勝ち頭になることも…?年間10勝以上を記録したリリーフ投手6人。異…

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 プロ野球において、リリーフ投手は「勝利の方程式」を担う重要な存在であり、成績上の勝敗は付きにくいポジションだ。しかし、近年では珍しいケースであるが、彼らが2桁勝利を挙げることもある。今回は、リリーフとしてチームに貢献し、先発投手顔負けの勝ち星を積み上げた剛腕たちを紹介する。(文・シモ)

佐々木主浩

投打:右投右打

身長/体重:190cm/98kg

生年月日:1968年2月22日

経歴:東北高 - 東北福祉大

ドラフト:1989年ドラフト1位

 

 150キロを超える速球と落差のあるフォークが特徴のハマの大魔神・佐々木主浩。1995年から、32セーブ、25セーブ、38セーブ、45セーブと4年連続でリーグ最多セーブに輝いた。

 

 この成績から、「佐々木といえば最多セーブ」のイメージが強いだろう。しかし、横浜DeNAベイスターズの前身・横浜大洋ホエールズ時代の1992年には、抑えとして12個の勝ち星を重ねている。

 

 

 当時の抑えは「1回限定」の登板ではなく、場合によっては同点の場面から2回、3回と登板してそのまま勝ちを呼び込むシチュエーションが幾度かあった。

 

 そのため、重要な場面で投げる佐々木に多くの勝ちが付いたのである。とはいえ、抑えで12個もの勝ち星を挙げているのは、目を見張るものがある。

 

 1992年の登板数に目を向けると、シーズン131試合で佐々木が登板した試合は53試合。投球回数は、87回3/2である。

 

 当時のリーグ規定投球回数は、130イニング。そのうちの約7割を、佐々木が抑えとして投げた計算になる。

 

 ちなみに、当時の横浜には抑えの佐々木の前に中継ぎエース・盛田幸妃が君臨。同年の盛田も、中継ぎだけで14勝を挙げている。

 

 佐々木の12勝と併せると、1992年の横浜の勝利数・61勝のうちの約4割を2人で稼いでしまったのだから、驚くべきことである。

篠原貴行

投打:左投左打

身長/体重:178cm/80kg

生年月日:1976年9月7日

経歴:沖学園高 - 三菱重工長崎

ドラフト:1997年ドラフト2位

 

 福岡ダイエーホークス(現:ソフトバンクホークス)の篠原貴行は、1999年に中継ぎ登板のみで14勝を挙げた投手である。

 

 キレのある速球とスライダーを武器に、プロ1年目の1998年から51試合に登板。だが、同年は2勝4敗3セーブ、防御率4.53と安定感を欠いていた。

 

 

 しかし、転機はすぐに訪れる。

 

 プロ2年目の1999年に、抑えのロドニー・ペドラザの前を投げるセットアッパーを任されるようになり、ダイエー黄金期の勝ちパターンの一役を担ったのである。

 

 結果、同年は60試合の登板で14勝1敗、防御率1.25の成績を残し、ダイエーの福岡移籍後初のリーグ優勝に貢献した。

 

 なんといっても、中継ぎ登板のみで14連勝をマークし、.933という驚異の勝率を達成したのは特筆すべき点であろう。

 

 優勝を決めたあとの消化試合で勝率10割を逃したものの、篠原が投げれば負けないという「不敗神話」が当時のチームの支えになったのは間違いない。

 

 篠原は、中日ドラゴンズとの日本シリーズにも、第3戦、第4戦、第5戦の勝ち試合に登板。無失点で抑え、シリーズ制覇に貢献している。

 

 日本シリーズでも、篠原の不敗神話は続いたのである。

山口鉄也

投打:左投左打

身長/体重:184cm/88kg

生年月日:1983年11月11日

経歴:横浜商 - 米マイナー

ドラフト:2005年育成選手ドラフト1巡目

 

 山口鉄也は、読売ジャイアンツ史上初の中継ぎ投手として10勝以上を挙げ、最優秀新人賞を獲得した投手である。

 

 米マイナーリーグを経て、巨人に入団という異例の経歴をもつ山口。プロ2年目の2007年に支配下登録され、一軍デビューした。

 

 

 スリークオーター気味の投球フォームから繰り出される140キロ台後半のストレートとツーシーム、スライダーなどを武器に同年は32試合に登板。2勝0敗4ホールド、防御率3.91の成績を挙げる。

 

 翌2008年には中継ぎとして開幕一軍入りを果たし、調子の上がらない先発陣に代わってブルペンを支えた。

 

 結果、同年は67試合に登板して11勝2敗23ホールド、防御率2.32の成績を挙げ、最優秀新人賞を獲得した。

 

 この年の巨人は、阪神タイガースとの13ゲーム差をひっくり返して優勝するのだが、当時の監督・原辰徳から絶対的な信頼感を得ていたことは登板数からも明らかだ。

 

 驚きなのは、2008年の全144試合中、ほぼ半数の67試合に山口が登板している事実だ。

 

 そして、この年から引退前年の2016年まで9年連続60試合登板のプロ野球新記録を樹立。山口の鉄腕ぶりとチームへの貢献度は、巨人ファンならずともプロ野球ファンの心に長く刻まれているだろう。

赤堀元之

投打:右投右打

身長/体重:182cm/83kg

生年月日:1970年4月7日

経歴:静岡高

ドラフト:1988年ドラフト4位

 

 近鉄バッファローズ(現:オリックス・バファローズ)の赤堀元之は、抑えとして2度の10勝以上を経験している。

 

 150キロに近い直球と縦・横の2種類に曲がる切れ味の良いスライダー、シュートを武器に5度の最優秀救援投手に輝いた赤堀。

 

 

 プロ2年目に中継ぎとして21試合に登板し、4勝0敗1セーブ、防御率2.98の成績を残すと、プロ3年目からは抑えを任されるようになる。

 

 プロ4年目の1992年には、50試合の登板で11勝4敗22セーブ、防御率1.80の成績で最優秀救援と最優秀防御率のタイトルを獲得し、抑えの地位を確立したのである。

 

 赤堀は、シーズン終盤の10月5日と11日のダイエー戦に先発で2試合に登板し、1試合は9回122球を投げて完封勝利。1試合は6回までに81球を投げ、規定投球回数の130イニングを達成したのである。

 

 これには、残り15回を投げれば規定投球回数の130に達することを知っていた当時の監督・仰木彬の配慮もあっただろう。

 

 しかし、シーズン中に抑えとして厳しい状況で投げ続け、シーズン終盤には先発としても答えを出してしまう赤堀の投手としての能力には、舌を巻くばかりである。

 

 赤堀は、プロ9年目の1997年にも、57試合の登板で10勝7敗23セーブ、防御率3.05の成績を挙げている。ちなみに、この年は抑えのみで97回1/3を投げての10勝である。

 

 時には、8回から12回までを一人で投げきってしまう起用法にも応え続けた赤堀。赤堀のような抑えのスタイルは、近年のプロ野球では希少なものだろう。

浅尾拓也

投打:右投右打

身長/体重:182cm/78kg

生年月日:1984年10月22日

経歴:常滑北高 - 日本福祉大

ドラフト:2006年大学生・社会人ドラフト3巡目

 

 中日ドラゴンズの浅尾拓也は、2010年に中継ぎだけで12勝を挙げた。

 

 ピンチの場面にも動じず真っ向勝負で投げ込む姿、躍動感あふれるフォーム、軽快なフィールディングが美しかった浅尾。

 

 

 細身の身体から繰り出される平均140キロ台後半の直球を軸として、140キロ前後の高速フォーク、縦に曲がるスライダー、120キロ台のパームを武器に並みいる強打者を抑えてきた。

 

 入団後は先発や中継ぎを経験するも、プロ入り4年目の2009年途中から中継ぎ一本で起用される。同年は67試合に登板して37ホールドポイント(7勝9敗6セーブ、33ホールド)、防御率3.49の成績を挙げる。

 

 そして、プロ5年目の翌2010年には、シーズンを通して中継ぎとして登板。同年は72試合の登板で12勝3敗1セーブ、47ホールド、防御率1.68の成績を挙げて、中日の絶対的な中継ぎとしての地位を確立した。

 

 ちなみに同年の59ホールドポイントは、現在も破られていない日本新記録である。当時の監督・落合博満には、抑えの岩瀬仁紀とともに絶大な信頼を寄せられていた。

 

 落合博満時代の2009年から2011年の3年間で、浅尾の登板試合は218試合であった。その数字からも、浅尾の貢献度がわかるだろう。

島内颯太郎

投打:右投右打

身長/体重:180cm/86kg

生年月日:1996年10月14日

経歴:光陵高 - 九州共立大

ドラフト:2018年ドラフト2位

 

 広島東洋カープの島内颯太郎は、昨季に中継ぎで11勝を挙げている。

 

 緊迫した場面で登板し、最速150キロ超の伸びのある直球とチェンジアップで打者を打ち取る姿が印象的な島内。

 

 

 プロ1年目から中継ぎとして登板し、プロ5年目には62試合の登板で42ホールドポイント(3勝3敗39ホールド)を挙げ、球団初の最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した。

 

 そして、昨季は58試合の中継ぎ登板で11勝6敗24ホールド、防御率2.77をマーク。近年では稀な「中継ぎだけで10勝以上した投手」となり、同年は先発の床田寛樹とともに、チームの勝ち頭となった。

 

 救援投手の勝ち頭は、チームとしては炎のストッパー・津田恒実が1989年に記録して以来、35年ぶりの記録としても話題になった。

 

 ちなみに当時の津田の成績は、51試合の登板で12勝5敗28セーブ、防御率1.63。この年は先発投手の川口和久も津田と同じ12勝を挙げているのだが、先発と救援投手の成績が同じなのも35年ぶりということになる。

 

 偶然とはいえ、この共通点は大変興味深いものだ。

 

 

【了】