【鎌倉 観光スポットレポ】蛭子神社 - 中世鎌倉の多彩な信仰が息づく…

鎌倉駅東口から徒歩6分(450m)、小町大路(※)を歩いていると、立派な鳥居が目に入るでしょう。

今回はこちらの蛭子神社(ひるこじんじゃ)を紹介します。鎌倉散策を楽しむご参考にどうぞ。

(※)こまちおおじ:若宮大路の東側を並走する通りで、反対側の小町通り(こまちどおり)とは別です。紛らわしいのでご注意ください。

蛭子神社の歴史

社伝や『鎌倉古社寺辞典(吉川弘文館)』などによると、創建は鎌倉時代中期(13世紀半ば頃)、当初は七面大明神をお祀りしていたと伝わります。

明治時代に入ると、神仏分離令にともない付近の本覚寺から夷三郎社(夷堂)、同じく付近の宝戒寺から山王大権現(山王社)が合祀されます。お寺を追われた神仏習合の神様が避難してきたイメージでしょうか。

1873年(明治6年)に村社として指定され、翌1874年(明治7年)に社号を蛭子神社と改めました。また、同じ年に鶴岡八幡宮の今宮から社殿を移築したと言います。

社殿は1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊してしまったものの、1933年(昭和8年)に再建され、今日に至るまで小町の鎮守として人々から厚く崇敬されてきました。

蛭子神社の御祭神

永い歴史を積み重ねた蛭子神社では、現在どんな御祭神が祀られているのでしょうか。

大己貴命(おおなむちのみこと)

いわゆる大国主命(おおくにぬし)の別名で、大いなる穴≒大地の神という意味です(諸説あり)。

波乱万丈の生涯を乗り越え、豊葦原中国(とよあしはらなかつくに。日本の美称)をよく統治したことから、幅広いご利益で信仰されてきました。

主なご利益

国家安泰(国造りの神様)良縁和合(縁結びの神様)健康長寿(薬作りの神様)五穀豊穣(農業の神様)産業振興(商売の神様)招財進宝(金融の神様)出世開運(仕事の神様)学業成就(勉強の神様)除災招福(困難を乗り越える神様)

…… などなど(神社によって異なります)。細かく挙げたらキリがありません。

また「大国(主)」の名が「ダイコク」と音読みできることから、七福神の大黒天(だいこくてん)とも同一視されました。

元の御祭神たち

かつて蛭子神社に祀られていた神様たちです。彼らはどこかへ行ってしまったのでしょうか。あるいは主祭神と共に、今も人々を見守っているのでしょうか。

七面大明神(地主神)

元々この地に祀られていた神様で、その別名を七面天女(しちめんてんにょ)と呼ばれるとおり、法華経を守護する女神でした。

日蓮宗の総本山である身延山の裏鬼門(南西)に当たる七面山に鎮座していたことが神号の由来と伝わります。七面大明神を祀るお堂を七面堂と呼び、各地の日蓮宗寺院に存在するので、機会があればお参りするのもよいでしょう。

やがて彼女は吉祥天女(きっしょうてんにょ。美と幸福の女神)や七福神の弁才天(べんざいてん。芸能と才知の女神)と同一視され、人々に崇敬されてきました。

恵比寿(夷三郎社)

七福神の一柱として知られ、夷三郎(えびすさぶろう)とも呼ばれます。

日本神話に登場する蛭子命(ひるこのみこと)や事代主命(ことしろぬしのみこと)に比定されることが多く、いずれも海にまつわる神様として、人々から信仰を集めてきました。

狩衣姿で釣竿を担ぎ、大きな鯛をわきに抱えて満面の笑み(いわゆる恵比寿顔)を浮かべているのが特徴的です。豊作豊漁・商売繁盛・家内安全などのご利益で知られ、地域によっては「えべっさん」と親しまれています。

山王権現(山王大権現)

仏教(天台宗)に神道と山岳信仰が習合した神様で、比叡山延暦寺の鎮守として祀られてきました。山王(さんのう)とは天台宗の本場・天台山(中国浙江省)を鎮守する山王元弼真君(さんのうげんひつしんくん)からとったものです。

日本神話の大山咋神(おおやまくいのかみ)と同一視され、山林守護や農業治水の神様として崇敬されてきました。各地の日枝神社(ひえじんじゃ)や日吉神社(読み同じ)、松尾神社などでも祀られています。

境内ギャラリー

ここでは、コンパクトながら情緒あふれる境内の見どころをピックアップしました。

可愛い獅子たち

社殿を見上げると、獅子の彫刻がお出迎えしてくれました。何だか目がキラキラ輝いて見えるのは気のせいでしょうか。

こちらの獅子は、何だか笑っているように見えますね。傍らに彫られた鳥たちを追い駆けて、無邪気に遊んでいるのかもしれません(食べないでね!)。

ちょっと怖い?獅子たち

と思ったら、奥にはちょっと眼つきの鋭い獅子たちの彫刻がいました。視線の先には、何を見据えているのでしょうか。

扁額を支えている獅子や、そのまた向こうの獅子も、鋭い目つきをしていました。境内の見守り、いつもお疲れ様です。

立派な御神木

社殿のかたわらに、大きな公孫樹(イチョウ)の樹がたたずんでいました。注連縄を巻かれているため、御神木のようです。

カメラに収まり切らないため、ここまで下がって撮影し直しました。天衝くばかりの威容に、思わず感じ入ってしまいます。

展示されているお神輿

こちらは神事において実際に担がれるお神輿が展示されていました。普段からこうして見学できると、テンションが上がりますね。

「魚可”し(うおがし)」手水鉢

手水鉢に刻まれた赤い文字は「魚可”し」と書いて「うおがし(魚河岸)」と読みます。「の」の上に「一」を書いて「可(か)」、濁点をつけて「が」です。

海が身近な鎌倉らしい寸景と言えるでしょう。

手水舎には、獅子と象が彫刻されていました。江戸時代以前の芸術作品を見ると、象に対する強烈なインパクトや憧れ、霊獣としての威厳が色濃く表現されているのがわかります。

昔の社号碑「恵比寿尊社 蛭子神社」

境内の片隅にたたずむこちらは、昔の社号碑です。かつては「恵比寿尊社」とも呼ばれていました。

蛭子は「えびす」とも読めるため、恵比寿から蛭子(えびす)そして蛭子(ひるこ)へと移り変わった歴史が感じられます。

「皇紀二千六百年記念」碑?鳥居跡?

同じく境内の片隅にたたずむこちらの石柱は、一体何でしょうか?足元もしっかり整備されているので、明らかな意図があるはずです。

近づいてよく見ると「皇紀二千六百年記念」なる文字が。これは皇紀2600年=1940年(昭和15年)を祝賀する行事が全国各地で開催されたため、その記念で建てられたものでした。

皇紀とは初代・神武天皇が即位された≒日本国が建国したとされる紀元前660年を起点とする年号表記で、例えば2026年(令和8年)は皇紀2686年となります(西暦に660年をプラスすればOK)。

察するところ鳥居の柱だったのが、老朽化にともなってこの部分だけが保存されているのでしょう。先人たちの思いを少しでも受け継ぎたい優しさが感じられました。

まとめ

今回は、鎌倉市小町に鎮座する蛭子神社を紹介しました。古くから人々に敬愛され、大切に護持されてきた歴史の積み重ねが感じられる、とても素敵な神社です。

小町大路には神社仏閣が数多あるので、たくさんお参りしてそれぞれの個性を比べてみると楽しめるでしょう。

蛭子神社

参拝時間

24時間

※照明が暗いため、夜間の参拝はご注意ください。

主な祭礼

祈年祭(きねんさい) 3月19日に近い日曜日例大祭(れいたいさい)→宵宮祭(よいみやさい) 8月中旬に近い日曜日→神幸祭(しんこうさい) 8月20日に近い日曜日新嘗祭(にいなめさい) 11月20日に近い日曜日

バリアフリー

境内はほとんど平坦なので、 車椅子でも参拝可能です。ただし社殿の手前には石段があるため、鈴を鳴らしたりお賽銭を入れたりするのは難しいかもしれません。

アクセス

所在地:神奈川県鎌倉市小町2-23-3

JR鎌倉駅東口から徒歩6分(450m)

駐車場:なし(近くのコインパーキングか、公共交通機関のご利用がおすすめです)

連絡先

管理元神社:八雲神社(鎌倉市大町1-11-20)

電話/FAX:0467-22-3347

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