日本の芸能界は、事務所制だ。海外ではエージェント形式が主流で、すべてのやり取りはエージェントが取り仕切ってくれる。日本でそれを行うのは芸能事務所。事務所がテレビ局や、プロモーターなどとつながり、アーティストは事務所の指示に従い、その場へと招待される形でパフォーマンスを披露する。
だが、今のshelaは違う。事務所に所属しておらず、マネージャーもいない。つまり、“つながり”が、ない。だがその“つながり”になってくれたのが、shelaの奏でる“音”でつながったファンたちであった。これまでもUSENやYouTube『THE FIRST TAKE』へのオファーなど草の根運動を続けていたが、ファンクラブ結成とともに、その“つながり”はより強固さを増した。そして、それがついには、shelaファンであるプロモーターとのつながりも生んだのだ。
「ファンの方々がレールを引いてくださるんです。今まで起きてきたことすべて、ファンの皆さんが私に与えてくれたもので出来ている。私を“shela”に“してくれている”のはファンの方々なんです」(shela)
感謝しながらも、責任が混じる。それは彼女のプライドだ。
「ライブを重ねるにつれて、私の中でも変化が起きました。一昨年のライブでは“お久しぶりです”といったニュアンスが多少なりとも、あった。でも、それではいけない。ライブに来てくださったからには、満足していただきたい。当時を思い出してもらいたい。当時の声を取り戻さなければならない。心に残るライブをお届けしなければならない。それは“完璧な歌声”を披露するという意味ではない。それならCDでいい。ライブは生もの。だから、そのライブならではの、その時だけの歌を奏でたいのです」(同)
──20年前のあの頃、ファンが青春の中で聴いていたshelaを届けるとともに、ライブでしか味わえない何かを贈る。…しかし、この難題が彼女の前にそびえ立っている。20年間のブランクを取り戻すのは容易ではない。そのプレッシャーが彼女を焦らせる。「でも私はすごく負けず嫌い。そんな自分に負けたくないんです」と語気を強める。彼女は今、鏡に映ったくじけそうな自分を自らの手で打ち砕かんとしている。鏡の先の未来へ向けて。
「北海道在住なので、東京のように十分にリハができるとか、そういった面でも、いろいろな困難が伴います。ですが、環境が整っていないのは、言い訳にはならない。私ができるのは、ちゃんと“何か”を届けられるかどうか。残せるかどうか…。そこの芯だけは、決してブレません。それが私なりの信念です」
ファンとの“絆”を再確認したハンバーガーの奇跡
──閑話休題。ところで、そんな彼女を支えているファンたちの絆に関し、昨年12月の東京でのファンミで、とあるユニークな事件があった。
ファンクラブのグループチャット内で、shelaが「ハンバーガーを食べた」という投稿をしたのだ。これにファンたちが反応する。ハンドルネームは互いに見知っていたこともあったのだろう。ファンミ後、有志たちが集まり、ハンバーガーを食べに行った。その店がなんと、shelaがハンバーガーを食べたお店とドンピシャリだったのである。
「驚きましたね(笑)。東京で、これだけハンバーガーショップがあるにもかかわらず、私が食べたお店に、たまたまファンの方々が集まるなんて、すごい話じゃないですか…!? 驚きと同時に、ファンの皆さんとの“縁”も、強く感じました。そんなファンの方々がいる…それだけでも私は、幸せです」(shela)
これは、ファンクラブ効果かもしれない。ファンクラブ設立後、明らかに、shelaとファンの絆は深まった。同時にファン同士の絆も深まっている。それが3月のライブにもつながったのだ。プロモーターがshelaファンだったという偶然も含めて。
「『Friends』の歌詞にもありますが、普段の私は、すぐに“私なんて”と思ってしまうところがありました。そんな私に、ファンの方々がプレゼントしてくれているんです。20年前のあの続きを。いただいているんです。パワーを。そんなことが続いたある日、私はふと、気づきました。最近の私は、未来に向かって話すようになったなって…。ファンの方たちのおかげで、私は今、前を見据えて、今も話ができている──」
“私なんて”──そう思っていた少女は今、未来を見ながら言葉を紡いでいる。「ファンの方からもらったエネルギーをエネルギーで返したい。エネルギーの円環──無限に続くループをさらに強くしていきたい」、そう祈りのように言葉を紡いでいく。
彼女はもう、過去を振り返るために歌うのではない。未来へ進むために歌うのだ。
──最前列で見上げていた少年と、ステージに立ち続けた歌姫。時間は別々に流れていたものの、胸には同じ歌を抱いていた。それをつないだのがファンたちだ。ファン一人ひとりが灯し続けた小さな火がやがて大きなエンジンとなった。静かに積み重なったそれぞれの時間がある日、ふっと“奇跡”という形を持つ──あの日の最前列の鼓動が、いま再び同じ歌に重なっていく──






