2025年11月〜2026年1月にかけて、東京都は都内の観光関連の事業者・団体などを対象に「江戸・東京の魅力を活用した観光周遊モニターツアー」を実施している。 国内外の旅行者の誘致を目的とする東京都の観光周遊促進事業の一環で、江戸・東京の歴史・文化を活用し、隠れた名所などを巡る新たな観光モデルコースが作成される本ツアー。「浅草と屋形船で江戸文化体験三昧」コースなど、今年度は3種類のモニターツアーが用意された。

今回は11月26日に開催された『日野で新選組を体感』コースのツアーに参加したもようをレポートする。

“新選組のふるさと”日野が初のモデルコースに

江戸・東京の歴史や文化を観光資源として着目し、情報発信を行っている東京都。今回のモニターツアーは、民間事業者の江戸・東京の魅力を活用したツアー造成の促進や旅行者の誘致を目的に実施されている。

本ツアーのモデルコースは3種類。実際回数は各コース3回ずつの計9回で、参加者は主に、募集型旅行商品を造成販売している旅行社や、日帰り着地型・オプショナルツアー運営会社など、都内の観光関連事業者だ。参加者へのアンケートやヒアリングにより、ツアー内容のブラッシュアップなどを図る。

今年初めて設けられた「日野で新選組を体感」コースは、日野市を舞台に新選組ゆかりの地を4時間ほどかけて巡るという内容だ。最初に高幡不動尊を参拝し、土方歳三資料館、新選組の故郷歴史館を経由して日野宿本陣へ。その後、井上源三郎資料館の道場で新選組が学んだ剣術・天然理心流を体験する。

江戸時代、甲州街道の宿場だった日野。名主・佐藤彦五郎が開いた剣術道場には近藤勇、土方歳三、沖田総司、井上源三郎といった後の新選組の隊士たちが集い、“新選組のふるさと”として全国に知られる。

都心からのアクセスは約30分。京王線・高幡不動駅に集合した一行は、さっそく「新選組だんだら」を羽織り、駅から徒歩5分の高幡不動尊金剛寺へと向かった。

高幡不動尊は京都智積院を総本山とする関東屈指の古刹で、関東三大不動尊に数えられる。新選組副長・土方歳三の菩提寺でもあり、歳三も子ども時代によくお参りに来たそうだ。

仁王門から入って正面に見える、不動明王が安置された不動堂は東京都随一の古文化財建造物。1100余年前、山中に建立されたそうだが1335年の大風で倒壊し、1342年に現在地の山の麓に移建されたという。

不動堂の裏手にある奥殿には、1000年ぶりの修復作業を終えた丈六不動三尊像(高さ1丈6尺、4.8メートル)が安置されている。総重量1100キロを超える巨像で古来日本一と伝えられた重要文化財だ。

新選組ファンの聖地・土方歳三資料館へ

さらに境内の奥へ進むと、高幡不動尊の本堂である大日堂だ。江戸中期、墨絵の裸龍が描かれた外陣天井があり、この龍の下で手を打つとその反響で妙音を発することから「鳴り龍天井」と呼ばれ、鳴り龍が成り龍の意に転じて願い事が叶うと伝えられる。歳三をはじめ新選組関係者の位牌もこの堂内に置かれている。

また、境内には新選組を讃えた殉節両雄之碑や土方歳三の像も。殉節両雄之碑は新選組局長・近藤勇と副長・土方歳三の顕彰碑。両氏の賊名をはらし、忠勇義烈を讃える顕彰碑であったためか、当初は建立が延引していたそうだが、明治21年(1888年)に完成している。

高幡不動尊の参拝後はバスで「土方歳三資料館」へ。歳三の生家をリニューアルし、2005年春に開館した資料館で、言わずと知れた新選組ファンの聖地だ。現在は歳三の兄から数えて六代目の土方愛(めぐみ)氏が館長を務める。

庭先には柘榴の木や庭石、歳三が京都へ発つときに手を合わせたという稲荷社が当時のまま残される。矢竹は10代の歳三が武道を志した際に手植えしたものだそうで、植えられてから170年以上が経つ今も元気に繁茂していた。

資料館の入り口の梁は旧家屋・歳三の生家の大黒柱。少年時代の歳三はこの柱で相撲の稽古をしたと伝えられる。館内では土方家が製造していた家伝薬「石田散薬」の道具や武具など歳三ゆかりの品々、写真や手紙などを展示する。

展示物の中には、司馬遼太郎の「燃えよ剣」にも登場する歳三直筆の自作の句集もあり、また、ツアー当日は幸運にも歳三の最後の愛刀「和泉守兼定」の実物も展示されていた。新選組を支援した会津藩主・松平容保公から下賜された一振りで、刀装具などもすべて当時のまま。下げ緒の色落ちや柄糸の摩耗、鞘の凹んだ傷などが当時の戦いの激しさを伝える。会津藩のお抱え刀工だった11代兼定による作刀で、刀身・拵共に日野市の有形指定文化財だ。

「土方歳三資料館」では「和泉守兼定」を春・秋の年2回の期間限定で公開しており、期間中は新選組ファンや刀剣ファンが国内外から多く訪れる。なお、同館は私設資料館のため月2〜3日程度の臨時開館となっている。

新選組の支柱となった剣術「天然理心流」に体験入門

新選組には漫画・アニメ、ゲームなどを入り口とするファンも多く、5月の「ひの新選組まつり」に合わせて漫画・アニメの企画展を行うなど、日野市はそうしたコンテンツとのコラボも盛んなようだ。

新選組の資料などを展示している新選組ふるさと歴史館の常設展示「新選組・新徴組と日野」では主に文献史料を中心にした展示で、新選組の誕生から終焉までの歴史を紹介する。模造刀と羽織を着て新選組屯所・旧前川邸の写真などを背景にした記念撮影も人気だという。

甲州街道5番目の宿場町として1605年に開かれた日野宿は、1871年の廃藩置県で神奈川県に組み込まれたが、1878年に多摩郡(三多摩)が分割され、日野宿は南多摩郡に属した。初代南多摩郡長は歳三の義兄・従兄の佐藤俊正(彦五郎)で、その後1893年に三多摩(北・南・西多摩)が東京府に編入して日野町となり、1963年に市政が施行されている。

「日野宿本陣」は都内に唯一残る江戸時代に建てられた本陣建築だ。「本陣」とは参勤交代の際などに大名などが泊まった、幕府や藩の用務といった公用で利用された宿舎のこと。現在の建物は1849年正月の大火で焼失した主屋にかわるものとして、幕末に日野宿の問屋と日野本郷名主を務めていた佐藤彦五郎によって建てられた。

佐藤家の祖は美濃の戦国大名・斎藤道三の家臣と伝えられ、「日野宿本陣」は1864年12月から使用された建物で、天然理心流の免許皆伝でもあった彦五郎の道場も、ここに開かれている。

上洛する徳川14代将軍家茂の警護のために近藤勇らが新選組の前身となる浪士組として京都へ向かったのは、この建物が完成する前年の1863年だが、完成した道場には多くの新選組隊士が訪れるようになった。

10畳の玄関の間は歳三がよく昼寝をした部屋らしく、司馬遼太郎は『燃えよ剣』の執筆のため3回も取材に訪れているという。

本ツアーの最後に見学したのは「井上源三郎資料館」。新選組六番隊隊長として活躍した井上源三郎の兄で井上家当主の松五郎は多くの記録を残しており、「井上源三郎資料館」は2004年に多数の資料が発見された土蔵を改装した資料館だ。近藤勇が松五郎に贈った名刀「大和守源秀国」などを展示する。同館の開館日は日曜(不定期)で、2階は源三郎の代から5代目の井上館長が師範を務める天然理心流の道場となっている。

近藤勇や土方歳三、沖田総司や井上源三郎らが学び、新選組の精神的・技術的な礎となった天然理心流。井上館長と増渕師範による5本の型の演武が披露され、体験入門では剣の持ち方や礼の仕方にはじまり、沖田総司が得意としていた平正眼の構えなども伝授された。

ベッドタウンのイメージも強い日野。関東在住者でも馴染みの薄い人が少なくないだろうが、その歴史観光的な魅力も含めて、さまざまなポテンシャルを感じさせるエリアだった。