2026年4月14日(日本時間)、日本の女子バスケ界に吉報が届いた。女子バスケ世界最高峰の米・WNBAで行われたドラフトで、WリーグのENEOSサンフラワーズに所属する田中こころ選手が、ゴールデンステイト・ヴァルキリーズから3巡目(全体38位)で指名された。日本人選手のWNBAドラフト指名は、29年前の萩原美樹子さん以来2人目の快挙。2025-2026シーズン、高卒2年目ながらチーム・日本代表の両チームで中心的な活躍を見せた二十歳が、世界へと羽ばたくきっかけを得たのである。
迎える2026-2027シーズン、田中選手はWNBAに挑戦するのではなく、日本で戦う道を選択。その裏側には、9月に控える「FIBA女子バスケットボールワールドカップ2026」への強い想い、そして“ENEOSサンフラワーズの象徴”が去った新シーズンへの覚悟があった。
これまで日本人選手がたった4人しか足を踏み入れていないWNBAへの挑戦に向け、国内で戦う最後のシーズンになる可能性が高いこの1年。ただの若者ではなく、“日本代表のエンジン”を背負う者としての責任と想い、そして思い描く未来について、田中選手自身が語った言葉とは。
「苦しい時期が長い1年だった」2シーズン目を振り返って
--まずは2025-2026シーズン(以下、昨季)についてお伺いします。一言で表すなら、どんなシーズンでしたか?
田中:一言で表すのは難しいですね……。今思い浮かんだのは「チャレンジ」ですかね。Wリーグ1年目だった2024-2025シーズンは、もちろんすべてが初めての経験で、“怖いもの無し”の状態で何でもぶつかっていて、シーズン後には日本代表としての活動も経験させてもらえました。ですが2年目の昨季は、1年目に比べてもちろん対戦相手にはアジャストされましたし、自分にとっては苦しい時期が長い1年だったと思います。
ただ、そうした中でも“チャレンジ”を忘れてはいけない、ということを感じたシーズンでもありました。自分に対するディフェンスの付き方が、明らかに対策されているなと感じる場面もありましたが、そんな状況でも受け身にならず、想定の裏をかくようなプレーができないか、どうすれば解決できるのかをすごく考えながら過ごした時間でした。
--1年目と2年目では、相手からの対策に変化があったということですが、ほかにもシーズンを過ごす中で“変化”はありましたか?
田中:ひとつ大きかったのは、チームの中心だった宮崎沙織選手の引退です。昨季が始まる前に引退を発表されて、「次は自分が背負う番だ」と思う部分も大きく、この1年間は、ポイントガード(PG)としてのプレーの面も人間性の面でも、よりしっかりしなければいけないと感じました。チームを引っ張る存在になりたいと思うし、ならなくてはいけない。もちろんベテランの選手もいますが、いつも頼ってばかりではいけないので、強い気持ち、強い覚悟をもって取り組むということは、どんな試合でも心掛けていましたね。
--二十歳・2年目の選手とは思えない覚悟ですね……!
試合の中で任されている役割で考えても、私はミスをしてはいけないポジションでもありますし、私のプレー次第で試合の勝ち負けは変わると思っています。昔からそういった意識はありましたが、Wリーグ、そして伝統あるチームの一員として戦う中で、そういった思いは日に日に強くなっていっています。
最高の雰囲気でつかみ取った皇后杯の優勝
--では、そうした想いを抱えて臨んだ昨季の中で、特に印象に残った瞬間を教えていただけますか?
田中:やはり1番うれしかったのは、皇后杯での優勝ですかね。リーグ戦では結果が出ず、なかなかチームの息が合わない部分もあって、選手全員がどこか不安な気持ちを抱えながら過ごしているのは目に見えて感じていました。ですが皇后杯が始まるころには、みんなが“勝ちたい”という気持ちを強く持っていたと思いますし、チームとしての一体感もありました。
初戦(三菱電機コアラーズ戦・1月6日)は、最高の内容というわけではなかったものの、試合中は選手たち全員から「絶対に優勝したい」という気持ちが感じられていました。そこにはきっと、宮崎選手にとって最後の大会という部分もあったと思います。大会を通じて振り返っても、全選手が人任せにせず、自分で勝利をつかみ取るという気持ちが良い雰囲気を生んでいった結果、優勝という結果につながったと思います。
また個人としても、皇后杯の決勝という舞台でコートに立って、優勝もできたことは、すごくうれしかったです。
--苦しい時間もあれば、タイトル獲得という最高の瞬間もあった1年。振り返って、田中選手自身が成長したと感じる部分はありますか?
田中:そうですね……。思うようにいかないときでも、しっかりと顔を上げて次に切り替えるという部分は、変わったと思います。1年目は、ミスをするとしばらく落ち込んだりとか、「もうだめだ」とネガティブになってしまうことが結構多くありました。ただ今は、ミスした瞬間には巻き戻せないから、次のプレーで挽回すればいい、というように気持ちを切り替えるのがすごく早くなった気がします。もちろんミスの責任や取り返すという気持ちは持たなければいけませんが、悪い意味で引きずることはなくなったと思っています。もちろんその中では、周りの選手がよく声をかけてくれる部分も大きく影響しています。
--責任感や成長速度が、とても二十歳の選手とは思えないレベルですね……。高卒2年目はもちろん“若手”の分類にはなると思いますが、そういった意識はもうないですか?
田中:意識がないというよりは、“2年目だから”とか“若いから”という考えではいけないと思っています。それはただの言い訳でしかないと思いますし、「若いからできなくても仕方ない」と周囲から思われるのもとても嫌。逆に「若いからこそできてすごい」という褒められ方も好きではないですし、選手としてコートに立っている以上は、年齢なんて関係なくやることはやらなくてはいけないと思います。
WNBA指名の瞬間は「本当に自分かな?」
--そういったストイックな姿勢に裏打ちされた昨季の活躍を受け、4月には女子バスケの最高峰である米・WNBAのドラフト会議にて、Golden State Valkyries(ヴァルキリーズ)から3巡目・全体38位で指名がありました。WNBAドラフトでの指名について、あらかじめご存じの部分はあったのでしょうか?
田中:いえ、WNBAのドラフト指名対象となる年齢になったことは聞いていて、昨季にも「興味を示しているチームがある」というお話は少しだけ聞いていましたが、本当に指名されるとは思っていませんでした。もちろんバスケ選手としてWNBAの存在は知っていましたが、“雲の上のさらに上の場所”のような印象で、目標にもしてはいけない場所だと思っていました。
--しかし今回、ヴァルキリーズからの3巡目指名が発表されました。突然のことだった様子ですが、その瞬間のことを覚えていらっしゃいますか?
田中:私はWNBAドラフトのライブ中継を見ていたんですが、画面に突然ぱっと自分の名前が出てきました。ただ1巡目指名のように大々的に注目されるわけではないので、あっさりと次の指名に進んでしまって、「本当に自分かな?」と思ったくらいです。
--ちなみに……。泣きました?
田中:いや、全然泣いてないですね(笑)。感動というよりは、「これからどうしよう」というような混乱が大きくて、いろいろ考えごとをしていました。
--感動より先に戸惑いに包まれたんですね。ドラフトで指名されて以降、チームメイトなどの反応はいかがでしたか?
田中:WNBAドラフトに指名される可能性があることは、家族以外にはほとんど伝えていなかったので、チームメイトたちもどちらかというと驚きが大きかったみたいです。ただ、実際にアメリカのバスケの世界を知る方からは、祝福や応援のメッセージをいただきました。

