今回は1584(天正12)年の様子が描かれた。以下で、最も注目されたシーン以外の見どころを紹介していく。
まずは、徳川家康がかわいがっていた小鳥を、今川家嫡男・今川氏真(三河悠冴)に鉄砲で撃ち殺されるシーンが挙げられる。今川家での人質時代、家康の生活は苦難の連続だった。ある日、今川家当主・今川義元から小鳥を与えられる。小鳥は家康によく懐いていたが、家康が元服した日、義元は家康に小鳥を殺すように命じる。
家康がためらっていると小鳥は逃げたが、待ち構えていた氏真に撃たれてしまう。SNSでは「まだ14歳の子にこれは酷すぎるよ」「家康にも羽柴兄弟と別の地獄があったんだな」と、家康の境遇に同情が集まった。
今回、小鳥のような小さな標的に鉄砲を命中させるという抜群の腕前を見せた氏真だが、史実では蹴鞠や和歌だけでなく、塚原卜伝に師事して剣術も学んでいたと伝わっている。後の話となるが、氏真は1612(慶長17)年に駿府を訪れ家康と面会。その後、品川に屋敷を与えられ、家康にたびたび出仕した。
今回のエピソードが本当なら、家康はどのような気持ちで氏真と接していたのか、とても興味深い。
家康、茶会で羽柴兄弟に屈する
次に、徳川家康が茶会の席で羽柴兄弟に人質を要求されるシーンが挙げられる。嫌々ながらも秀吉の催した茶会に赴いた家康。その場で、両家の絆を深めるために子を差し出すよう求められる。
養子という名目ではあったが、実態は人質にほかならない。小一郎は「人質など要らぬ世を作る」と言ったが、家康にはまったく響かない様子だった。
SNSでは「羽柴家と徳川家では家中の事情が違うことに小一郎は気付いていないな」「家康から見たら、羽柴兄弟のやり方は義元や信長と同じだよね」と、家康と羽柴兄弟のやり取りが話題になった。
織田信雄、津川雄光を処刑する
最後に、徳川家康の口車に乗って、雄光を処刑した信雄のシーンが挙げられる。暴走しがちな信雄を押さえ、支え続けた雄光。今回限りの登場だったが、その忠臣ぶりは視聴者にも強く印象に残った。
しかし秀吉討伐を決意した家康にそそのかされ、親秀吉派である雄光は謀殺されてしまう。SNSでは「信雄もこれで引き返せなくなったけど手綱は家康に握られているな」「秀吉討伐と雄光の命を天秤にかけたんだね。よっぽど秀吉が疎ましかったんだ」と、信雄へのコメントが集まった。
無残な死を遂げた津川雄光だが、史実ではこの時、同僚の岡田重孝と浅井長時も同時に殺害されている。雄光は松ヶ島城城主を務めており、最初は織田信長、のちに信雄に仕えた。尾張守護家である斯波氏の出身とされている。妻は北畠具教の娘で、信雄の妻の姉にあたり、私生活でも信雄と近しい間柄だった。
星崎城主を務めていた重孝は、1583(天正11)年に大坂城の津田宗及邸で開かれた茶会に参加し、秀吉からも器量を認められていた。重孝は土方雄久に斬られたが、この時使われた刀が重孝の苗字にちなんで「岡田切吉房」と呼ばれている。鎌倉時代に作られ、現在は国宝に指定されており、東京国立博物館が所蔵している。
長時は当初、信長の長男・織田信忠(小関裕太)に仕えて、本能寺の変後に信雄に仕えた。殺害された時、わずか16歳だったと伝わっている。
きょう13日に放送される第35話「秀長誕生」では、徳川家康と織田信雄が手を結び、秀吉に対して挙兵する。池田恒興(堀井新太)が小牧山城に籠城する徳川軍をおびき出す作戦を立案し、宮部家の養子となっていたとも(宮澤エマ)と三好吉房(上川周作)の息子・三好信吉(山田涼介)が作戦の大将を務める。



