
1965年生まれのジョン・スペンサー(Jon Spencer)は現在61歳。ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン(以下JSBX)は2016年に活動を停止したが、その後初のソロ作『Spencer Sings The Hits』(2018年)、クワージのサム・クームズや元ソニック・ユースのボブ・バートと結成したジョン・スペンサー・アンド・ザ・ヒット・メイカーズ名義の『Spencer Gets It Lit』(2022年)を発表して健在ぶりを示した。そして2024年には、プロデューサーとして関わったザ・ボビー・リーズからケンダル・ウィンド(Ba)とスパイダー・ボーマン(Dr)を抜擢して3ピース編成でソロ2作目『Sick Of Being Sick!』をリリース。さらに、引き続き同メンバーで録音した入魂の新作『Songs Of Personal Loss And Protest』が、今夏世に出たばかりだ。
ジョン・スペンサーがUSインディ・シーンで注目されるきっかけになったバンド、プッシー・ガロアを結成したのは、大学在学中だった1984年のこと。すでに40年以上ものキャリアを誇る大ベテランだが、新作は若いリズム隊との相性の良さが感じられる、爆発的なロックンロールの連打に圧倒される。2000年の第1回からサマーソニックに何度も出演してきた常連の彼が、今年はこの最新トリオで8月15日(土)に東京、8月16日(日)に大阪のMOUNTAIN STAGEに登場。さらに8月17日(月)に名古屋、8月18日(火)に東京での単独公演も決まって再び勢いづく重鎮に、オンラインでたっぷり語ってもらった。
「落ち着く気は全くない」トリオの一体感
―昔は「ジョン・スペンサーは還暦を過ぎたらサン・ハウスのようにギター1本でブルースを歌っているのかな」と想像していました。しかし実際に60歳を過ぎたあなたは、まだそのような方向へは全然行かず、物凄くエネルギッシュな曲ばかり詰まった新作を届けてくれましたね。落ち着く気は、まだ毛頭ない?
ジョン:ああ、今はもちろん全くないよ。ケンダル・ウィンドとスパイダー・ボーマンとプレイできて、とてもハッピーだからね! この新しいバンドにとても満足しているんだ。こんなにエネルギーや情熱のあるグループでプレイさせてもらえるというのは素晴らしいことだよ。まぁ、俺が年寄りなのは確かだけど(笑)、この活動をしていることが俺にはとても大切なことだし、こういうロックンロール・ミュージックをプレイしていると凄くいい気分になれるんだ。……そうだな、もう少ししたらサン・ハウスみたいになろうかな。悪いアイデアじゃない。(笑)
―新作『Songs Of Personal Loss And Protest』は前作『Sick Of Being Sick!』以上にライブ感があふれる作品になったと感じたのですが、これは今の3人の一体感が増してきたことの証でしょうか? 演奏の息がぴったり合っていますね。
ジョン:ありがとう! この3人での活動も長くなってきて、3年になる。新作はその経験の賜物だよ。一緒に過ごしてきた時間、プレイしてきたたくさんのショウ、やってきたたくさんのツアー……世界中を回ったからね。ショウを重ねるごと、移動距離が増えるごとに、その経験が俺たちをユニット、バンド、グループとして成長させるのに役立っている。
昨年10月、渋谷クラブクアトロ公演のライブ写真(Photo by Masashi Yukimoto)
―様々なユニットで長年活動を続けてきたあなたですが、最近はどんな風にして曲を書いたり、デモを作ったりしているんでしょう? たとえばリフから作って全体のデザインを考えていくのか、それともリズムパターンから作り始める?
ジョン:作り方は絶えず変化していると思うね。というのも、ソングライティングというのは俺にとってとてもパーソナルなことなんだ。俺がこの世界、この人生を進んでいく中で人間として変化していって……きっと、人間はみんな生きながら変わっていくものなんだと思う。そんな訳で、ソングライティングのプロセスも変わり続けているよ。少しずつ微妙にではあるだろうけどね。
新作に関して言えば、ケンダルとスパイダーは、1作目と比べると、ソングライティングにより関わっているんだ。このバンドにも曲にも、より身を入れてくれている。前作は今でも気に入っているよ。俺独りで曲を書くところから始まって……今君がデモのことを訊いてきたけど、デモも確かに作った。スマホを使って、とてもシンプルなやつをね。ただ、ケンダルとスパイダーに聴かせて以降は、どの曲もかなり大幅に変わったんだ。あの子たちが一緒にプレイするようになるとアレンジが変わってね。ケンダルとスパイダーは、今回自分たちの音に対する責任がより重くなっている。具体的にはベースやドラムのパート、リズムに関する部分だ。という訳で、今回ふたりは作曲者としてもクレジットされているよ。
事前にリハーサルをやらなかった曲が2つあるんだ。それ以外は事前に書かれて、何度もリハーサルしてからスタジオに臨んでいる。でも「No More」と「Give It Up 4 The Devil」、この2つはスタジオの中で発生して、レコーディングした曲なんだ。
―即興のような感じで、その場で生まれた曲なのですね。
ジョン:そう、その通りだよ。俺はいつもバンドに生演奏をさせて、曲のベーシックなトラックを作り始める。もちろん後でオーバーダブしたり、編集したりという作業はあり得るけど、ミュージシャンたちが一緒にプレイしているときのサウンドが個人的に好きなんでね。だからこそロックンロール・バンドをやるのが好きだし、スタジオで曲が生まれていくのも好きなんだ。その時のグループのメンバーと一緒に、スタジオでプレイしながらレコーディングしていく。
「No More」は待ち時間の間に生まれたんだ。スタジオのコントロール・ルームでトラブルというかテクニカルな問題が発生して、エンジニアが直してくれるのを待っていた。その間に俺が思いついたのが「No More」なんだ。その後少し形を整える作業があったけど、とても速くできた曲だったね。テープ・マシンが直ってまた動き出したところで、この曲を録音したんだ。レコーディング・スタジオでの出来事の中でも、こういうハッピーなアクシデントは特に好きな部類に入るね。計画されてなかったのに、とても興味深くて変わったものが生まれるっていう。
アメリカへの怒りの「プロテスト」
―『Songs Of Personal Loss And Protest』というアルバムのタイトルが示す通り、”Protest”の要素が本作からは強く感じられました。あなたはデモにも参加しているそうですね。
ジョン:そう、ツアーがないときは、ここニューヨーク州キングストン(ウッドストックの近く)で週末に行なわれているデモに参加しているよ。もう何年も前からそうしている。昔のバンド、JSBXの頃も、ブッシュがイラク戦争をやろうとしていたから、それに対して抗議活動をして、そういうことに関する曲を書いていた。という訳で、プロテスト・ミュージック、あるいは政治的な音楽というのは、俺やバンドにとって決して新しいことじゃないんだ。特に第2次トランプ政権になってからはとても忙しいよ!
可能な時はいつも、俺は抗議活動を行なって声を上げるようにしている。パフォーマー、ミュージシャンとしてだけじゃなくて、ひとりの人間、市民としてもね。今、アメリカ合衆国に暮らしている人間にとっては、とても悲惨な時代なんだ。俺としても、ただじっと見ている訳にはいかない。声を上げて抗議したい想いに駆られるんだ。
―率直に言って、今のアメリカの現状に対して、あなたはどんな感情を抱いているんでしょう。
ジョン:”sick”(うんざり)。腹の底からうんざりしているよ。俺は物凄く怒っている。俺が子供時代に教えられていたこと……アメリカ合衆国とは何なのか、民主主義とは何なのか、この国はどのような原則に基づいて生まれたのか、政府の仕組み、憲法……そういったものが、今はことごとく窓から放り投げられて、捨てられているんだ。この国はマフィア一族や犯罪組織みたいなものに率いられている。俺にとって、それはとても不快で忌まわしいことだ。俺は教会に通うような人間じゃないけど、この状態はモラルに反しているし、道徳的秩序も欠けていると感じるよ。人間にはお互いを大切にして、助け合う責任があると俺は信じている。誰が一番カネを儲けられるかだけが人生じゃないってね。コミュニティの問題だけでもない。この惑星全体が関わってくる問題だ。やらなければならないことが山ほどある。
ロックンロールをプレイする者としては……これはジャズと並んで、アメリカから世界へ与えられた最も素晴らしい贈り物のひとつなんだ。ロックンロールは、まだら模様のような芸術様式だ。これが何から生まれたかって? ブルースやヒルビリーだ。ブルースはどこからやってきたか? アフリカからやってきた。俺が身を捧げている音楽……人生を捧げている音楽は、この国に強制的に連れてこられた人々から生まれたんだ。なのに今の政権は、その事実を歴史から抹消しようとしている。「自分たちと違うもの」をすべて排除しようとしているんだ。俺に言わせれば、この国を興味深いものにしてくれたのは、まさに「自分たちと違う人々」だったというのに。「違い」は弱点を補ってくれるし、より良く、強力なものにしてくれる。
彼らは何を与えてくれたのか? ロックンロールを与えてくれたんだ。俺はいつもリトル・リチャードを例に挙げている。リトル・リチャードは創始者、ロックンロールの”女王”だ。彼は黒人男性だったが、ドラァグクイーンでもあり、バイセクシャルでもあった。今の政権はそういう存在をすべて排除しようとしているんだよ。自分たちとは違う人たちを抹消して、排除して、否定しようとしている。俺にとってそれは我慢ならないことなんだ。”異質なもの”がなければロックンロールは存在しないからね。このインタビューだって、Rolling Stone Japanだって存在しなかっただろう。きっと、世界が今よりもずっと退屈な場所になっていたはずだ。
「今の状況に対してどんな感情を抱いているのか」と君は訊いてきたけど、そう、俺は物凄く怒っている! うんざりしている。心がうんざりしすぎて壊れそうだ。どうしてこんなことが起こっているのか理解できない。同じアメリカ人が、ドナルド・トランプのようなやつに投票できるっていうことがね。何でそんなことがまた起こってしまったんだ? あの人物を見て「良識のある、正直な人だ」ってどうして思えるんだ? 心が折れそうだよ。……もっと言えば、頭がおかしくなりそうだ。何しろ、何もかも嘘なんだから。
本当にたくさんの人たちが言っているけど、今の世の中は本当に生きづらい。何かが起こっているのを見て……(苦笑)ほら、例えば今起こっている戦争。政権は「私たちは勝利に向かっている」と言う。「カードは出揃っている。私たちは勝利に向かっている」ってね。明らかに嘘なのに。今の政権だったら、雨が降っていても「今日は天気が素晴らしい。太陽が輝いている」と言うだろう。俺たちは自分の目で、何が現実で何が真実なのかを見極める必要がある。毎日毎日毎日、正反対のこと、嘘を聞かされているからね。本当に頭がおかしくなりそうだよ。
―そんな中、あなたが怒りを音楽に込めて、私たちのようにアメリカ以外の場所に住んでいる人々にも関連性を持たせてくれていることがありがたいです。
ジョン:ありがとう! まあ、みんな同じ状況の中にいるよ。世界はとても狭いからね。そしてバンドをやっていることの醍醐味のひとつは、俺が旅することができているということだ。日本に行かせてもらえているしね! しかも現地の、素晴らしい心の持ち主たちと出会うことができている。様々な国を訪れて、世界中のいろいろな人に出会えるという、素晴らしい経験をさせてもらっているんだ。特にこのような話に関しては、俺たちはみんな繋がっていると感じる。みんなこのたったひとつの小さな場所、この美しい母なる地球の上にいる。俺たちはこの場所を大切にしなければならない。金儲けのことばかり考えている訳にはいかないんだ。……ごめん、とりとめもなく話してしまったね(苦笑)。それくらいさ、苛立ちを感じているんだ。許してくれ!
「喪失」の記憶──父親とアルビニの死
―新作のもうひとつのキーワード”Loss”についても訊かせてください。「No More」はあなたがお父さんを亡くした体験から生まれた曲だそうですね。
ジョン:曲の方はさっき話したような感じで、唐突に生まれたもので、アレンジと歌詞は後からできた。歌詞は……そうだね、父親の死と、母が同じ頃に患っていた病気がインスピレーションになっているんだ。父親の死について直接的に、明確に言及してはいないけど、あの歌詞は父親の持ち物をリストアップするところから始まっている。捨てられようとしているやつをね。
―お父様が亡くなられて、遺品を捨てることになったんですよね。
ジョン:そう、母親の選択でね(笑)。
―”Loss”についてもうひとつ、あなたの友人だったスティーヴ・アルビニについても訊かせてください。2年前、あなたがガーディアン紙に寄せたスティーヴへの追悼コメントを読みました(2024年5月13日付)。「彼は、レコーディング・スタジオはギターや他の楽器と同じように扱えるものだと教えてくれた」「スタジオの正しい使い方をわかっていた」とコメントしていたことが印象深かったです。彼との仕事で得た発見は、今もあなたの財産になっていますか?
ジョン:そうだね。スティーヴは凄く才能にあふれたエンジニアだった。とても聡明で、賢い人だったね。俺にとって彼は、レコーディング・スタジオのミステリーを明かしてくれた人なんだ。極めて優れたエンジニアではあったけど、その知識を独り占めにしなかった。物凄くオープンで、みんなと共有してくれていたんだよ。「どうしてこのマイクを使うの?」みたいな質問をすれば、それに至った理由やプロセスを、時間をかけて説明してくれる。とにかく……極めて寛大で、親切な人だった。俺にとってスティーヴはとても力になったよ。パンクのレッスンを受けているようなものだったね。「アルバムを作りたいなら作ればいい」と思わせてくれる人だった。恵まれたごく少数の人々しか作ることを許されないんじゃなくてね。
スティーヴは知識や専門能力を惜しみなく使う人で、それはスタジオでの作業に限ったことじゃない。彼は80年代、俺がプッシー・ガロアを始めた頃にも、たくさんのことを教えてくれた。どうすればスタジオを使わせてもらえるのか、どういう風に使えばいいのか、だけじゃない。ツアーのブッキングの仕方とか、マスタリングはどうやってやるのか、レコードのプレスはどこでやるのがいいか、(インディアナ州)ブルーミントンやウィスコンシン州マディソンで対バン相手にお勧めなのはどんなバンドなのか、そういうことも教えてくれたんだよ。アメリカのアンダーグラウンド・シーン、インディ・シーンが素晴らしかった時代……スティーヴがその知識や時間を分けてくれたからこそだ。彼が俺に見せてくれた世界は、アルバムを作ったりスタジオで作業したりするだけじゃなくて、バンドを持つことやメンバーでいることのすべてに繋がっていたんだ。
―貴重な想い出をシェアしてくださってありがとうございます。「Orange Slice Blues」という曲の歌詞には、プリンスの名前が出てきますね。あなたがプリンスについて話しているのを読んだ記憶がないので、彼の作品ではどれが好みか教えてもらえますか?
ジョン:妻のクリスティーナ(・マルチネス、ボス・ホッグのボーカル)がプリンスの大ファンでね。俺と出会った頃、彼女は物凄くディープにハマっていたよ。俺がプリンスの音楽に触れるようになったのもその頃からで、クリスティーナを通じてのことなんだ。ライブは1回観たのかな? いつだったかは思い出せないけど、『Lovesexy』の時代だったかもしれないな……。プリンスは、俺はファンではあるけど、それは俺のパートナーがプリンスを聴いていたからなんだ(笑)。
「Orange Slice Blues」では、「Sometimes It Snows In April」の歌詞をヒントにした。『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』という映画で流れる曲だよね。俺の頭の中に残っていたフレーズを拝借したけど、他にもルーファス・トーマスやジェリー・リー・ルイス、ザ・フォールみたいに俺が大好きなアーティストたちから拝借することもあり得るよ。
ニューウェイヴ、ガレージ・パンクとの出会い
―以前、Quietusであなたがお気に入りのレコードを選んでいる記事(2012年9月2日付)を読んで、とても興味深かったです。若い頃はロックンロールなんか大嫌いで、クラフトワークやレジデンツを好んで聴いていたそうですね。そこから出発したことが、あなたにとって……。
ジョン:(質問を言い終わらないうちに)そう! 俺は1965年生まれで、ニューイングランド地方の小さな町で育ったんだ。ある程度成長した70年代半ばから80年代にかけて、身近に存在していたロックンロールは、地元のラジオ局でかかっているようなものだけだった。ケーブルテレビもなければ、当然インターネットもなかったからね。ニューヨークやロサンゼルスではパンクが生まれつつあったけど、それはニューヨーク・シティとロサンゼルスだけの話だった。俺が住んでいた地域では生まれていなかったし、アメリカ合衆国の全国レベルのメディアにまで浸透していたものではなかった。少なくとも俺のところには来ていなかったよ。ロックンロールは存在こそしていたし、テレビにはバンドが出ていたけど、俺がテレビで見るようなバンドはシットコム(ホーム・コメディ)や子供向け番組に出てくるようなやつばかり……『The Banana Splits』とか『Scooby-Doo』みたいなのばかりだった。あとはザ・モンキーズだね。テレビを見ている小さなガキは、モンキーズを見て「そうか、バンドっていうのは、可愛い顔した男の子たちがいろんな冒険を繰り広げるものなんだ」なんて思っていた訳だ。
70年代後半、ティーンエイジャーになると、ロックンロールがラジオでかかるようになる。同世代のやつらがラジオで聴いていたのはレッド・ツェッペリンやエアロスミスだったけど、ティーンエイジャーのガキだった俺にとって面白みは何もなかった。俺はSFやファンタジーに夢中だったオタク少年だったから、特にね。運動ができた訳でもないし(苦笑)、社会の”クラス”……あ、学校のクラスじゃなくて、分類的な話だよ……その”クラス”的にも、ロックンロールはjocks(たくましい男)やstoner(酒や大麻を常用する者)が夢中になるものだったからね。俺はたくましくもなければ大麻もやっていなかったから……とにかく、物凄く退屈な音楽に感じられていたんだ。
そんな訳で、俺が最初に夢中になったのは、いわゆるニュー・ウェイヴ的なバンドが多かった。シンセサイザーを使うような、ヘンなバンド。君はクラフトワークを挙げていたよね。あとはDEVOとか、レジデンツとか。そこからの道のりは長かったけど、最終的には”真の”というか、”元祖の”ロックンロールに出会って、その価値がわかるようになったんだ。リトル・リチャードとか、エルヴィス・プレスリーとかだね。ジェリー・リー・ルイスもそうだし、他にもたくさん。エルヴィスやリトル・リチャードに見られるプレイのセンスや、演奏する喜び、スピリット、キラキラしたまぶしさ、活き活きとした生命感は、エアロスミスやレッド・ツェッペリンからは得られないものだった。彼らの音楽は退屈を極めた絵画みたいな感じがしたんだ。タフでマッチョなイメージでね。俺にとってのロックンロールはとてもヘンで、奇妙で、美しいものなんだ。エルヴィスやリトル・リチャードなんかは、「こいつら一体誰なんだ? まるで別の惑星からやってきたみたいじゃないか」と思うけど、そういう感覚はブラック・サバスやエアロスミス、スティーリー・ダンなどからは得られなかった。少年時代にはね。
―ところで、去年KEXPのライブで、ガレージ・ロック界のレジェンドであるタイ・ワグナーを呼んで、一緒に「I'm A No-Count」を演ってましたよね? タイは80歳ですが、彼もあなたと同じくスローダウンする気が毛頭なさそうです。タイとはいつ頃、どんな風にして親しくなったんですか?
ジョン:俺は60年代のガレージ・パンクの大ファンなんだ。最初のバンド、プッシー・ガロアは、60年代のパンクとインダストリアルのコンビネーションから生まれた。その2つが主な影響元だったよ。プッシー・ガロアはタイの「I'm A No-Count」をカバーしたことがあってね。俺が初めてこの曲を聴いたのは『The Chosen Few Vol. 2』というガレージ・パンクのコンピレーションだった。それからあの曲をやるようになって、もう40年にもなる(笑)。プッシー・ガロアのヴァージョンは、『Pussy Gold 5000』というEPに入ってるんじゃないかな。プッシー・ガロアの初期にはしょっちゅうプレイしていた曲だよ。それから何年も後、ヒット・メイカーズでもまたこの曲をプレイするようになった。
2、3年前、タイ・ワグナーか、彼の娘さんだったかな? 誰かから俺に連絡があって、それで最終的にタイと会えたんだ。彼と出会えたのは本当に素敵なことだった。あの曲が大好きだし、断続的に何年もプレイしてきたからね。今は親しくなったというより、まだ彼を知る段階の途中な気がする。それを今訊いてくれて良かったよ! というのも今日、タイからメッセージが送られてきたんだ。俺のTシャツを着ている写真と一緒に、”stay strong(強くあれ)”みたいな感じのメッセージが添えられていてさ。とても優しい人で、いつも励ましてくれるんだ。旅ができること以外でロックンロール・グループでプレイしていて良かったことは、俺のヒーローたちに会う機会がもらえることだね。タイ・ワグナーもそうだし、R.L.バーンサイド、ルーファス・トーマス、アンドレ・ウィリアムス……スティーヴ・アルビニだってそうだ。そういう人たちと出会って、コラボもできる機会があるなんて、類まれなことだと思うし、本当に特別なことだよ。
第1回サマーソニックのJB伝説
―今のバンドをサマーソニックで観られるのが、とても楽しみです。セットリストは決めずにライブをやる方式を続けているそうですが、日本でのライブもそんな感じで、新曲から昔の曲までいろいろ聴けそう?
ジョン:そうだね、それは素晴らしいアイデアだ。そうしよう(笑)。まぁ、俺は普段からセットリストを作らないけどね。その状態を楽しんでいるんだ。ケンダルとスパイダーと、そういうことができるのがとてもハッピーだよ。JSBXも同じで、セットリストを作らなかったから、同じようにまたできることが本当に嬉しい。できるだけ、その瞬間に対してオープンな状態であるようにしているんだ。ショウの雰囲気を見てどうするか決めるような感じでね。その方がコンサートもよりエキサイティングになるし、満足度も高まるんだ。君が言ったように、今のバンドだけじゃなくてヒット・メイカーズ、ヘヴィ・トラッシュ、JSBXの曲もやろうと思う。プッシー・ガロアの曲もね。
昨年の来日公演で披露されたJSBX「Bellbottoms」、プッシー・ガロア「Alright」
―グレイテスト・ヒッツのような感じでいいですね! 楽しみにしています。ところで、あなたが最初にサマーソニックに出た2000年、僕も富士急ハイランドでJSBXのステージを観ていました。あの日は先に出たジェームス・ブラウンのライブが……。
ジョン:(質問をさえぎって)ジェームス・ブラウンは、俺たちJSBXにとって神みたいな存在だった。特にライブの見せ方において、物凄く影響されたよ。俺たちは第1回のサマーソニックに出られることをとても誇りに思っていて嬉しかったけど、ジェームス・ブラウンが俺たちの”前”に出演すると聞いて、それは完全に間違いだと思った。クリエイティブマンにも直訴したよ、「これは正しくない。ジェームス・ブラウンは俺たちにとって神のようなヒーローなんだから」とね……。あれはクレイジーな日で、凄く……奇妙な感じだった。
―あの日、ジェームス・ブラウンと会話する機会はあったんですか?
ジョン:確かバンドのメンバーの一部には会えた気がする。残念ながら当時の彼はもうメイシオ・パーカーやフレッド・ウェズリーみたいな大物とはやっていなかったけどね。その時は若手バンドを率いていた。ジェームス・ブラウンと会えるかもしれないという話になって……それは他のアーティストのためだったのか、俺にはよくわからないけど、俺たちも列に並んで彼のことを待っていたよ(笑)。楽屋かどこかのミート&グリートする場所でね。そうしたら何かが起こってミスター・ブラウンはご立腹してしまい、彼との対面は中止されてしまった。だから俺たちは直接会えていないんだ。ただ、俺としては、自分があまりにも憧れているアーティストだと、直接会わない方がいいんだよね(笑)。
あの日、彼は物凄く長い時間プレイしていたね(苦笑)。予定されていた持ち時間を大幅にオーバーしていた。俺たちにしてみれば、「はい、ステージはあなたのものです、ミスター・ブラウン」という感じだけど、フェスのスタッフはうろたえただろうな。どうしていいかわからなかっただろうし……とにかく物凄く奇妙な状態だった。
―ジェームスが客席から物を投げられて、めちゃくちゃ怒ってましたよね。
ジョン:そうそう、誰かが何か投げたんだよね。それが何だったか俺にはわからないけど。JSBXの照明を担当してくれた照明エンジニアがビデオカメラを持っていて、一部始終を撮影していたけど、誰かがステージに物を投げたんだよ。きっと怒って投げた訳じゃなくて、興奮のあまり投げたという感じだった。でもミスター・ブラウンはそれが気に入らなくて、曲を途中でカットしてしまった。何が起こっているのか誰にもわからなかった。それでミスター・ブラウンは通訳を呼び出したんだ。怖かったよ。みんなで「どうしよう? どうしよう?」なんて言っていた。凄くシュールな光景だったね。
……という訳で誰かが何かを投げて、曲が止まって、演奏も止まって、長い中断があって、通訳が出てきた。ミスター・ブラウンは「ステージに物を投げるな」みたいなことを言っていた。いろいろ説教していたのかな? 通訳は若者で、スーツを着ていて……呆然と立っていた。もう死ぬんじゃないかってくらいおののいていたよ。何せジェームス・ブラウンだからね。……ともあれ、通訳は彼の言うことを訳していたんだけど、それが終わるか終わらないかのうちに、ジェームス・ブラウンがバンド・メンバーに目配せをして、バン!って感じで演奏に戻ったんだ。
―結果的にJSBXの出番が短くなったせいか、あなた方が物凄い勢いで演奏していたのを憶えています。
ジョン:自分のことは思い出せないんだ。ジェームス・ブラウンのことしか憶えてないよ(笑)。
―その後も何度も出演してきたサマーソニックですが、このフェスのどんなところが気に入っているんでしょう? 特に強く印象に残っている想い出は?
ジョン:一番記憶に残っているのは、今話したジェームス・ブラウンのことだね(笑)。日本で演奏するのはいつだって楽しいよ。いい人々だし……とてもやりやすい。俺は世界中でショウをやってきたけど、時には何もかもがハードな場所に出くわすこともあるんだ。日本は凄く楽だね。その大きな理由は、オーディエンスや人々がとても寛大だからなんだ。ほら、コンサートというのは俺とバンドだけで成り立つものじゃないだろう? 俺とバンドと、その場にいる全員で作り上げるものなんだ。一緒に仕事をしている人たちとの間にあるギブ&テイクのエネルギーが、ショウを素晴らしいものにしてくれる。

Photo by Masashi Yukimoto
―日本ではギターウルフやザ・キング・ブラザーズを筆頭に、たくさんのバンドと共演してきましたね。特に想い出深い日本のバンドは?
ジョン:ギターウルフとキング・ブラザーズは特に思い出深いね。キング・ブラザーズには今も驚かされる。ギターウルフのセイジは”名物”だよね。日本の国宝だと思うよ。
プッシー・ガロアで初めて日本へ行ったのは1988年頃だったかな? その時はボアダムズと一緒だった。その頃俺たちがボアダムズの名前を知っていたかどうか定かじゃない。というか、当時アメリカでボアダムズのことを知っている人がいたかもわからない。でも、彼らのライブに心を吹っ飛ばされたよ。
―今日は長々とおつきあい頂き、ありがとうございました。ちなみにザ・ローリング・ストーンズの新しいアルバム『Foreign Tongues』は聴きました?
ジョン:何曲か聴いたよ。「うわぁ、なんだこれ?」と思ったのもあれば、「おお、これは素晴らしい」と思ったのもある。スティーヴ・ジョーダンの音を聴いたり、プレイしている姿を見たりするのはいつも楽しい。スティーヴはローリング・ストーンズのドラマーになったんだよね。彼はキース・リチャーズのエクスペンシヴ・ワイノーズにも参加しているし、キースのアルバムも3作共同プロデュースしているんだ。
それに、スティーヴはJSBXの『Plastic Fang』(2002年)もプロデュースしてくれた。という訳で、スティーヴと一緒に仕事したことがあるし、彼のことも少しはわかっているつもりだから、彼がローリング・ストーンズでプレイしているのを見ると、「あの人知ってる!」みたいに思うんだ(笑)。凄くクールなことだよ。ストーンズの音を聴いていると、「ああ、これはスティーヴの影響だな」なんて思う箇所があるしね。

ジョン・スペンサー
『Songs of Personal Loss and Protest』
発売中
再生・購入:https://JonSpencerJP.lnk.to/SongsofPersonalLossandProtestRS
《日本盤》解説・歌詞・対訳付
ボーナストラック:初CD化となる前作 『シック・オブ・ビーイング・シック』収録の全8曲、2025年の配信シングル「カム・オン!」
SUMMER SONIC 2026
2026年8月14日(金)・15日(土)・16日(日)
東京会場:ZOZOマリンスタジアム & 幕張メッセ
大阪会場:万博記念公園
※ジョン・スペンサーは8月15日(土)東京会場、16日(日)大阪会場に出演
公式サイト:https://www.summersonic.com/
チケット購入:https://www.summersonic.com/tickets/tokyo/

SUMMER SONIC EXTRA(単独公演)
2026年8月17日(月)名古屋 CLUB QUATTRO
2026年8月18日(火)渋谷 CLUB QUATTRO
OPEN 18:30 / START 19:30
チケット:¥8,800(税込)※オールスタンディング / ドリンク代別途
公演詳細:https://www.creativeman.co.jp/event/jon-spencer-ssextra/
