
若宮大路を通って海へ向かう途中、一ノ鳥居のかたわらに大きな石塔がそびえ立っています。こちらは畠山重保(はたけやま しげやす)という鎌倉武士が祀られているお墓(六郎様)です。
今回は彼がどんな生涯をたどったのか、紹介したいと思います。皆さんが鎌倉観光を楽しむ参考となれば嬉しいです。
畠山重保の悲劇 | 畠山重忠の乱
畠山重保は生年不詳、武蔵国(※1)の御家人・畠山重忠(しげただ)の子として誕生しました。元服(成人)して通称を六郎と名乗ります。
鎌倉幕府の第三代将軍・源実朝(みなもとの さねとも)に仕えますが、思わぬことから御家人の平賀朝雅(ひらが ともまさ)と口論になりました。
『吾妻鏡』によると、朝雅は舅であった北条時政(ほうじょう ときまさ)に対して、畠山父子が謀叛を企んでいると讒言(※2)したと伝わります。讒言を受けた時政は、息子の北条義時・北条時房に畠山父子の追討を相談しました。時政は武蔵国の支配権を、畠山一族から婿の朝雅に移したかったと言われています(諸説あり)。
これを聞いた義時らは時政に反対し、畠山父子(特に重忠)の多年にわたる忠義を訴えました。「彼ほど高潔な人物に濡れ衣を着せては、みな北条を見放してしまうでしょう」しかし、時政の後妻である牧の方(まきのかた)が兄弟を説得して強引に押し切り、畠山父子の追討が決定してしまいます。
果たして1205年(元久2年)6月22日の早朝、まずは重保から討たれました。「由比ヶ浜(由比ガ浜)に謀叛人がいる」との虚報を受けた重保は、主従3人で海岸へ駆けつけ、そこへ待ち構えていた三浦義村(みうら よしむら)の軍勢に惨殺されます。
埼玉県嵐山町にある畠山重忠像
そのころ畠山重忠は、幕府からの呼び出しを受けて武蔵国から鎌倉へ向かっており、その道中で重保の悲報を聞かされました。
「追討の軍勢がこちらへ向かっております。ここは一度本拠地へ戻り、態勢をととのえましょう」家臣たちは徹底抗戦を進言しますが、重忠はそれを受け入れません。
「いっときの命を惜しめば、やはり謀叛を企んでいたのだと疑われるだろう。ここは命を惜しまずに最期まで戦い、武士の名誉をまっとうすべきだ」
重忠はわずか134騎で、義時ら率いる一万騎へ果敢に立ち向かい、壮絶な最期を遂げました。
無実の罪に滅ぼされてしまっても、潔く堂々と戦い抜いた重忠は「武士の鑑」として後世に名を残します。反対に、私利私欲で清廉潔白な重忠を陥れた時政は御家人たちの信望を失い、間もなく義時らによって鎌倉を追放されたということです。
(※1)むさしのくに:現代の埼玉県・東京都(島しょ部を除く)・神奈川県の北東部に当たる地域。(※2)ざんげん。相手を陥れる目的で偽りを言うこと。讒訴(ざんそ)とも。
畠山重保の墓ギャラリー
伝承によれば、この場所は、かつて畠山重保が館を構えていました。鎌倉のメインストリートである若宮大路に面した一等地で、重保が鎌倉幕府において重んじられていたことがうかがえます。
「六郎様」とも呼ばれる高さ3.4m超の石塔は、南北朝時代の1393年(明徳4年)に建立されました。1971年(昭和46年)9月11日に鎌倉市指定有形文化財となっています。
こちらの看板は鎌倉市教育委員会が2007年(平成19年)3月に建てたものですが、墓の管理はしていないとのことでした。
石塔は1933年(昭和8年)に建立されたもので、数百年の歳月を越えて重保を慕う人々の気持ちが伝わります。
境内の裏手には石仏などが祀られ、道行くひとびとを優しく見守っていました。
こちらの三猿は、親猿?(言わざる)が子猿(見ざる・聞かざる)を抱えたりおぶったりしている、珍しくユーモラスな形です。
六郎茶屋(ろくろうちゃや)の石碑。伝承によると、重保は喘息を患っていたことから、お茶を供えて「六郎様」を拝めば喉の病気が治ると信じられました。
それにあやかって墓のかたわらで茶屋を営む者がおり、明治時代の末ごろまで営業していたと伝えられます。
鎌倉町青年団が建立した由緒書きの石碑。ここでは「畠山重保ハ重忠ノ長子ナル…… 」とありますが、実際には庶兄(異母兄)がいたことが知られています。生母が北条時政の娘であったことから、嫡男(※)≒長男として扱われたのです。
(※)ちゃくなん。正室が生んだ男児。または家督継承権を認められた男児。
まとめ
今回は、畠山重保の墓を紹介しました。武士として素晴らしい心映えを備えていたがゆえに妬まれ、権力づくで滅ぼされてしまった若武者の悲劇を悼まずにはいられません。
2022年(令和4年)に放送された大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、畠山重保を杉田雷麟さんが、父の畠山重忠を中川大志さんが演じていたことが思い出されます。
お時間が許すなら、通りすがりに手を合わせていただけると嬉しいです。
畠山重保の墓
参拝時間
24時間
墓所であるため、夜間の参拝はおすすめできません。
バリアフリー
前面歩道が整備されているため、車椅子でも参拝可能です。石畳のため雨天時などは滑らないようご注意ください。
アクセス
所在地:神奈川県鎌倉市由比ガ浜2-14-14
JR鎌倉駅東口から徒歩10分(750m)
駐車場:なし(公共交通機関のご利用がおすすめです)
管理元
神奈川県藤沢土木事務所
電話:0466-26-2111(代表)
※墓が県道21号線の歩道上にあるため、道路の一部として管理しているものの、墓自体の所有者は不明ということでした。
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