そして、ここまで来て改めて思う。鬼塚は、やはり変わっていない。28年前の鬼塚は、大人の常識を破壊することで、生徒を救った。
壁を壊す。
殴る。
学校の論理を無視する。
行動そのものが無茶だった。
2026年の鬼塚は、社会のルールを理解する。今回も「好きなら行け」とは言わない。
高校を卒業しろ。
今は待て。
自分の未来を捨てるな。
大人として、責任あることを言う。それでも、「俺は2人が幸せそうに笑っている未来を信じる」とまで言ってしまう。ここだけは、何も変わっていない。
昔の鬼塚は、行動が恥ずかしげもなく無茶だった。今の鬼塚は、言葉が恥ずかしげもなく青臭い。やり方が変わっただけなのだ。鬼塚は大人になった。だが、大人が身につけがちな「照れ」までは身につけなかった。
現実を知っている。
世間のルールも分かっている。
「好き」という感情だけですべてを突破できないことも知っている。
それでもなお、
希望を言う。
未来を信じる。
人を信じる。
その青臭さこそ、28年前から変わらない鬼塚英吉なのだろう。そして最後、琴音は文化祭について、「ダメだよ。私はみんなと青春するって決めたんだから」と言う。
恋を諦めたわけではない。未来を諦めなかったからこそ、今を生きることを選んだ。鬼塚が今回守ったのは、規則でも、世間体でもない。琴音がこれから生きる時間だった。そのために、現実を教えながら、最後には恥ずかしげもなく夢を語る。
無茶をする鬼塚から、無茶なほど人を信じる鬼塚へ。
形は変わった。だが、その“クサさ”だけは、28年前から何ひとつ変わっていないのだ。











