初期型からワンオフ・スパイダーまで!歴代ランボルギーニ・ミウラの識別指南

初期量産モデルからワンオフモデルまで、ランボルギーニ・ミウラの変遷をマシュー・ヘイワードが解説する。

【画像】あなたはすべて識別できる?歴代ランボルギーニ・ミウラ勢ぞろい(写真7点)

ミウラP400(1966~1968年)

1965年のトリノ・モーターショーでは、ミウラのシャシーが剥き出しの状態で展示されて大きな話題を呼んだ。1年後、ガンディーニによる魅力的なボディをまとって量産型のP400が発表されると、自動車界に激震が走った。この初代は、最高出力345bhpの3.9リッターV12を横置きで搭載する。公称172mphの最高速を誇ったが、速度が上がるとフロントがリフトすることでも有名だった。P400の製造数はたった265台で、”標準”のミウラとしては最も希少である。

ミウラP400 S(1968~1971年)

P400Sは、吸気マニフォールドの拡大とカムプロフィールの改良も手伝って、最高出力は365bhpに向上したが、最高速は175mphとわずかな上昇に留まった。車内の装備は充実し、パワーウィンドウやロックできるグローブボックスまであった。外観はほとんど変わらず、フロントエンドに関しても、特徴的なヘッドライトの”まつげ”はそのままだ。製造数は338台で、ミウラの中では最も多い。

ミウラP400 SV(1971~1973年)

量産バージョンの中で最も開発が進み、最も速い最終形が、SV(スーペル・ヴェローチェ)だ。新しいウェバー製キャブレターとカムタイミングによって、最高出力は385bhpに向上。リアのトレッドが広がり、ボディワークも膨らんで、いっそう力強いスタンスになった。一方で、あの象徴的なまつげは消えた。生産後期には、潤滑系の問題を修正するため、ギアボックスのオイルサンプが分離された。SVをたった150台製造したところで、ミウラの生産は1973年に幕を閉じた。

ミウラ・スパイダー(1968年)

このスパイダーは、1968年のブリュッセル・モーターショーでベルトーネによって発表された。ワンオフであり量産する予定はなかった。P400をベースとするこの1台は、一風変わった第二の人生を送る。国際鉛亜鉛研究機構(ILZRO)によって自動車における金属の活用方法を示す象徴として採用され、亜鉛の元素記号に因んで"Zn75"を名乗った。その後、Zn75の仕様のままで長く日本に棲息したが、最終的にはオリジナルの状態にレストアされ、2009年に『Octane』誌の表紙を飾った。

ミウラ・イオタ(1970年)

イオタは、ランボルギーニのテストドライバーだったボブ・ウォーレスがレーシングカー構想の実験車として提案したもので、当時ファクトリーが製造した最も過激なバージョンである。ボディワークはアルミニウムに変更し、キャビンは装備をはぎ取り、空力面にも手を加え、V12は大幅に改良して440bhpに引き上げた。FIAが定める競技規則の付則J項に合致するよう設計されたが、レースへの出走にゴーサインが出ることはなかった。製造は1台のみで、残念ながら、売却後すぐに公道での事故で大破してしまった。現在は忠実なレプリカがいくつか存在。SVRもイオタの影響が色濃い。

ミウラSV/J(1971~1975年)

ランボルギーニはイオタへのオマージュとして、特別な顧客のために6台のSVをSV/J仕様にコンバートした。改良サスペンションや出力の向上、イオタの特徴を備えるボディワークなどは共通するが、細部は様々に異なる。ランボルギーニは1980年代にSV/Jをもう1台、ゼロから造り上げた。また、非公式のリクリエーション版が数台存在し、スイスのランボルギーニ輸入代理店のために造られたワンオフのタルガトップ・バージョンもある。

ミウラSVR(1975年)

ドイツ人のハインツ・シュターバーは、自身のミウラSをクラッシュさせてしまい、このSVRを造り上げることにした。イオタをインスピレーションとしつつ、さらに改造を推し進めた。当初はファクトリーの支援が得られなかったため、シュターバーは独自にパーツを調達(その中にはポルシェ917のブレーキもあった)。ドイツのディーラー、ヘルベルト・ハーネの助力によってランボルギーニに組み立てを実施した。こうして生まれたワンオフは、レース志向のスペシャルとなった。アグレッシブなスタイリングに、カスタムメイドのサスペンションを擁し、性能も大幅にアップグレード。1975年に完成し、のちに日本に売却されて、カルト的存在になった。2018年にランボルギーニによってレストアされている。

編集翻訳:伊東和彦 (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵

Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) Translation:Megumi KINOSHITA

Words:John Mayhead