「目の前のことに一生懸命頑張る」
9月1日に直腸がんのため44歳で亡くなった俳優・中村ゆりさんは2022年、40歳を迎えた年のマイナビニュースのインタビューで、これからの人生についてそう語っていた。
所属事務所のアルファエージェンシーによると、中村さんは13年前にもがんを患い、その後寛解。昨年1月に再びがんが見つかり、手術後には転移が判明した。それでも治療を続けながら、大好きな仕事に取り組んでいたという。
インタビューで語られていたのは、俳優という仕事へのひたむきな思いと、日々をどう生きていくかという飾らない言葉だった。
「これしかない!」と始まった俳優人生
中村さんは1998年、YURIMARIとして歌手デビュー。その後、2003年から俳優として活動を始めた。
2022年のインタビューでは、アイドル時代について「自分の中ではダメだったな」と振り返った。仕事には恵まれていたものの、本気で頑張り切れていない。それは、本当に好きなことではなかったからかもしれないという。
そんな中、初めて仕事を「好き」だと思えたのが芝居だった。
映画の世界に入り込む充実感を知り、「これを頑張らないと自分は何もなくなってしまう。これしかない!」と覚悟。「周りの方に女優にしていただいた」という感覚を持ちながら、「チャンスに絶対応えたい」と歩んできた。
俳優生活20年を目前にしても、「どの年も足りないところだらけ」で、反省し、勉強し直すことの繰り返し。「やっていることは実は変わっていません」と話していた。
現場へ向かうときも「いつも震えるような気持ち」で、芝居には強いプレッシャーを感じる。それでも、観客の反応に触れたり、自身が作品に感動させられたりする中で、「私たちの仕事にしかない幸福感も確かにある」と語っていた。
「自分は何もできない」が原点
2024年の映画『鬼平犯科帳 血闘』公開時のインタビューでは、その仕事への姿勢をさらに率直に語っている。
時代劇に臨む際は、原作や過去作品に触れ、時代背景を調べ、日本舞踊にも通う。台本に書かれたセリフだけではなく、「台本に書かれていない人生」まで掘り下げて役を作っていた。
その原点にあったのは、「自分は何もできない」という思いだった。アイドル時代に歌もダンスも得意ではなかったからこそ、俳優を始めるときに、人一倍勉強し、人一倍準備しなければならないと覚悟したという。
20年以上のキャリアを積んでも、その意識は変わらなかった。準備を怠らない理由を聞くと、「全部自分に返ってきますから」と答えていた。
「毎日を真面目に誠実に生きて」
一方、40歳を迎えた頃には、周囲を見る目にも変化が生まれていた。
若い頃は仕事を「勝ち取らなきゃ」という思いが強かったが、年下の共演者が増え、自身がかつて感じた孤独や不安をフォローする立場になったことを実感。「周りも自分も大切にする」ということを意識するようになったと語っていた。
そして、今後の目標を尋ねると、大きな夢や具体的な到達点ではなく、「毎日を真面目に誠実に生きて」、その先で仕事を続けられていたらいいと話した。
人生は思い描いた通りにはならず、「思いがけないことが突然やってくる」。だからこそ、過度に期待せず、怠けることもなく、「目の前のことに一生懸命頑張る」。うれしいことが起きたら素直に喜び、どんなことが起きても向き合えるように「自分の心を成長させることが大事」と語っていた。
所属事務所は、中村さんの30代、40代について「病とたたかい、持ち前の強い気力で乗りきることも多い日々」だった一方、「素敵な出会いと幸せ、充実もまたたくさんありました」と振り返っている。
「毎日を真面目に誠実に生きて」。その言葉には、目の前の仕事と人に向き合い続けた中村さんの姿勢が、そのまま表れている。

