今日も誰もいないスナック。バーテンダーのしげさんがグラスを磨き、チーママ・サエコがネットニュースを読んでいる。そこにペンギンブローチの男と女性が入ってきた。

フライトドクターは医者歴10年以上が一般的

サエコ: 「こんばんは。あれ、今日はお連れさまがいらっしゃるの?」


男:

「ああ。こちらはさーたり先生。いつもはエアラインの話が多いが、今日は映画版『コードブルー』も公開されるんで、少しドクターヘリの話でもしようかと思ってね」


「同じ空を飛ぶものですからね」


「で、さーたり先生は外科が専門でドクターヘリに乗っていた元フライトドクターだ。マンガも描いていて、マイナビニュースの 『オペ室より愛をこめて』や『腐女子の医者道』っていう本も出してる先生だ」


さーたり先生:

「こんばんは」


「フライトドクターって、あの『コードブルー』の主人公たちと同じじゃないですか! 実際にお目にかかれるなんて!! 握手してもらってもいいですか?」


「それほどではないけど(笑)。じゃ~握手ね」


「それじゃ、注文いいかな」


しげさん:

「興奮中のサエコに代わり承ります。いつものウオッカベースのマティーニと、先生は?」


「それではノンアルコールのモスコーミールで。明日も仕事なので」


「承りました」


「先生! フライトドクターには山Pみたいな若くてかっこいいお医者さんはいますか?」


「あれはまぁ……ドラマだからね(笑)」


「やっぱり……そうですよねぇ」


「そもそも、あまり若い人はいないわ。やはり救急で経験を積まないとヘリに乗れないの。私は医者6年目で乗ったけど、10年以上経験してフライトドクターになる場合が多いから、平均しても少し年齢は高めになるわね」


「ドクターヘリって、私たちも呼べるんですか?」


「一般の人は呼べないの。まず119番で救急隊が行き、命の危険があると判断すると、ヘリが待機する救急救命センターに連絡が行って出動する、という流れね」


「出動判断が下るとパイロットと整備士がヘリに駆けつける。航空局や地上の消防隊などとは、コミュニケーション・スペシャリスト(CS)と呼ばれる職種の人が連絡・調整をしてフライトプランを出したり、着陸場所を選定したりする。ヘリにフライトドクターとフライトナースが搭乗すると、離陸となる」


「あっ、テレビでおなじみのシーンですね」


「ドクターヘリの基本戦略は、お医者さんが患者さんに早く接触して悪化を防止して、より高度な処置ができる医療機関に搬送することだ。ただ、乗っていける医師は基本はひとりなので、全てその医師が判断することになる」


「処置以外にいろいろなことをするんですか?」


「医療的にはフライトナースさんへの指示。救急隊やパイロット、整備士さんには搬送での注意。さらに患者さんの家族にも説明しなくてはいけないし、受け入れてくれる病院を直接、携帯電話で探すことなどもやりますよ」


「大変そう……」


実際はそんな現場に突撃しない!?

「ちょっと『コードブルー』の話をしてもいいですか。話の中でさすがに現実ではないなって先生から見て思うことってありますか?」


「よく災害が起きるなぁ(笑)と思いつつ見ているけど、それとは別に、救助隊が安全を確保しない現場によく入っていくなって。まず、ドクターが安全を確保しなければ患者さんは救えないから、本当の現場ではもっと慎重にならざるを得ない」


「そんな違いがあるんですね。他には何かありますか?」


「機内では基本的には、治療はしないわ。震動があるし狭いので、なかなかうまく治療ができないから。だから、乗せる前に処置をする」


「へぇ~」


「運航面で言えば、たしか新米の医者が"急いでくれ"とパイロットに指示して着陸に失敗するみたいな描写があったけど、ヘリ運航面の最高責任者はパイロットだ。その意識があるので、何か言われて動揺するようなパイロットはいない。医療的要求より運航安全の方が大切だからだ」


「逆に、これはリアルだなぁって感じたシーンはありますか?」


「病院外の現場での治療方法はほぼ正確。ここはしっかりと本業のお医者さんが見ているんだろうなって」


「ヘリ着陸前に、支援の消防隊が水をまく描写があったけど、それは砂が舞い上がって視界が遮られるブラウンアウトという現象を抑えるため、現実でも行われている。ただ、撒きすぎると足元がべちゃべちゃになって、機外へ出たドクターやナースが滑って転びそうになることもあるけど」


「ドクターヘリって夜も飛べるんですか?」


「運航は病院によっても違うけど、朝8時頃から日没1時間前と決められているの」


「ヘリは基本的に有視界飛行だ。夜間では山の稜線や送電線などの障害物が見えず、回避できない。アメリカの研究では医療用ヘリの夜間飛行の事故率は昼間の2倍以上になるとも言われている。地域の人たちからは夜間運用を……という声があるのは事実だが、夜間飛行には専用の装備や訓練が必要だ」


ドクターヘリ界でもパイロット不足

「ところでフライトドクターの人たちは待機中、食事はどうしているんですか?」


「フライトドクターとして勤務中は、そばなど汁物は厳禁。緊急出動が入って、置きっ放しで伸びて無駄になっちゃうから。一度、出動して帰ってきたらラップがバンパンになっていたってことも過去にはあったわ。だから、私の場合はおにぎりを用意して、それを機内で食べていたわね」


「パンパンのそば……おいしくないんだろうな。パイロットや整備さんたちも同じですか?」


「ほぼ同じ。いつ出動があってもいいように待機室からは離れられないので、コンビニ弁当などが多い。だから、ドクヘリ勤務中は太ると嘆く運航関係者もいるんだよ」


「へぇ~」


「実は医者の世界では、フライトドクターはあまり人気がないの。すごく大変だし、患者を回復する最後まで見ることが少ないから。それに、人が亡くなる現場には多く遭遇するから、それを気にする人には向かないわ」


「そうですよね。生き死にに関わる事態だから出動するわけですもんね……」


「運航面でもドクターヘリはパイロット不足なんだ。もともとヘリパイは激務だし、給与もエアラインに比べて少ない。それに、高齢化も進んでいる。そこで昨年、これまでドクターヘリ・パイロットは、業界内の規定で飛行2,000時間以上の経験が条件だったものが、飛行1,000時間に緩和された。若いパイロットに、早めにドクヘリ業務に参加させて経験を積ませようということだ」


フライトドクターのやり甲斐とは

「先生は実際に経験されて、フライトドクターだからこそのやり甲斐は感じられましたか?」


「それはもちろん! 今は私は地上で外科医をやっているけど、チャンスがあればまたヘリに乗りたい」


「やっぱり、先生かっこいいです!!」


「民間ヘリの世界は、物資輸送や建設現場など地味で"黙って飛んで、黙って仕事をする"みたいなイメージがあったけど、ドクヘリ運航をするようになってからは"ヘリコプターが社会の一員として役立っているとイメージされるようになった"とヘリ会社の幹部が言っていたな」


「ドクターヘリは限られた時間と装備の中で、どのくらいやれるかということが試される。それは医療と航空だけでなく、救急隊や地上の支援隊など、みんなで"命"を支えるの共同作業なの。それは知っててほしいわ。あっ、時間だ。もう行かなくちゃ」


「最後に一杯、これをどうぞ。店からのエールです(手元には黄色のカクテル)。時間が厳しい中でお仕事をされるさーたり先生に、ぴったりのノンアルコールカクテルです」


「あっ、酸味があっておいしい。レモンかしら。すっきりしてて好きかも」


「『シンデレラ』だね。さわやかで疲れがとれる。しげさん……」


「はい?」


「知っているね」


イラスト: シラサキカズマ