――この作品はアドリブも多い現場だと伺いました。

長谷川:そうですね。今回はすでに出来上がっている空気があったので、自分はセリフを7割くらい覚える感覚で、ちゃんと余白を残して現場に入ろうと思っていました。

例えば、台本上で「あの件はどうなった?」というセリフに対して、「あの件は……」と返すところでも、もしも相手が台本と違う言葉を投げてきたら、それに合わせなきゃいけない。正解を決めすぎると、その場のやりとりが生きなくなるので。

リリー:そうなんですよね。だから、あんまり事前に役作りをしすぎちゃうと、反射神経が落ちるんです。この作品は、京子ちゃんにしても、工くんにしても、沙莉にしても、自分の思う“その人”をやることが一番いいという感覚があると思うんですよ。だから、自分の“間”でやっている方が、その役になりやすい。

長谷川:私、割とずっとドラマ畑で育ってきたので、結構長い間「間を詰める」ということを意識していたんです。若い頃に「実際の会話って、相手の言葉を咀嚼して返すんじゃなくて、もっとポンポンいくでしょ」と言われたことがあって、それが自分のテーマになっていたんですよね。

 でも今回、工くんと2人で芝居をするシーンで、なかなか工くんのセリフが出てこない瞬間があったんです。

リリー:それは、セリフを思い出してるんだと思います(笑)

長谷川:(笑)。沙莉さんにも独特の間があって、それが芝居の“間”なのか、笑いをこらえている“間”なのか、狙っている“間”なのか分からない。でも、そこがすごいんですよね。だから今回は、自分が今まで詰めてきた“間”を、いかに自分の“間”に戻せるかということがテーマでした。

リリー:沙莉の“間”って、本当に心に来るんですよね。セリフが芝居している相手に刺さるというか。俺、前からそうなんですけど、沙莉のセリフで泣いたりするんですよ。

長谷川:それはきっと、ご本人の中でちゃんと芯に触れてセリフを出しているからじゃないですかね。

リリー:でも、別に泣くようなところじゃないのに、なぜか涙が出る時があって。

長谷川:きっと、何を大事にしているかなんじゃないでしょうか。役者本人が、自分の心にちゃんと触れてやるのか。それとも、どう見えているかを気にしてやるのか。

  • (左から)伊藤沙莉、リリー・フランキー (C)フジテレビ

    (左から)伊藤沙莉、リリー・フランキー (C)フジテレビ

理想の役者は志賀勝「それは究極なんですよ」

リリー:それこそ、「役作りはどのように?」ってよく聞かれるんですけど、僕は監督に「こうしてくれ」と言われない限り、何もしないようにしています。自分が思う役と、監督が思う役が違ったら意味がないから。

――つまり、いかようにも対応できる状態でいる、ということが大事だと。

リリー:そうですね。でも、どんな作品でも、常にその人に見える役者さんっているじゃないですか。僕の中では志賀勝さんなんです。どんな役でもパンチパーマで、薄い色のサングラスで、「なんや!? ワレ、いてこますぞ」っていう感じ(笑)。理想の人です。先生役でも、お父さん役でも、ヤクザ役でも全部志賀勝さん。もう脚本に「志賀勝役 志賀勝」って書いてあるんじゃないかって思うくらい。でも、それは究極なんですよ。

 逆に(笑福亭)鶴瓶さんって、見た目は完全に鶴瓶さんじゃないですか。でも、出来上がった作品を見ると、ちゃんとその役に見えるんですよね。あれはなんだろうと思うんです。要は、「人が見過ぎた果て」っていうか。

長谷川:人が見過ぎた果て…。

リリー:もう世の中の人が鶴瓶さんを見過ぎているから、普通なら「鶴瓶さん」にしか見えないはずなのに、いつの間にか役になっている。すごいと思う。

――結局のところ、もはや生き方そのものが芝居につながるということなのでしょうか。

リリー:その人のタイプによるんだと思います。考えすぎてできる人もいるし、考えない方ができる人もいる。僕は、答えが出ない方がいいと思うんですよね。答えが出ちゃうと、きっと凝り固まった演技になるから。

長谷川:私も、どっちが正解なのか、いまだに答えが出ないです。でも、作りすぎるのがいいとも思わないし、その時その時なんだと思います。