フライング・ロータス『1983』20周年 ゼロ年代の音楽的革新と並走した「鬼才の原点」

フライング・ロータス(Flying Lotus)ことスティーヴ・エリソンの名を世界に知らしめた1stアルバム『1983』が、リリースから20年目を迎える2026年に、〈Brainfeeder〉から正式にリイシューされた(※国内盤は6月12日リリース)。ストリーミング・プラットフォームでも長らく聴くことができなかっただけに、もしかしたらこの機会にはじめてこのアルバムに触れたという人も少なくないかもしれない。

ヒップホップ、IDM、ジャズ、映画音楽……と多彩なジャンルを貪欲に取り込むプロデューサーとして、あるいはサンダーキャットやルイス・コール、果ては長谷川白紙までを擁するレーベル〈Brainfeeder〉のヘッドとして、またあるいは映画監督として、いまや多彩な顔を持つフライローだが、『1983』はまさしくその原点だ。1983年が自身の生まれ年であり、「自分たち」の世代を言祝ぐ一作であることも含めて。

しかし、いまのフライローを期待して聴くと、そのサウンドはいささか粗削りでシンプルに思えるかもしれない。先ごろリリースされた最新EP『BIG MAMA』は、13分半ほどの尺にこれでもかと緻密なシーケンスと過剰な展開、サウンド・エフェクトが詰め込まれている。ぱっと並べて聴いて、同じアーティストとはにわかに信じがたい。『1983』はより「ビートメイカー」然として、レイドバックしたグルーヴや、電子音とローファイなサンプルがつくりだす、メランコリックなサイケデリアに包まれている。

『1983』は、ロサンゼルスに拠点をおくIDM/エレクトロニカのレーベル〈Plug Research〉からリリースされた。冒頭からリスナーを出迎えるのは、レトロなSFを思わせるアナログなシンセのサウンド。レコードのクラックル・ノイズにまみれた壮大なヴィジョンを垣間見せたかと思うと、チップチューンにも似たむき出しの電子音が浮遊感あふれる陰りのあるハーモニーを奏でだす。一方で、いびつにヨレたドラムとベースのグルーヴは、同作のリリースの8カ月前に急逝したプロデューサー、J・ディラの影響を強く感じさせる。そんな表題曲「1983」は、まさしく本作の顔といっていい。

プレフューズ73やダブリー(Dabrye)といったIDM/エレクトロニカに接近するアンダーグラウンドなヒップホップの系譜に連なりつつも、そうした先行する世代とは一線を画する。あるいは、マッドリブや晩年のJ・ディラといったロサンゼルスの先人からインスパイアされつつも、また違う感性を持っている。どんなところが? 簡潔に言うならば、スペーシーでサイケデリック、断片的でありながら壮大。こうしたポテンシャルは、ロサンゼルスの街を舞台に「架空の映画のサウンドトラック」をコンセプトとした『Los Angeles』ではっきりと開花するが、本作に集められたビートたちもまた、鮮やかな映像的イマジネーションを刺激する。

『1983』と2006年の時代精神

ひとりのアーティストの原点として聴くべき点の多いアルバムであることはもちろん、『1983』は時代の空気感を封じ込めた一作でもある。サイモン・レイノルズはかつてフライング・ロータスをこんなふうに評している。いわく、「フライング・ロータスはローカルに根付いていると同時に、場所に縛られない存在でもある」。2011年の著書『Retromania: Pop Culture's Addiction to Its Own Past』で、フライローの『Cosmogramma』を論じるなかで出てくる表現だ。

実際、レイノルズが簡潔にまとめるように、フライローは2000年代後半から世界的な注目を集めることとなる、地元ロサンゼルスの「LAビート」シーンに導かれ、かつそのシーンを代表する存在だ。また同時に、そのサウンドは大西洋の両岸で同時多発的に盛り上がった新たなエレクトロニック・ミュージックとも強く共振するものでもあった。当時「ウォンキー」と呼ばれたエレクトロニックなビート・ミュージックは、ハドソン・モホークやラスティのいたスコットランドのグラスゴーをはじめ各地で盛り上がりを見せ、〈Rush Hour〉のコンピレーション・シリーズ『Beat Dimensions Vol.1 / Vol.2』(2007年、2009年)には、イギリス、オランダ、スウェーデン、スペイン、カナダ等々のビートメイカーが名を連ねていた(フライローもサムアイアムとのユニットFLYamSAMで参加)。

さらに、この時期はイギリスから発信されたダブステップが世界的な注目を集めるジャンルとなり、さまざまなスタイルへ分化していくポスト・ダブステップの揺籃期でもある。『1983』と同年、半年ほど先駆けてベリアルの1stアルバムがリリースされている。また、のちにブロステップにつながっていくアグレッシブなベースの実験がみられるようになり、ブリストルのジョーカーらによるギラついたシンセ・サウンドを特徴とするパープル・サウンドも登場。「ウォンキー」なサウンドともつながっていく。2000年代後半から2010年代初頭にかけては、サウンド・システム文化の流れを組むベース・ミュージックと、ヒップホップ的なビート・ミュージックが近接しつつ先鋭化していた。『1983』も、こうした当時の熱気の一部としてあった。『1983』のリリースと同年に開始し、フライローのホームともなったLAビートシーンの本拠地的パーティ〈Low End Theory〉は、まさしくそんな折衷的な感性を育む場でもあった。

ロサンゼルスでGファンクをはじめとしたヒップホップを愛するキッズとして育ち、のちに自らもサインすることになるイギリスの名門〈Warp Records〉所属のアーティストたちがつくるエレクトロニックなサウンドにも夢中になった。そんなバックグラウンドを持つ彼の作品が、ローカルなシーンへ帰属しつつシーンの外へも大きな影響を与えるものになるのも無理はない。加えて、MySpaceなどのSNSがインターネット上でのアーティスト同士の交流を加速していた、インターネット以後の情報環境もそんな傾向を加速させていたことも付記しておこう。

その後の進化を予感させる音像

あらためて『1983』に戻ろう(なにしろまだ表題曲の話しかしていない!)。「Bad Actors」や「Shifty」といった短いビートは、J・ディラの『Donuts』のスタイルを即座に連想してしまうところがあるものの、聴きどころはやはり、スペーシーな電子音やざらついたサンプルのレイヤーがつくりだす、ときにイーサリアルですらある世界だろう。

「1983」に続く「São Paulo」は、前者ほどの壮大さこそないものの、ヨレたグルーヴとたゆたうようなエレクトリック・ピアノ、かすかにヴェールをかけるように浮かび上がる電子音が、静謐さのなかに奥行きのあるフューチャリスティックな光景を描き出す。幾重にも重なるパッドの質感や、遠くへ意識を飛ばすようなシンセのメロディが強烈な没入感をもたらす「Orbit Brazil」も素晴らしい。アルバムのなかでもとびきり静謐で耽美的でさえある「Untitled #7」は、のちの〈Warp〉との契約も納得の、エレクトロニックな叙情性を湛えている。また、6分40秒にわたるアルバム最長の「Pet Monster Shotglass」は、フライローのこうした感性がPファンク的なグルーヴィなサイケデリアに注入されたかのよう。

しかし、その後のフライローの歩みを考えると、三拍子の催眠的なサンプルとイノセントな歌声がスピリチュアルな感覚を呼び覚ます「Unexpected Delight」がもっとも興味深いかもしれない。ここでボーカルを担当するローラ・ダーリントンはフライローのその後の作品にもたびたび参加する重要人物のひとり(本作にリミックスを提供しているデイデラスのパートナーでもある)。「ビート」や「ベース」、あるいは音の厚い重なりがつくりだすテクスチャといった(当時からみて)新奇な要素ではない、フライローの志向が滲んでいる。

本作のリリースから半年もたたずにフライローは〈Warp〉とサイン。1年後には『Reset EP』をリリースする。これも良い作品(「Tea Leaf Dancers」は個人的にフェイバリットのひとつ)だが、先述したように、彼の本領がいかんなく発揮されたのは2008年の2nd『Los Angeles』だろう。さらに、ビート・ミュージック的な文脈から一歩踏み出した次作『Cosmogramma』以降は、サンダーキャットをはじめ〈Brainfeeder〉周辺に集うジャズをバックグラウンドに持つミュージシャンらと交流を深め、音楽性も変化させていく。「汚し」の美学だけではなくミックスにも意識を向け、腕利きのミュージシャンたちに学んでソングライティングやアレンジメントのスキルも蓄えるようになる。とりわけ『Flamagra』は、豊かな音楽的語彙とカオスをキャッチーに聴かせる成熟が詰まった、当時の集大成といえよう。

このように、20年のキャリアを通じて着実に音楽性をスケールアップさせてきたフライロー。『1983』のリイシューは、そんなキャリアの重みを再確認するいい機会だろう。加えて、『1983』をゼロ年代後半のエレクトロニック・ミュージックに起こった革新のなかに位置づけて聴けば、2010年代以降の展開を振り返る一助にもなるのではないだろうか。

フライング・ロータス

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