クワイエット・ライオットを歌い継ぐ23歳 ウォークマンで聴いていた憧れのバンドの一員になるまで

ほんの5年前、ジョン・トーラ(John Torra)は、ソニーのウォークマンでクワイエット・ライオット(QUIET RIOT)のカセットを聴きながら、米ロングアイランドの高校の廊下を歩いていた。愛聴していたのは、ほかにもシンデレラ、ヴァン・ヘイレン、レッド・ツェッペリンなど。長く伸ばした髪に、ピンバッジを付けた袖なしのデニムジャケット、モトリー・クルーのTシャツ。2021年の高校生というより、1987年からタイムスリップしてきたようだった。

「ほかの子たちの多くは、今のポップやヒップホップを聴いていたから、『うちの父親みたい』『変なやつ』って言われた。でも、先生たちには好評だったんだ」とトーラは振り返る。経済の授業中、先生が彼を見て授業を止め、「もし今が1986年だったら、ジョンは私の隣の席で授業を受けていただろうね」と話したこともあった。その先生も、今ごろ誇らしく思っているはずだ。トーラは23歳にして、クワイエット・ライオットの新たなリードシンガーに選ばれた。10月1日のオクラホマ州ウェスト・サイロアム・スプリングス公演を皮切りに、憧れのバンドとステージに立つ。

人生が変わったのは11歳のとき。地元ロングアイランドのマサピークアを、父のピックアップトラックで走っているときに聴いた、ヴァン・ヘイレンの「Mean Street」だった。幼いころから祖母にはエルヴィス・プレスリーを聴かせてもらい、母はシカゴやアメリカ、ディスコを好んでいた。だが、この曲の衝撃は別格だった。「あのイントロを聴いて、『これ、何の音?』と聞いたら、父が『ギターだよ』って。『ギターでこんなことができるの?』と思った。その瞬間、すべてが変わった。このジャンルや、こういう生き方に夢中になったんだ」

2014年当時、10代の間で80年代のハードロックやヘヴィメタルが大人気だったわけではない。だが、トーラは気にしなかった。ギターを手に取り、取りつかれたように練習し、髪を伸ばし、デニムの服を買い集めた。80年代メタルの本やドキュメンタリー、YouTube動画を片っ端から見て、ウォークマンも手に入れた。「自分もあの時代にいるような気分になれるのが、かっこいいと思った。当時の熱気を感じて、あの世代の人たちと同じ体験をしてみたかったんだ」。父と叔父も、ヴィクセン、キックス、グレイト・ホワイト、ドッケンなどを教え、その熱中ぶりを後押しした。

父は80年代に地元のバンドでドラムを叩いていた。トーラは、髪を伸ばし、メイクをした父の昔の写真を見るのが好きだった。「若者たちがクラブに出かけて、何の心配もなさそうに仲間と遊んでいる。そこにすごく惹かれたのは、自分と同い年の子たちを見ても、そういう光景がなかったから。誰も出かけないし、パーティーにもクラブにも行かない。みんな家でスマホを見ている。だから、『僕は、いい時代に生まれ損ねたんだな』って思っていた」

15歳になるころには、往年のサウンドを志向するバンドでギターを弾き、音楽スクール「スクール・オブ・ロック」でも腕を磨いていた。同時に、自分にはツェッペリンやエアロスミスを力強く歌い上げる声があることにも気づいた。高校卒業後は大学でマスコミュニケーションを学び、2025年に卒業。勉強の合間には、メンバー募集サイトを通じて結成したファイア・アンド・アイス(Fire N Ice)でライブを重ねた。スキッド・ロウ、シンデレラ、ラットのカバーから始め、次第にオリジナル曲も演奏するようになった。

ただし、出演先探しは簡単ではなかった。「『ヘヴィメタル』と言った瞬間に、『うちでは要らないね。ビリー・ジョエルやビーチ・ボーイズならいいけど、オリジナル曲やヘヴィメタルならお断り』って感じだった」。それでもバンドはEPを発表し、ニュージャージー、ニューヨーク州北部、ペンシルベニアを回り、ときにはロサンゼルスでも演奏するようになった。

今年2月、スキッド・ロウが新たなリードシンガーを募集すると、トーラはオーディション動画を送った。返事はなかったが、諦めなかった。数カ月後、クワイエット・ライオットがジジー・パールの後任を探していると知り、再び挑戦したのだ。同バンドでは、ボーカルのケヴィン・ダブロウが2007年に、ドラマーのフランキー・バネリが2020年に他界。全盛期のラインナップから在籍しているのは、ベーシストのルディ・サーゾだけだった。「募集が出たとき、いろんな人が『真っ先に君のことが浮かんだ』と言ってくれた。だから迷わなかった。すぐに曲を聴き込んで、細かいところまで研究した。そして翌日、自分の歌を録音したんだ」

送ったのは「Metal Health (Bang Your Head)」「Cum on Feel the Noize」、そして「Run for Cover」を歌う動画だった。「自己紹介と連絡先を添えてメールで送った。それから、『インスタグラムにも上げておいて損はないか』と思ったんだ」。翌朝、スマホは通知で埋め尽くされていた。「メッセージや『いいね』、フォロワーの通知で、爆発しそうになっていた。一晩でフォロワーが何千人も増えて、動画も何千回、何万回と再生されていたんだ」

ファンだけでなく、L.A.ガンズのトレイシー・ガンズ、ストライパーのマイケル・スウィート、ジェフ・スコット・ソートらからも賛辞が届いた。「ケヴィン・ダブロウみたいにこの曲を歌える人間が、今の世の中にいることに、みんな驚いていたんだ」。もともと似た声質だというが、ダブロウの歌唱法も研究していた。「完全にオタクになって、昔のインタビューまで読んだ。常温の水をたくさん飲んでいたことや、呼吸をしっかりコントロールしていたことが書かれていたんだ」

憧れのバンドから届いた一本の電話

転機は、ファイア・アンド・アイスがロサンゼルスのウィスキー・ア・ゴーゴーで、スティールハートの前座を務めた日だった。ステージ衣装で会場へ向かう途中、携帯に表示されたのは「レジーナ・バネリ」の名前。クワイエット・ライオットのマネージャーで、故フランキー・バネリの妻だ。「僕がどんな人間なのか、これを一生の仕事にするつもりがあるのか、そのために何かを犠牲にする覚悟があるのか、知りたかったみたい」。彼女は、動画がAIなどで加工され、本当の歌声ではないのでは、と疑ってもいた。近くにいると聞いたトーラは、最後に「Metal Health」を演奏すると約束してライブに招待した。「自分に何ができるかを見せるチャンスだと思った。あの曲をやったら、会場は大騒ぎになった。みんな動画を知っていたからね。『ケヴィン・ダブロウの生まれ変わりだ』って言っていた」

その後、レジーナはリバーブもプロ用のマイクも使わずに、クワイエット・ライオットの曲をアカペラで録音するよう求めた。続いて、ギタリストのアレックス・グロッシとのZoom面談。これほど若い人物に務まるのか、グロッシは疑っていた。「『これだけは、僕がちゃんとできることなんです』と伝えた。『僕がこの世に生まれてきた理由があるとしたら、これをやるためです。医者や弁護士、教師になるためじゃない。僕が愛しているのは音楽なんです』って。すると、『いつロサンゼルスに来られる?』と言われたんだ」

数日後、トーラはバーバンクのスタジオで、サーゾ、グロッシ、ドラマーのジョニー・ケリーと顔を合わせていた。「みんな親切だったけど、『最後までやれるのか、それとも5曲目あたりで音を上げるんじゃないか?』と思っていたはず。クワイエット・ライオットの曲は、叫んだり声を張り上げたりするところが多くて、シンガーには決して楽じゃないからね」。手応えを感じたのは、3曲目の「Mama Were All Crazy Now」だった。「ルディが目を閉じてうなずきながら、あのおなじみのニヤリとした笑顔を浮かべていた。『そう、これだよ』という合図だったんだ」

2日間でセットリストを最初から最後まで4回通した。その最後に、レジーナが告げた。「クワイエット・ライオットのファミリーへようこそ」。「泣かないように必死だった」とトーラは振り返る。「10年近く追い求めて、必死に頑張ってきたことが、今、本当に実現しているんだって。そのとき、実感が湧いたんだ」

加入が決まったのは8月18日。約1カ月後の正式発表までは秘密だったが、熱心なファンは変化を察知していた。髪形や衣装が一新され、体も以前より14キロほど絞られていたからだ。トーラはクワイエット・ライオットについて集中的に学びながら、初公演への準備を進めていた。ファイア・アンド・アイスも、クワイエット・ライオットのツアーがない時期には活動を続けていく。

「初めてのステージは、間違いなく少し緊張すると思う。でも、全部が完璧にはいかなくても、それでくじけるつもりはない。110%の力を出して、ファンにチケット代を払った甲斐があったと思ってもらいたい」と彼は言う。「学ぶことだらけだろうけど、僕はスポンジみたいなものだから。何でも吸収するし、人の話を聞いて学ぶのが大好きなんだ。みんな僕よりずっと長く経験を積んでいるから、きっと導いてくれると思う」

ハードロックの先人たちの多くは、薬物やアルコールの問題でキャリアに深刻な打撃を受けてきた。だが、トーラは自分にその心配はないと言う。「これは仕事なんだ。酔っ払ったり、ドラッグが効いた状態で仕事に行ったりはしないだろう? 現場に行って、100%の力でやらなきゃいけない。僕はドラッグの世界には足を踏み入れなかった。そういう世界にはまっていく人も見たけど、僕が口を出すことじゃない。ただ、僕は自分のことをわかっているから」

フランキー・バネリに会う機会はなかった。それでも加入が決まったあと、トーラはロサンゼルスのフォレスト・ローン記念公園にある彼の墓を訪れた。「あなたをがっかりさせるようなことはしません、と約束した。こんなに素晴らしいチャンスをくれた奥さんのレジーナに感謝して、彼には、天国から僕を見守っていてほしいとお願いしたんだ」

from Rolling Stone US

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