
ビースティ・ボーイズ(Beastie Boys)のマイク・D(Mike D)が、初のソロ・アルバム『Thank You』を作る喜びと不安、アダム・ヤウクを失った悲しみ、ニューヨークで育った日々、父親であることについて語る
マイケル・”マイク・D”・ダイヤモンドが、8月28日発売の初ソロ・アルバム『Thank You』の制作に取りかかったとき、ビースティ・ボーイズのレガシーを背負わなければならないというプレッシャーはなかった。少なくとも、しばらくの間は。
やがて彼は、事の重大さに気づくことになる。そして、いまや自分一人で背負うことになった責任を受け入れる必要があった。「何かクリエイティブなものを世に出して、最終的にそれを世界と共有するときには、本質的に不安や恐怖がつきまとうものだと思う。そのすべてがあったよ」。オーバーサイズの白いTシャツ姿の彼は、ロンドンからZoom越しにそう語る。
ビースティ・ボーイズは、ロックとヒップホップを折衷的に融合させるアプローチの先駆けとなった。彼とバンドメイトのアダム・”アドロック”・ホロヴィッツ、アダム・”MCA”・ヤウクは、互いを刺激し合いながら新たなサウンドを探り続けた。『Pauls Boutique』でサンプルをコラージュしたときも、「Sabotage」でパンクの定石を覆したときもそうだった。ヤウクは2012年にがんで亡くなり、それをもってグループは事実上の終焉を迎えたが、そうした精神は『Thank You』にも脈打っている。
現在60歳のマイク・Dは、息子のスカイラーとデイヴィス・ダイヤモンドを含む若いミュージシャンたちとアルバムを作り上げた。彼らはMike D 5D名義でクレジットされている。『Thank You』には、ビースティ・ボーイズがかつて繰り広げたロック的な冒険を思わせる、ダブ色の濃い強烈なサイケデリアが詰め込まれている。「What We Got」、アヴァンギャルドな「Thats Right」、「Its Time」といった際立った楽曲では、一聴して彼とわかるラップが重なる。
「ほとんどライターズ・ブロックとは正反対の状態だった」とダイヤモンドは言う。彼はここに至るまでの経験を振り返りながら、こう続けた。「『レコードを作らなきゃ』というプレッシャーがなかったんだ。いざ制作に入ると、クリエイティブなプロセスに完全に没頭する感覚や、その喜びをあらゆる形で味わえた。ただ誰かと一緒に作って、何時間も顔を上げることすらなくて、ふと気づくと『うわ、ここで曲を作り始めたら、すごくいいものができてる』ってなる。レコード作りでいちばん好きなのは、そういう瞬間だね」
再び音楽を作るまで
―もう一度音楽を作るなら今だ、とわかったのはいつだったんですか?
マイク・D:わからなかった。
―では、どうやってここまでたどり着いたんですか?
マイク・D:自分でも、よくわからないと思う。本格的に制作に入り込んでいったとき、ある時点で「今やっていることに取り組んでいる自分は、これまでとは少し違うな」と気づいた瞬間があったんだ。それで、「OK、今の自分には、たぶんこれをやる必要があるんだ」と思った。実際にそう感じるまでは、自分でもわからなかった。
―2012年にアダム・ヤウクが亡くなり、ビースティ・ボーイズは活動を終えました。ヤウクもアダム・ホロヴィッツもいない状況でアルバムを作るために、自分の中でどんなことと向き合う必要がありましたか?
マイク・D:悲しみと向き合うための時間が必要だった。ヤウクについては、彼が僕にとって兄貴のような存在だったことと、僕らが一緒にこのバンドをやっていくうえで彼が意味していたものとが、あまりにも深く絡み合っていた。そのすべてを自分の中で乗り越えていく必要があったんだ。それから、父親であることをじっくり経験する時間を持てたという、ぜいたくにも恵まれた。
―ソロ・アルバムを作るためのマインドセットに切り替える秘訣って、何なんでしょう?
マイク・D:最初は「何もかも新しくて、これまでとは違うものにしなきゃ」と思っていた。でも実際に作り始めてみると、「どうしたって自分らしさが出てしまう部分はあるし、それでいいんだ」と肩の力を抜くことができるようになった。最終的には、「自分は何を伝えようとしているんだろう?」と考えなきゃいけなかった。結局のところ、それは僕自身がもっとリーダーの役割を担う必要がある、ということだった。それは僕にとって新しい経験だったね。
おかしな話だけど、僕は「自分がリーダーだ」って言うことにものすごく抵抗があるんだ。その一部はセラピストと一緒に掘り下げなきゃいけないことなのかもしれない。それに今は、「リーダー」という言葉そのものがあまりにも汚されてしまっていると思う。僕たちが生きている世界は、最悪で、最も身勝手なリーダーシップの見本みたいなものに支配されているから。
―今、リーダーという意味で注目しているのはどんな人たちですか?
マイク・D:若いグループだね。earやBass SpectrumみたいなDIYのラップトップ・コアのグループがいて、僕はすごく好きなんだ。ラップトップを限界まで駆使して、そもそも音楽ソフトウェアが作り出す手助けをするために存在しているような、美しいノイズを生み出している人たちがいる。それが僕にはすごく刺激的なんだ。
―マンハッタンで育ちましたよね。今の自分に残っている、いちばん「ニューヨークっぽい」ところは何ですか?
マイク・D:ああ、もう。挙げたら長いリストになるよ。むしろ、自分の中で変えようとしているニューヨーク的なところを話そうか。一つは、人の話を遮ること。うちは家族全員、いつも相手にかぶせてしゃべって、互いの話をひっきりなしに遮っていた。人の話を聞くより、自分たちがしゃべっている時間のほうがずっと長かったんだ。あれは文化的なものだったと思う。本当に、黙って人の話を聞いている暇なんてない、という感覚だった。ニューヨーク出身じゃないガールフレンドを実家に連れていくと、「すごいね。みんな同時にしゃべってる」って言われたのを覚えてる。僕は「うん。それが何?」って感じだった。
―ほかに、自分の中で変えようとしているニューヨーク的なところはありますか?
マイク・D:全般的な、じっとしていられない感じとか、せっかちなところかな。ニューヨークで育つと、何をするにしても、もっと早く済ませたくなるんだ。コーヒーを受け取ることから、地下鉄がA地点からB地点まで早く運んでくれたらうれしくなることまで、何でもそう。
―今はどうやってリラックスしているんですか?
マイク・D:このアルバムを作っていたときは、休みを取るたびに仏教センターへ行って、静かに過ごしながら実践をしていた。そういう場所があったことには本当に感謝している。そこにいることで初めて、アイデアに対して自分を開いておけるだけの余白を持てた気がするから。それから、もう一つ僕にとってまったく新鮮だったのが、自然の中に出て、ガールフレンドとハイキングやキャンプをして過ごすことだった。唯一後悔しているのは、もっと早く始めなかったことだね。いつでも何にでもデジタルでアクセスできる今の世界では、そこから完全に切り離されて、自然界に存在するものを実際に深く体験することが、これまで以上に大切になっていると思う。
―アルバムを作っている間、考えすぎる自分から抜け出すことはできましたか?
マイク・D:最初は「今の自分はものすごく自由なところにいる。人がどう思おうが気にしない」って感じだった。でも、いざリリースすると腹を決めた途端、「くそ。俺、本当は人からどう思われるか、めちゃくちゃ気にしてるじゃないか」って気づいた。それには打ちのめされたよ。突然、自分は世の中から向けられるあらゆる意見に対して無傷でいられるわけじゃないんだと気づく。「もう年を取りすぎてる」とか、「遅すぎる」とか、「今さらお前が何を言ったところで、もう何の意味もない」とかね。
―そういう不安とは、どう付き合っているんですか?
マイク・D:それもすべて込みなんだと受け入れるしかない。自分が世の中に出すものについて、そこまで気にかけられること自体が特権だと思うんだ。そして、それには当然、あらゆる不安も最初からついてくる。
ビースティ・ボーイズと故アダム・ヤウクの記憶
―『Beastie Boys Book』には、10代の頃にクラブへ行ったり、お酒を飲んだりしていた話がたくさん出てきます。今、自分が父親になってみて、ご両親が与えてくれた自由をどう捉えていますか?
マイク・D:ホロヴィッツとは、その話をいつもしているよ。僕らが育った頃のニューヨークは、今よりずっと危険だった。でも僕らには、今の子どもたちには到底理解できないような、とてつもない自由があった。本当に、今の親が僕らと同じだけの自由を子どもに与えたら、刑務所に入れられるんじゃないかってくらいだよ。
当時、ニューヨークで子どもを育てることを選んだ親たちは、安全やのんびりした暮らしよりも、カルチャーを選んだんだと思う。「ありふれた現実よりも、刺激や、さまざまな考え方に対して開かれていることを選ぶ。だから、『子どもがUNICEFの募金を強盗に奪われる』とか、『朝になったら車のラジオがなくなっている』とか、そういうことも受け入れる。それでいい」ってね。今ではニューヨークのほうが安全になっているというのは、すごく皮肉な話だけど。
―自分の子どもたちにも、同じくらいの自由を与えたいと思いましたか?
マイク・D:うん。でも彼らは彼らの時代に育ったわけだからね。世界が違う。それに僕は、自分の子どもたちとは感情についてきちんと話し合える関係でいたいとも思っていた。僕らの世代の親たちは、誰もそんなふうに接してくれなかったから。親たちは「本当にどうしようもない事態になったら助ける。でも、それについて君と話したりはしない」という感じだった。僕は[自分の子どもたち]とは、本当に大事なことについて、彼らとは違うやり方で話すことができるんだ。
―若い頃の自分に何かアドバイスできるとしたら、何を伝えたいですか?
マイク・D:睡眠を優先すること。それから、もっと人に優しく、親切に接するよう努力すること。言いたいことは何だって言えばいいし、それ自体はまったく構わない。でも、できるだけ相手に感じよく伝わる言い方をしたほうがいい。
―アダム・ヤウクは、ビースティ・ボーイズのレコーディングにおいても革新的な存在でした。『Thank You』を作る中で、彼の存在をどのように受け継ごうとしましたか?
マイク・D:僕が彼を失ったことを悲しく思うのは、もう人生の中で彼に電話をかけて、「ヤウク、こんなことが起きたなんて信じられないだろうけど、どうしても聞いてほしいんだ」って言えないからなんだ。もうそれはできない。でも、彼なら何を考えるだろうとか、今自分が経験していることに彼ならどう向き合うだろうとか、あるいは僕がこのレコードを作っていることについて何と言うだろう、と考えることはできる。愛する人が亡くなると、つらいことは本当にたくさんある。でも、その人との関係を今も持ち続けることができる。それは、そんな中でもいいことの一つだと思う。
―『Thank You』を作っている最中、ヤウクなら何と言うだろうと考えたのは、どんなときでしたか?
マイク・D:自分のコンフォートゾーンから大きく外れたことを試していたときだね。そういうときこそ、彼なら「そういうことをやるべきなんだ」と言うだろうな、という気がしていた。
―1986年に『Licensed to Ill』がリリースされたとき、あなたは20歳でした。今あらためて聴くと、どんなことを感じますか?
マイク・D:聴かないよ(笑)。別にアルバムをけなしているわけじゃない。でも自分で作ったものだから、それを自分で聴いていたらちょっと変だと思うんだよね。ただ、あのアルバムに収録されることになった曲のいくつかのデモを作っていた頃、アダム・ホロヴィッツとヤウクと僕の3人がどれだけ楽しんでいたかは、よく思い出す。
―ビースティ・ボーイズがジョーン・リヴァーズと共演した映像で、彼女は『Licensed to Ill』について「今まで見た中でいちばんバカげたタイトル」と言っています。彼女は正しかったと思いますか?
マイク・D:だってジョーン・リヴァーズだからね。多少は見下されたような気分にさせられるものなんだ。でも当時の僕は、「え、これってちょっと気が利いてると思うんだけど。少しくらい、うまいこと考えたって評価してくれてもよくない?」って感じだったと思う。でも、それじゃジョーン・リヴァーズらしくないからね。まあ、それはそれで仕方ないよ。
From Rolling Stone US.

マイク・D
『Thank You』
再生・購入:https://umj.lnk.to/MD_TY
【トラック・リスト】
1. Switch Up
2. What We Got
3. True Colors
4. Thats Right
5. Make It Stop
6. I Dont Care
7. Secrets
8. Crypto Anthem
9. Here We Are
10. No Bullshit
11. Its Time
12. Back To Start