だが、その一方で傷つく人がいる。白鳥は、そのたった一人だった。そして興味深いのは、茉莉とあかりが、その「一人」を見捨てなかったことだ。「私一人のために?」と驚く白鳥に対し、茉莉は当然のように支援を語る。それは票になるからでもない。多数派だからでもない。目の前に困っている人がいるからだ。

前回、PTAや保育士、障がい当事者、離島職員などの声に耳を傾けていた姿とも重なる。あかりたちがやろうとしている政治は、最初から「大衆」を見ていない。まず「一人」を見る。そして、その一人を見続けた先にしか、本当の意味での「みんな」は存在しないと信じている。その姿勢は、どこか宮沢賢治の思想とも重なっては見えないだろうか。

そしてラスト。白鳥は、フルルンを愛する少年・ひなたの前で再びフルルンの声を発する。そこにいたのは消費者ではない。作品によって励まされ、救われた一人の少年だった。

その瞬間、白鳥は思い出したのではないだろうか。自分の声が、単なる音声データではなかったことを。誰かの人生の一部になっていたことを。だから戻ったのは声ではない。人と人とのつながりへの信頼だった──。

宮沢賢治は「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と書いた。だが、その世界全体の幸福とは、決して巨大な理念だけを指す言葉ではなかったはずだ。目の前のたった一人を見捨てないこと。今回の『銀河の一票』は、その賢治的な理想を、生成AIという現代的なテーマを通して描いてみせたように思える。

  • (C)カンテレ

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「声が人の記憶になる」「キャラクターと共に生きる」とはどういうことか

本作には、人気声優の梶裕貴が出演している。そしてここに来て、声優界のレジェンド・日高のり子が登場した。

アニメファンにとって日高のり子という名前は、一つの時代そのものだ。『タッチ』の浅倉南、『となりのトトロ』の草壁サツキ、『らんま1/2』の天道あかねなど、日本アニメ史に残るキャラクターを数多く演じてきた。テレビアニメが子ども文化から国民的文化へ成長していく過程を、その声で支えてきた人物と言っても過言ではない。

そんな日高が演じるのは、国民的人気アニメ『ふるるんくっか!』の主人公フルルンを担当する声優・白鳥光留である。面白いのは、この配役が極めてメタ的な構造を持っていることだ。作中の白鳥は、長年愛されてきた人気キャラクターの声優だ。そして現実の日高もまた、何十年にもわたって日本中の子どもたちや視聴者の記憶に刻まれるキャラクターを演じ続けてきた存在。だからこそ、このキャスティングには説得力があった。

もしこれが日高ではなく、他の女優だったら、ここまでの重みは生まれなかっただろう。「声が人の記憶になる」とはどういうことか。「キャラクターと共に生きる」とはどういうことか。その問いを語る資格を持つ人物として、日高以上にふさわしい存在はなかなか思い浮かばない。

そしておそらく、今後さらに興味深い展開が待っている。もし白鳥が、あかり陣営のウグイス嬢を務めることになればどうだろう。選挙カーから響くのは、単なる美しい声ではない。何十年もの間、日本中の子どもたちを励まし、勇気づけ、夢を見させてきた「物語の声」である。それは選挙演説の技術論を超えた、象徴的な意味を持つだろう。

AIの時代になっても、人を救うのは人である。そんな当たり前で、しかし忘れられがちな真実を描いた第8話だったように思う。

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