空港近くのスナック。今日もバーテンダーのしげさんとサエコは手持ちぶさた。サエコは手にしていた新聞をたたむ。

戦後世界の競争の中で

サエコ: 「しげさん、今日も暇ね。できるチーママらしく、情報を仕込んでいるっていうのに……」


しげさん:

「……。いらっしゃいませ」


「あ! いらっしゃいませ。お待ちしていました」


男:

「こんばんは」


「新聞を読みながらいらっしゃるのを待っていたんですよ。いつもの、ウオッカベースのマティーニでいいですか?」


「待たせてしまったようだね、それはすまなかった。うん、マティーニを頼むよ。で、今日のトピックは何だったかな?」


「JALがアメリカの超音速旅客機ベンチャー企業のブーン社という出資するというのが載っていましたよ。新しい超音速旅客機(SST)は50人乗りの小型旅客機となる予定と書いてありましたよ。なんで今、超音速旅客機なんですかね?」


「そうだね。サエコさんはコンコルドっていう飛行機の名前は聞いたことがあるかな?」


「飛行機といえば、やっぱりアメリカのイメージですけど……」


「いや、コンコルドはイギリスとフランスが共同開発した超音速旅客機なんだよ。超音速旅客機の話をするなら、少し歴史の話になるけど、コンコルドから始めるのがいいかもしれないね。その前に、飛行機の利点はなんだと思う?」


「電車などに比べて考えたら……早く遠くへ移動できることかしら」


「その通りだね。飛行機は『より遠くへ、より早く』を目標として発達してきた。これは、敵に勝つという軍事目的を実現する手段として国家が主導し、資金を出す形で発展してきた面も大きい」


「軍事ですか……」


「航空の発展は、軍事と表裏一体という部分があるのが現実なんだよ」


「う~ん」


「で、そのより早く、つまり、その速度を高める研究をしていくうちに、音速に近づくと飛行機の前部分は空気の摩擦で高温になったり、衝撃波が発生するなど『音速の壁』があったりすることが分かってきた」


「音速の壁ですか……」


「ちなみに、音速を示すマッハ数は気温や気圧で変わるが、一応の目安として、マッハ1は気温15度、1気圧で秒速340.31m/時速1,225kmというのが航空界の基準。だいたい新幹線の4倍といったところだ」


「新幹線の4倍! どれだけすごい数字なのか、なんとなくイメージできたような気がします」


「この音速の壁を突破しようと、アメリカ、フランス、イギリスが技術開発の競争を進めて、1947年にアメリカのテストパイロット、チャック・イェーガーがX1という飛行機で音速を初めて突破することに成功するんだ」


「1947年ってことは……戦後2年目ですね」


「まだ、戦争の影響が残る中、技術的優位はそのまま戦争の勝利に結びつくという考えが強かった時代で、まさに国の威信をかけた開発競争だった。この後、超音速戦闘機や超音速爆撃機などが開発されていったんだよ」


時代を先取り過ぎたコンコルド

「そして1950年代には、この超音速飛行の技術を旅客機に応用しようという動きも出てくる。しかし、開発には多額のお金がかかる。そこで、1962年にイギリスとフランスがそれぞれの技術と資金を持ち寄って共同で開発しようということになった」


「それがコンコルド計画ですね」


「そう。ちなみ"コンコルド"とは『協調』という意味だ。2国の協力での開発とあって、世界の航空会社の注目を集め、日本航空を含む世界の主要な航空会社から80機近い仮発注があった」


「すごく人気があったんですね」


「たしかに、新しい時代を予見させる飛行機だったからね。1969年には初飛行、1972年には日本にもデモ飛行にやってきた。約100人乗りでマッハ2.04、つまりは、時速2,500kmで飛び、ニューヨーク=パリを普通のジェット旅客機で8時間かかるところを3時間半で結ぶことができた。だけど、同時に様々な不安が生まれつつあった」


「不安?」


「そう。まず、ソニックブーム(衝撃波)の問題。ソニックブームは地上にすさまじい爆音が届く。世界的な環境保護運動の盛りあがりの中で、米国内では就航をめぐって裁判沙汰まで起きた。これにより、コンコルドは洋上など人が少ない場所でしか音速では飛べなくなった。もうひとつはオイルショック。燃料費が高騰したせいで、100人程度しか乗れない機体では採算が取れなかったんだよ」


「せっかくの夢の超音速旅客機なのに」


「夢は大切だが、夢は常に現実と戦わなくていけないんだ。これに加え、300人が乗れるというボーイング2707という超音速旅客機の計画が発表され、アメリカの航空会社はこっちに乗り換えた」


「その超音速旅客機も、今では飛んでいないんですよね?」


「アメリカの超音速旅客機もソニックブームと燃費が問題となった。そのうち、多くの人が運べる巨人機計画が注目を集めた。多くの人に乗ってもらう、つまり、"多売薄利"の方がもうかると分かったからね。ボーイングなどはそっちに注力し始める。それが、747型機ジャンボジェットなど大型旅客機になっていくんだ。結局、アメリカの超音速旅客機は開発中止になったというわけなんだよ」


「そうだったんですか」


「その後、2000年代までコンコルドは開発国のイギリスの英国航空とフランスのエールフランスのみが使用していた。だが、決定的なことが起こった」


「決定的なこと?」


「それは、2000年7月に発生した墜落事故だ。パリのシャルル・ドゴール空港で離陸途中で滑走路に落ちていたタイヤ片で燃料タンクを破損。炎上して墜落して乗員乗客と地上にいた人、合計113人が死亡した」


「それはひどい……」


「一応、2001年には運航が再開されたが、ちょうどアメリカ同時テロと重なって客足が伸びず、2003年に営業飛行を終えた」


今再び超音速旅客機プロジェクトが動いた理由

「なんか悲しい結末ですね」


「しかし、超音速旅客機の研究自体は日本も含む各国で続けられていた。やはり、『より早く』は人類の夢でもあるからね」


「で、ここにきてなぜ超音速旅客機なんですか?」


「まず、技術的要素がある。コンコルドで一番問題だったのはソニックブームだ。ここ10年でコンピューターの性能が飛躍的に向上した。これで実験ではなく、数多くのシュミュレーションができるようになった。過去の技術的蓄積もあり、ソニックブームを改善できる可能性がでてきた」


「それは朗報ですね」


「実は今年4月、NASA(アメリカ航空宇宙局)はミサイルなどでも知られるロッキード・マーティン社と契約して「ローブーム試験飛行機」の製作に乗り出した」


「ローブーム?」


「低いソニックブーム、つまり、低騒音の超音速旅客機実験機だ。2021年には初飛行をして2022年には、実際にアメリカの都市内での飛行を目指している。実はJALが出資するブーム社も、目指すところは低騒音超音速旅客機。初号機の納入は2023年が予定されている」


「すぐ、そこじゃないですか」


「それともうひとつは、やはり需要があるということだ」


「需要、乗る客がいるということですかね」


「そうだ。今はLCC(ローコストキャリア)は花盛り。さらに、安い運航費の電気飛行機なども開発中だ。でも、金を出しても早く目的地につきたいという人、例えば、富裕層や高額の取引をするビジネスマンなどは確実にいる。特に経済がグローバル化すればするほど、そうした人は増える」


「時は金なり、という人ですね」


「ブーン社以外に低騒音超音速旅客機開発に名乗りを上げているベンチャーもあり、その大半は10人乗りのビジネスジェット。ブーン社も現在、ビジネスジェットで移動している人が主なターゲットにしている。それに加えて、戦闘機のパイロット以外、超音速飛行を経験する人はいないわけで、そうしたイベント的な需要も見込めるから、座席は十分に埋まるだろう」


「でも、先立つものが気になりますね」


「まず、ブーム社の新SSTの価格は214億円程度になる見込みだ。よく見かけるボーイング787-8がカタログ価格で248億円で機体自体の価格はちょっと安めだ。しかし、JALは787を長距離国際線では約160席で運航しているから、単純計算で座席あたりの価格は2.8倍にもなる」


「やっぱり高いですね。でも、私も乗って超音速を体験したいです! いくらぐらいで乗れるんだろう」


「コンコルドの大西洋路線の料金はファーストクラスの約1.2~1.5倍だった。運航コストが下がれば料金ももう少し下がるだろう。座席の単価から見ても、やはりファーストクラスは下回らないと思う」


「う~ん。宝くじでも買ってみようかしら」


「そ、そうだね。祈っているよ」


「お客さん」


「ん?」


「知っているね」


イラスト: シラサキカズマ