柏原は、琴音に極めて現実的な助言をする。「高校を卒業して、成人になるまでは、彼に対する想いは心に秘めて、学業に専念するしかないんじゃないかな」

正論である。だが琴音は納得しない。

「じゃあ、私は高校3年間、好きな人のことをみんなに自慢したり、恋の悩みを相談することもできないんですか」
「他の人ができることを、なんで私だけ我慢しなきゃいけないんですか」

これもまた、簡単には否定できない。

琴音は単に「年上だから格好いい」と龍之介に憧れたわけではない。人に褒められなくても、剥がれたペンキを塗り直す。暑い渡り廊下に水をまく。誰に対しても礼儀正しく、人によって態度を変えない。そんな龍之介を見てきたから好きになった。

だからこそ、この恋を「子どもの勘違い」で片づけることもできない。一方で、「純愛なら何をしてもいい」とすることもできない。ここで鬼塚が最後に出した答えは、

「みんなに証明するしかないんじゃないか。高校卒業するまで、今と同じ気持ちでいること」

だった。

気持ちは否定しない。だが、今すぐその気持ちのまま行動することにはブレーキをかける。つまり、「好きであること」と「今、付き合っていいこと」は別。鬼塚は、ようやくそれを言える大人になった。

それでも鬼塚は、恐ろしく「クサい」

しかし、この回で本当に面白かったのは、その先だ。鬼塚は琴音に言う。

「高校生って素晴らしい時間を生きているから、お前は、青春して笑ってなければダメなんだよ。希望にあふれてなきゃダメなんだよ」

さらに、

「俺は2人の気持ちが変わらない方を信じる」
「2人が一緒にいられない未来なんて信じない」
「2人が幸せそうに笑っている未来を信じる」

──ものすごくクサい。

これを現実の教師が真正面から言ったら、聞いているこちらが照れてしまうかもしれない。しかも琴音は、それを聞いて気持ちを変える。高校を辞めるために書いていた履歴書を丸め、「高校行って、卒業してやるか」と決める。

出来すぎている。現実の人間は、こんなにきれいに言葉だけで変わらないかもしれない。だが、ここで「リアルじゃない」と切り捨ててしまっていいのだろうか。

ドラマのリアリティとは、本当に「現実でも同じことが起こりそうか」だけで測られるものなのだろうか。