
2005年12月、東京・秋葉原の専用劇場で産声を上げたAKB48。「会いに行けるアイドル」を掲げ、劇場公演と握手会を通じてファンとの距離を縮めるという、それまでのアイドルにはなかった活動のかたちを作り上げた。ファン投票によって選抜メンバーを決める「選抜総選挙」は社会現象となり、国内各地と海外に広がった姉妹グループは「48」という文化をアジアへと運んだ。プロデューサー・秋元康の歌詞と、衣装デザイナー・茅野しのぶが手がける衣装は、グループの表現を20年にわたって支え続けている。2025年12月、結成20周年を記念した日本武道館公演では、OGを含む総勢183名が集結。21年目に入った今年は、「第二期黄金時代」を掲げ、新たな一歩を踏み出した。本稿では、アメリカ在住の音楽ライター・羽村萌の視点から、AKB48が歩んできた道のりと、その独自性を改めて振り返る。
エンターテイメントには、「人の心を動かす」力がある。これまでにも、多くのスーパースターがいたし、その人に憧れたことが、自分の人生のきっかけになったという人も少なくない。ただ、「憧れ」の対象となるスターは、多くの場合、自分とはかけ離れた存在でもある。
AKB48がユニークなのは、その距離を近づけたこと。「私もこの人と一緒に活動したい」──そんな感覚を、現実のものにした代表的なグループだと思う。
2005年、東京・秋葉原の小さな劇場で結成されたAKB48は、定期的に劇場公演を行い、「会いに行ける」というコンセプトを掲げて活動を始めた。ある日、劇場の機材トラブルによって公演が中断。劇場まで足を運んでくれたファンへの対応として、メンバーがファン1人ひとりと握手をして言葉を交わしたことから、「会いに行って、会話もできる」というファンとのコミュニケーションの形が生まれた。
2009年には、ファン投票でステージに立つメンバー(選抜メンバー)を決める「選抜総選挙」が開催された。1位を獲得すれば、次作の楽曲でセンターポジションを務めることができる。投票期間中のメンバーの活動は、まさに努力の賜物で、開票イベント当日の会場の緊張感やファンの声援は、さながらスポーツ観戦のようでもあった。回を重ねるごとにイベントの規模は拡大し、主要テレビ局が生放送するほどの社会現象へと発展した。一方で、実力や人気だけではなく、”運”を味方につけた「じゃんけん大会」で選抜メンバーを決める遊び心もある。
2010年代に突入すると、AKB48は日本のお茶の間に欠かせない存在となった。2011年の東日本大震災の際には被災地を訪れ、パフォーマンスや握手会を通して「笑顔」を届ける支援活動も行った。その翌年には、外務省が中国で展開する「元気な日本」キャンペーンの応援団に就任し、震災後の日本の活力と魅力を海外に伝える役割を担った。
日本のポップアーティストを代表して、真っ先に動く。それも、グループが大切にしてきた姿勢のひとつのように感じる。
メンバーは、加入と卒業を繰り返しながら世代を重ねていく。そのコミュニティの中には、「総監督」と呼ばれるリーダーがいて、メンバーを束ねるだけでなく、ときにはグループの精神的な支柱となり、現場の意見をプロデューサーやマネジメント層に伝えるなど、運営にも関わってきた。また、卒業したメンバーは、女優、番組ホスト、経営者、あるいは芸能界引退など、それぞれが新たなキャリアを歩む。そうした姿を見ていると、主に10代から20代の女性たちが、それぞれの可能性を模索しながら次のステージへ進んでいく、エンパワーメントの側面もあるように感じる。
アジアに広がる48グループ
AKB48の結成から数年の間に、日本の各地域に根ざした姉妹グループ(48グループ)が次々と誕生した。愛知・栄のSKE48、大阪・難波のNMB48、福岡・博多のHKT48、新潟のNGT48、瀬戸内のSTU48。メンバーには各地域の出身者も集まり、それぞれの地域性や”地元愛”を感じさせる楽曲も発表された。その文化は海を越え、インドネシア・ジャカルタのJKT48、タイ・バンコクのBNK48とチェンマイのCGM48、中国・上海のTSH48、台湾・台北のTPE48、マレーシア・クアラルンプールのKLP48などにも広がった。海外の48グループでは、AKB48の多くの楽曲が現地の言語でカバーされている。中でもBNK48のタイ語版「恋するフォーチュンクッキー」は、現地で広く親しまれている一曲だ。日本からアジアへ一方通行に広がったのではなく、各地域で新しい形をつくりながら48グループが認知されていったのだ。
日本ではカラオケ文化が根付いている。歌詞が表示された画面を見ながら、「やっぱりこの曲、いい歌詞だな」と思うことがある。
日本の文学史に目を向けると、日本現存最古の歌集とされる『万葉集』が編まれたのは、今から約1,300年前。そこには、季節、自然、色彩、恋、喜び、悲しみといった、人々の暮らしの中にある情景や感情が、さまざまな言葉で詠まれている。日本語は、ひとつの言葉や表現にも複数の意味やニュアンスが重なり、文脈によって受け取る印象が変わる。そうした日本語ならではの豊かさを、曲中の限られたフレーズの中に凝縮することは、歌詞の大きな魅力でもあり、その奥行きまで含めて多言語に置き換えることは、決して簡単ではないことを伝えておきたい。
筆者がアメリカへ移住した後、現地の友人に美空ひばりの「川の流れのように」を歌って聴かせたことがあった。「人生を一本の川に例え、焦らずに流れやおだやかな時間に身をまかせて生きる大切さ」を歌った曲だと伝えると、深く感動していた。この曲の作詞を手掛けたのが、秋元康だ。「日本作詩大賞」や「日本レコード大賞」の作詩賞など多数の受賞歴を持つ、業界屈指の作詞家である。「川の流れのように」は、リリースから37年の時を越えて今年、一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)による「JASRAC AWARDS」を受賞した。
銀賞????『川の流れのように』作詞者 秋元 康さん、作曲者 見岳 章さんからコメントをいただきました???? #JASRAC賞 #川の流れのように #秋元康 #見岳章 #サントリー生ビール #CMソング https://t.co/Z40ApUdCI1 — JASRAC(公式) (@JASRAC_1939) May 20, 2026 これまで数多くのアーティストに歌詞を提供し、時代を象徴する楽曲を世に送り出してきた彼がAKB48の生みの親であり、グループ全体のコンセプト設計から楽曲の作詞、衣装をはじめとするクリエイティブイメージに至るまで、総合的にプロデュースしている。
彼の作詞スタイルのひとつとして、身近でキャッチーなものに人生をたとえ、聴く人の日常に寄り添う言葉で「人生観」を描くことが挙げられる。AKB48の代表曲「365日の紙飛行機」では、「人生は紙飛行機 願い乗せて飛んで行くよ」というフレーズが登場する。「紙飛行機は、どれだけ遠くまで飛んだかを人と競うものではなく、自分がどんなふうに、どこを飛んだかが大切」というメッセージが核になる。同曲は、日本の音楽教科書に採用されたほか、小中学校の授業や校内行事の合唱曲としても親しまれるようになった。
彼のことを知る作家から、「秋元さんが『日常の些細なことにどれだけ気づけるかどうかだ』って言っていて、なるほどと思ってね」という話を聞いた。それは、彼のクリエイティブの本質や、人生の豊かさを物語っているようにも思えるし、日本のポップミュージック特有の「言葉の親しみやすさ」にもつながっているように感じる。
クラフトマンシップが施された衣装
アメリカで「学生服」をモチーフとした衣装といえば、ブリトニー・スピアーズの「...Baby One More Time」が定番だが、日本ではハロウィン時期になると、AKB48”風”の学生服衣装がコスチュームショップに並ぶ。こうしたグループのイメージを確立したのが、衣装デザイナー・茅野しのぶだ。
グループの衣装を長年手がけてきた彼女は、メンバー1人ひとりの個性を引き出す衣装を数多く生み出してきた。装飾やシルエットはもちろん、ステージパフォーマンスや曲間の早着替えにも対応できるよう、機能性にもさまざまな工夫が凝らされている。そこには、日本の「ものづくり」に通じる、妥協を許さない職人の感覚がある。
着るメンバーのイニシャルをデザインに忍ばせたり、さらには、「多忙を極めていたメンバーに楽しんでほしい」という想いから、靴の中敷きに「48」の文字を入れるなど、一見しただけでは分からない部分にまでこだわり抜く。
「あの衣装が着たい」と思うパフォーマーがいて、「次はどんな衣装になるんだろう」と楽しみにするファンがいる。衣装は、音楽表現の一部であると同時に、メンバーがステージに立つためのモチベーションや、自分らしさを表現する手段にもなっているのだ。現在は、衣装展の開催や、YouTubeなどを通じたメンバー個々の発信によって、AKB48の衣装そのものにも高い関心が寄せられている。

2025年12月、AKB48は結成20周年を記念し、日本武道館で4日間のコンサートを開催した。ライブには歴代のOGメンバーたちも応援に駆けつけ、メンバーにとっても、ファンにとっても「懐かしさ」と「現在」が交差する時間が流れた。初代総監督の高橋みなみが、自ら初期メンバーへ出演を依頼したというエピソードも、「自分たちで作り上げる」という当事者意識があってこそ生まれたものだろう。

現総監督の倉野尾成美が「21年目以降は私たちの時代。第2期黄金時代を築く」と決意を表明したように、今年のAKB48は、次の第一歩を踏み出しているように見える。
最新シングル「好きish」は、「好き」と英語の「-ish(〜っぽい)」を組み合わせた造語だ。青い空に伸びる飛行機雲を「まるで矢印みたいな一方通行」と、片想いのもどかしさを比喩する。言葉の職人・秋元康が今作で描いたのは、「臆病さ」の解像度だった。ミュージックビデオにはAKB48ならではの学生服を意識した衣装が登場。海外のプロムパーティーにインスパイアされたシーンは新鮮で、さらに過去の楽曲のミュージックビデオを彷彿とさせる場面も随所に散りばめられ、往年のファンなら思わずニヤリとしてしまう仕掛けもある。
同曲でセンターを務める伊藤百花は、早くも来年2月発売のシングルでもセンターに立つことが発表されている。3作連続でセンターを務めるのは、かつての”絶対的センター”、前田敦子以来だ。
9月には、新井彩永が半年間の海外留学を発表。英語圏の文化を吸収したいという、次なるステージへのチャレンジも始まっている。そして、AKB48がグラミー賞にエントリーしたことも明らかになった。かつては、熾烈な「選抜総選挙」を経験してきたグループだ。多くの日本のアーティストが世界へ活動の場を広げる今、グループとしての次なる挑戦の舞台を海外へ求めるのも、自然な流れなのかもしれない。
世代を超えて共に歩んできたメンバーと、彼女たちを支えてきたファン。秋元康が生み出してきた、日本の情緒を映す歌詞。茅野しのぶが手がける、日本の「ものづくり」を体現する衣装。そして、東京・秋葉原の劇場という、会いに行ける場所。長い歴史の中で紡がれてきた、「AKB48」という文化そのものが、ひとつの「J-POP」というカタチなのではないか。
結成から21年目。いま、AKB48の新たな向こう岸が見えてきた。

AKB48 Official HP:https://www.akb48.co.jp/



