
世界の檜舞台で活躍する若きピアニスト、藤田真央の2枚組ニューアルバム『ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番、ピアノ・ソナタ第1番、第2番 他(タイトル仮名)』が自身の28歳の誕生日=11月28日にリリースされることが先日発表された。ピアノ協奏曲第3番はアンドリス・ネルソンス指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とのライブ録音。ピアノ・ソナタ第1番、第2番(1931年改訂版)、他はスタジオ録音で、さる5月に一回目の録音がベルリンで行われた。併せて東京・福岡で2夜連続のピアノ・リサイタルが開催されることも発表。”ラフマニノフ・アルバム”の展望を、藤田に尋ねた。[聞き手:広瀬 大介]
ラフマニノフを深く掘り下げるために
ー今日は今年の終わり頃に発売される予定と伺っているラフマニノフの新譜について、いろいろとお話しを伺います。どうぞよろしくお願いいたします。これまでラフマニノフのピアノ協奏曲は、第2番と第3番を数多く演奏されてきたと思いますが、今回の録音にあたっては《ピアノ協奏曲第3番》だけを採り上げられるんですね。
藤田真央:そうですね。もちろん、すべて録音に残せればいいんですけど、いろんな制約もありますし。
ーでも状況さえ許せば、いずれは2番もと思ってらっしゃる感じでしょうか。
藤田:はい、今後もいろいろと機会はあるので、1番も4番も、もちろん、『パガニーニの主題による狂詩曲』も。特に4番は大好きな作品です。
ラフマニノフ《ピアノ協奏曲第2番》を演奏する藤田真央(2022年公開の動画)
ー私も大好き。晩年にラフマニノフがやりたかったことがすべて詰まってますね。でも今回は3番ということで、3番に決まった経緯を教えていただければ。
藤田:これは、私の3作目にあたるアルバムです。デビュー作の『モーツァルト《ピアノ・ソナタ》全集』は特に異論が出ることなくすぐに決まりましたが、『72プレリュード(ショパン、スクリャービン、矢代秋雄による24プレリュード集)』、今回のラフマニノフ集は、SONY CLASSICALチームとのさまざまなディスカッションがあって、その中で一番強い印象を受けたのがこの曲だった、ということなんです。ここ数年、ヨーロッパで活動して、頑張って、毎日を生きていく中で、いろんなアーティストに出会ってきました。若いアーティストにも、偉大な巨匠と呼ばれるような方々にも、大勢出会いました。
そのような巨匠たちは、私が幼い時から憧れを持っていた方々ばかりです。彼らの演奏を目の前で拝聴し、その素晴らしい演奏に圧倒される一方、歳を重ねればどうしても身体的な問題、つまりテクニックや運動能力の問題が生じることに気が付きました。
そういう御姿を見聞きしたときに、「ベストな状態で技巧的な作品を弾ける時間は限られている」と感じ、若いいま、思いのままにピアノを弾きこなせることがなんと貴いものなのか、実感したんですよね。とくにラフマニノフの3番は、ピアノ協奏曲の中でも頂点に位置する、象徴的な存在です。フィジカルな面において、この先、指がおもうように動かなくなってしまうかもしれないリスクを考えると、いま録音するのがベスト、という判断に至ったわけです。
ラフマニノフの作品は、超絶技巧を要する一方、同時に細かい要素が多くて複雑ですよね。《ピアノ・ソナタ第1番》、《ピアノ・ソナタ第2番(1931年改訂版)》も、ほとばしる熱い想いに圧倒されます。作品構成が難解で和声の解決されない瞬間が多い中、遂に主和音が帰ってきたとき、いきなり景色がスーッとクリアになっていくような光景が思い描けるというか。現在の自分が感じるイメージは、また5年、10年経ったら変わってくるでしょうし、テクニックも変わってくるでしょうけど。私の解釈する作品像を思う存分描くために、自分がいま持つ技巧を有意義に使いたいなと。
ーなるほど。今回はピアノ協奏曲第3番だけでなく、ピアノ・ソナタ2曲も収録されるんですよね。1番はほとんど演奏されることがありません。2番が有名ですけれど、だれもがレパートリーとして手のうちに入れている作品でもないでしょう。この両曲を採り上げよう、と思われたのは、モーツァルトのソナタ全曲録音のときのように、ある種の連続性のようなものを意識されていたりするのでしょうか。
藤田:そんな感じですね。モーツァルトのピアノ・ソナタ全集を録音した時もそうだったんですが、やはり作曲家の最初期の作品から後期の作品すべてを網羅することで、楽譜に書かれている以上のものが得られるのではないかなと、私は思ってはいるんですね。すべてを通して弾くことで、モーツァルトの歴史や性格、手法について学ぶところがたくさんありました。今回取り上げるラフマニノフの作品ですと、1905年から10年間、モスクワ音楽院を卒業した時期に書かれた《幻想的小曲集》にはじまり、その後の《ピアノ・ソナタ第1番》、《第2番》、《ピアノ協奏曲第3番》もこの時代に書かれている。二つのピアノ・ソナタを取り上げることで、ラフマニノフの身に起こったこと、心情の変化、ラフマニノフのお嬢さんや御夫人のことなど、色々と知ることができる。コンチェルトを数多く弾いてきましたが、さらに深くこの人物像に迫れるんじゃないかという期待、もっと彼を知りたいという欲求からきたのかもしれません。
「世界最高峰の指揮者」ネルソンスとの収録プラン
ー今回はアンドリス・ネルソンスとの共演です。ネルソンスとの初共演は、代役でショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番でした。それからのネルソンスとの付き合いはどれくらいになるのでしょう。
藤田:ネルソンスさんとは、初共演の際ショスタコーヴィチ《ピアノ協奏曲第1番》、その後シューマン《ピアノ協奏曲》を演奏しました。先月(2026年4月)はモーツァルト《ピアノ協奏曲第21番》をボストン(交響楽団)で演奏しましたね。つい最近、私はハーゲン・カルテットのウィーン最終公演に参加させて頂いたんですよ。すると同時期にウィーン・フィルを振りに来られていたネルソンスさんに、レストランでたまたま遭遇したんです!
アンドリスのユニークさ、秀でた素晴らしさというのは、オーケストラとソリストの音を徹底的に聞いてくれることです。バランス感覚にとても優れていて、私が出した音色を聞き取りオーケストラに伝えることができます。そして同じ音色を作り出せる。ボストン・シンフォニーホールの楽屋は古い建物なので、エレベーターが無いんですね。楽屋口に入ると階段があって、その先に私の部屋が見えます。ネルソンスさんの楽屋は、そのまた上の階にあるので、出入りする際はどうしても私の楽屋の前をとおることになるんですが、毎回必ず顔を出してくれるんです。慈愛に満ちていて、心が温かくなるような方ですね。指揮者としては、「こうやりたい」という主張もあると思うんですが、ソリスト、あるいはオーケストラ奏者がやりたいことを尊重しつつ、最適なところに落とし込んでいくっていう、そんな方ですかね。もちろん、御自身の持っているアイディアもとても素晴らしいのですが、私が「ここはこう思うのですが」と言ったら、嫌な顔ひとつせずに、すぐに対応してくれる。あんなに偉大な方なのに、と恐縮に思うんですが、本当にありがたい存在ですね。
この投稿をInstagramで見る 藤田 真央 MAO Fujita(@maofujita_piano)がシェアした投稿
ーラフマニノフの共演はこれからの収録と承っていますが(※9月予定)、ネルソンスと収録のプランについて、すでに語り合ったことはありますか。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とも共演は繰り返されていると思いますが。
藤田:ネルソンスさんはそれこそ毎週のように特別なイヴェントを抱えているお忙しい方なので、まだ具体的なことは話し合っていませんが、近くなったら打ち合わせはすることになると思います。ゲヴァントハウス管弦楽団がもっているのは、弦楽器のしなやかな音色ですね。特別な音がします。最初にショスタコーヴィチを共演したとき時からそうでした。その後、モーツァルト《ピアノ協奏曲20番》と《21番》でも共演した時に改めて感心したんですが、ほんとうに特別な弦の香りがするんです。いままでに感じたことがないような。空間を支配してしまうような、でも厳しくはなく、柔和な雰囲気を羽織るような音色。土臭くもあるけど、チェコ・フィルほどではない。そう、うまく言い表すのは難しいんですけど、本当に特別な音色を持っている。管楽器セクションも充実していますし、濃厚です。ラフマニノフ《ピアノ協奏曲第3番》冒頭の2小節を弦楽器がどんな音で奏でるのだろう、という期待がありますね。
ー最近のオーケストラは、ご多分に漏れずグローバル化が進んできて、画一化が進んできたって言う人も多いじゃないですか。でも真央さんはチェコ・フィルだったり、あるいはゲヴァントハウスだったり、世界中のオーケストラを回られてきたなかで、それぞれの独自の音っていうのはまだまだ残っていると感じられているのでしょうか。
藤田:……と思います。伝統は色濃く受け継がれていて、オーケストラの持つ音色というのがある。その楽団によってさまざまな個性があると思っていて。ベルリン・フィルも音が変わってきたとは言われるんですけど、でも私からしたらまだまだ、奏者それぞれの根強い魂が宿っているような気がします。
先行レコーディングの手応え、新作の抱負
ーこのインタビュー時には、併録される小品集だけが収録済みということになりますか。レコーディングはどのような感じで進んだのでしょう。
藤田:今回は2日間かけて収録したのです。《幻想的小曲集》と、歌曲2曲、ものすごくエネルギーを消費しました。録音は、単に音を弾くっていう行為以上のエネルギーを必要とするんですよ。ひとつひとつの音に命を与えながら弾いて、それをあらためて聴いていく。レコーディングの方法って人それぞれなんです。数回通して演奏・録音して、あまり良くないところだけパッチングし、それで完成させる方もいます。私はそれがすごく苦手なので、最初から最後まで通して弾くのを何度も繰り返す。ですからテイク12とか13とか毎作品かかってしまい、5分の作品でも、10回以上撮り直していたらかなり時間がかかります。《幻想的小曲集》より第3曲目の《メロディー》、浮遊感のある一小節の前奏、それをふわーっと、ものすごく美しく弾けた時の達成感がすごかったんですよね。とても美しいものが届けられるんじゃないかな。そうそう、私はここ数年、ワーグナーに心を奪われているのですが、それこそ第5曲目の《セレナーデ》という作品が、《マイスタージンガー》そのものですね。第2幕にてベックメッサーがリュートを持って歌い、エーファと侍女のマグダレーナがどうしよう、と戸惑っているあの場面。第1番のソナタもワーグナーのエッセンスを感じるんです。左手の伴奏が下行して、また浮かび上がってくるような音型は、まさに《ラインの黄金》の、ラインの乙女たちの場面から取っているんじゃないか、と。ラフマニノフは新婚旅行で、御夫人と一緒に《ラインの黄金》を見たというので。無限旋律的なメロディーのつなぎ方とかもまさにそうで、和声の変わり方も色濃く影響を受けているんじゃないか。私がいまワーグナーに取り憑かれているので、そう感じただけかもしれないんですけど。でも、そういう面から音楽と向き合えるようになったのも、モーツァルトやプレリュード集を録音したときにはなかった引き出しかな、と思います。
ー今回はご自身の編曲も含まれていますね。
藤田:そうですね。《ここは素晴らしい場所》の編曲が完成した場所はミネソタだったんですよ。2月のミネソタ。マイナス15度の日でした。他のアーティストによるこの作品の編曲版はいくつかあるのですが、歌曲の唱法を表現するには、ピアノはあまり適していない。音が減衰してしまう編曲も、ファンタジーに満ちあふれ過ぎている編曲もちょっと違う曲になってしまっているような気がして。だったら、両者をうまい具合に折衷させたような作品を自分で作っちゃえばいいんじゃないか、とおもってやってみたんです。この時期はレコーディングに向けてラフマニノフの作品を集中的に練習し、深く接していく最中でした。少しずつ「彼らしさ」というものを吸収しつつもあり、彼に倣った特殊な和音を入れてみたりもしましたね。さらにミネソタの寒い環境のお陰で、五線紙にじっくり向き合う時間をもらえました。もしかしたら、少しワーグナー風味も入ってしまったかもしれませんね(笑)。
ー録音の際は、トーンマイスターのフィリップ・ネーデルとご一緒に仕事をしていると伺っています。ネーデルとはどのように仕事をされているのでしょうか。
藤田:モーツァルト全集の時からネーデルさんとはご一緒しています。何が素晴らしいかというと、声がとてもジェントルで、まるで直接あなたの心に向かって話しかけてますよ、っていうくらい、温かみのある声なんです。さらには言葉の使い方も巧み。たとえば、ある箇所があまり良くなかった場合に、「それもいいけど、もっとうまくできるんじゃないか」という意欲をかきたててくれるような言い回しを使ってくださるんですよね。ある作品で転調してピアニシモになる瞬間。「ぼくがきみだったら、もっと素晴らしいピアニシモの雰囲気が出せると思うよ」という言葉をかけてもらいました。そうか、ならやってやろうじゃないかって思わせるような言い回しですよね。私もうまく乗せられちゃうんです。私はとても我慢強いというか、自分に厳しく接してると思っていて、みんなが「もういいよ、素晴らしいものが録れた」って言っても、まだできるんじゃないかって思っちゃって。ネーデルさんは、そういう時も私についてきてくれる。嫌な顔ひとつせず、テイク14とか15を既に録ってても、もう一度最初から録ってくれるんです。すべてのマイクを微調整したり、ボリュームのバランスを整えたりとか、本当に大変だと思うんですけどね。一緒に音楽を続けていく中で、そういう誇りある仕事をしている人々に接せられる今の環境がとてもいいなと思っています。
ー今回のアルバムは、いまから半年ぐらい先のリリースになると思いますが、先行する形で、ファンの皆様にお届けしたい抱負とか意気込みとかをお聞かせいただけたら嬉しいです。
藤田:過去のアルバムで自分が学んできたものが、今回のラフマニノフ全集で実を結ぶのではと思っています。『モーツァルト《ピアノ・ソナタ全集》』では、形式や構成のあり方など、アナリーゼの原点となることを学び、シンプルな音たちをどのように組み合わせて良い音を出していくかを熟考しました。一方『72プレリュード』では、短い作品でさまざまなキャラクターを描き分ける方法に向き合いましたね。
ラフマニノフの作品の場合は、ひとつひとつの要素がさまざまなかたちで組み合わさっており大変複雑ですけれど、最後の主題が登場した時に、全てのキャラクターが大きなソナタ形式という枠組みの中に収まっていることが明らかになる。この点については、前2作での経験が活きると思います。一方、小品集や歌曲では、日々触れているオペラにおいて、歌い回しや歌手の呼吸抑揚の付け方などを学んでいるので、それらを自分の中で咀嚼してうまく出せるのではないかなと思います。自分は日々成長していて、いまが一番うまいんじゃないかっていつも思うんですけど(笑)常に刺激を受け、学びを取り入れていると思うので、いま出せるものすべては出し切った、そう言えるアルバムにしたいと思います。
ー今日は本当にありがとうございます。今度はゆっくり、ワーグナーの話に花を咲かせましょう!(笑)
藤田:ぜひ!本当にたのしみです!
「THE FIRST TAKE」でのパフォーマンスもチェック
藤田真央
『ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番、ピアノ・ソナタ第1番、第2番 他(タイトル仮名)』
2026年11月28日(土)発売予定 Blu-spec CD2
初回生産限定盤(2枚組) \5,500(税込)特典ブックレット付、三方背化粧箱入り
通常盤(2枚組) \4,400(税込)
アルバム予約:https://sonymusicjapan.lnk.to/MaoFujita_Rachmaninoff
〈収録予定曲(収録曲順は未定)〉
セルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)
1.ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 Op.30
2.ピアノ・ソナタ第1番 ニ短調 Op.28
3.ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調Op.36(1931年改訂版)
4.「ここは素晴らしい場所」Op. 21-7(藤田真央編)
5.ヴォカリーズ Op.34-14
6.幻想的小品集 Op.3
ピアノ:藤田真央
アンドリス・ネルソンス指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(1.)※予定
1.:2026年9月 ライプツィヒ、ゲヴァントハウス(ライヴ録音)
2.〜6.:2026年5月、8月 ベルリン、b-sharp
2夜連続公演 藤田真央ピアノ・リサイタル
2027年1月7日(木)・8日(金)福岡シンフォニーホール
2027年1月13日(水)・14日(木)東京・サントリーホール
※公演詳細は2026年8月に発表予定

