに転職した人だ」


「戦闘攻撃機のパイロットって!」


「日本の自衛隊ではまだ、本格的には戦闘機パイロットはいないが、アメリカ軍では20年以上前から女性が任務についている」


「へえ」


「コンピューターに囲まれた現代の航空機では力は必要はない。シュルツさんの例を引くまでもなく、判断力や操縦技術に男女差はない、というのがアメリカのみならず世界のすう勢だ」


ミス・パイロットは全世界に約7,400人

「でも、女性のエアラインパイロットって世界でどのくらいいるんだろう?」


「全世界で約13万人くらいの人がエアラインのパイロットとして仕事をしていると言われており、そのうち約7,400人が女性という。比率でいうと5%程度だ」


「5%か……」


「技量という点からは性別で差はないことは分かっていても、エアラインパイロットはつい最近まで男だけの世界だった。まだ女性パイロットが多いという状況ではない」


「日本ではどうなんですか?」


「日本では実働のエアラインパイロットは約5,600人だが、そのうち女性は50人程度。1%にいかないというのが現状だ」


「1%以下! これは少なすぎませんか」


「同感だ。日本の代表的なパイロット養成機関である航空大学校が、初めて女性を受け入れたのが1986年。これまで10人以上がエアラインに就職したし、自社養成をした会社もある。しかし、機長になる前に辞めてしまうという傾向があるという」


「セクハラやパワハラがあるんしょうか?」


「10年以上前は『(身長が低くて)ラダー(舵のペダル)に足が付くのか?』などいうパワハラ的言動もあったのも事実だが、今はそういう話は聞かない。それより、女性パイロットを指導した経験のある教官機長が言うには、『会社の働かせ方に問題がある』とのことだ」


「働かせ方?」


「パイロットの世界は飛行時間という経験を積んで、訓練生、副操縦士、機長となっていく」


「そうですよね」


「一方で、結婚・出産・子育てという女性のライフサイクルもある。当然だが、出産と子育てで飛行できない期間が出てくる。すると、機長になるまで男性同期との差が出てくるし、出産前と同じ勤務サイクルでは子育てに支障が出る。その結果、両立できずパイロットを辞めるという選択をする女性が複数いるというんだよ」


「そうなんですか」


「そこで、そのゴリラのようなマッチョな教官が主張するのは、航空会社が女性パイロットが出産、子育てと飛行を両立できる職場環境の整備だ」


「具体的には、どのようなことですか?」


「出産への準備期間を十分にとるのはもちろんのこと。子育ての後に、安定的な操縦技術が戻るよう十分な訓練時間を取ったり、子どもたちと会えるようにちゃんと家に帰れる勤務サイクルを組んだりするなどだ」


「でも、それって、どんな業界でもある出産した女性の職場復帰と同じことですよね」


「そうだね。パイロットも同じだ。パイロットが一人前になるには10年はかかる。航空会社も長期的な視点で環境整備し、女性パイロットが会社に定着してもらえれば損はないはずだ」


「そうですよね」


「そのゴリラ教官も現状を怒りながら、『俺が教えたかわいいパイロットたちが、環境のせいで飛行機を降りることは我慢ならん』って言っていた」


「ゴーマンなんだか、優しいんだか分かりませんね。そのゴリラ教官さんは(笑)」


2030年問題で期待される女性活躍

「でも、これから日本で女性パイロットが増えるんでしょうか?」


「いいや、増えてもらわなくては困るんだ。単に女性活躍という理念的なものだけではなく、実際的にね」


「困るんですか?」


「パイロットの2030年問題ということをサエコさんは知っているかな?」


「え~と、たしか2030年に今いるパイロットが大量退職するっていう話でしたっけ?」


「まあ、5分の1程度の正解だね。現在のエアラインパイロットは40~45歳に約1,800人、つまり、全体の3割以上が集中している。いわゆるバブルの時に養成された人たちだが、その人たちが2030年頃に定年で大量退職する。このままでは国内のパイロットが足らなくなる。それが2030年問題だ」


「3割の人が5年でいなくなる。それって大変なことじゃないですか」


「パイロットが足らないということは直接、輸送力の低下になる。もちろん、航空大学校の養成数を増やすなどの対策を進めている。一方で少子化の世の中では、様々な分野で優秀な若い人材が取り合いになる」


「そうですよね」


「そこで大きな期待がかかるのが女性だ。もともと安全第一、定時性が求められる職場だ。コックピットは女性が十分に活躍できる職場だと思う。どんどんチャレンジしてほしいね」


「これからの活躍に期待ですね!」


「でも、女性パイロット特有の悩みがひとつあるんだ」


「えっ、悩み?」


「それは、雲の上の高高度を飛ぶときは紫外線が強いので、コックピットにいるとすぐ日焼けしてしまう。現役の人に聞くと日焼け止めは必需品とのことだ。ゴリラ教官も『女性パイロットを増やすには、まず、日焼け止めの支給からかなあ~』と言っていた」


「意外と女ゴコロが分かる~。よ! ゴリラ教官(笑)」


しげさん:

「お客さん」


「ん?」


「知っているね」


イラスト: シラサキカズマ