1988年10月にテレビアニメ『それいけ!アンパンマン』(日本テレビ系)の放送がスタートした当時からアンパンマンの声優を務めている戸田恵子が、『アンパンマン』の原作者・やなせたかしさんと妻・暢さん夫婦をモデルにした連続テレビ小説『あんぱん』(NHK総合 毎週月~土曜8:00~ほか ※土曜は1週間の振り返り)に高知出身の代議士・薪鉄子役で出演している。やなせさんと親交が深かった戸田にインタビューし、やなせさんへの思いや大切な思い出を聞いた。
112作目の朝ドラとなる『あんぱん』は、やなせさん夫婦をモデルに、何者でもなかった2人があらゆる荒波を乗り越え、“逆転しない正義”を体現した『アンパンマン』にたどり着くまでを描く愛と勇気の物語。小松暢さんがモデルのヒロイン・朝田のぶ役を今田美桜、やなせたかしさんがモデルの柳井嵩を北村匠海が演じ、脚本は中園ミホ氏が手掛けている。
やなせさんを“人生の師”と慕ってきた戸田。思い出話になると、「どうしたって一番最後にお会いした時のことになってしまうんですけど」と切り出し、やなせさんが亡くなる半年前の2013年4月に「神戸アンパンマンこどもミュージアム&モール」のオープニングセレモニーに一緒に出席した時のエピソードを明かした。
「先生はもう目も見えなくなっていて、足もおぼつかなくて杖をついていて、耳も遠くて聞こえなくて、満身創痍で神戸に乗り込んで」
そんな状態の中、やなせさんは舞台袖で杖を置いて出ていきたいと戸田に伝えた。
「私なりの解釈としては、お子さんやみんなの前に出ていくのに、杖をついて出ていきたくないと思ったのだと思います。いいところを見せようと。その時できることを精一杯やるという気持ちが先生にはあるので」
戸田は「わかりました、私がかっこよくエスコートします」と言い、2人でステージへ。やなせさんは耳が遠いため、「MCの人がテープカットの合図をしたら僕の肩を叩いてください」と事前にお願いしていたそうで、そんなやなせさんの姿から、「自分にできるマックスをやる」ということを学んだという。
「段取りをきちんとしてイベントに臨んだことがすごいなと。この話をすると泣けてくるんですけど、先生の尽くすという精神を最後の最後に見せてもらったことが一番印象に残っています。自分にできることがあるなら、それをマックスでやるということを身をもって教えていただきました」
やなせさんが亡くなり「アンパンマンできないなと思うほど大きな喪失感が…」
2013年10月13日にやなせさんが亡くなった際には大きな喪失感に襲われたと、戸田は振り返る。
「親が亡くなるとも違う、とてつもない喪失感がありまして。師としてずっと尊敬して仰いできた先生が、もう今日からいないんだと思ったら、やる気をなくしたというか、アンパンマンできないなと思うほど大きな喪失感がありました」
アンパンマン声優卒業を考え、スタッフにも「できないかもしれない」と伝えたという。
「周りのみんなが淡々と受け入れていて大人だなと。やり続けなきゃいけないという気持ちが周りの人にはあって、私だけだだっ子みたいなことになってしまって。その年いっぱいぐらいは喪失感が大きかったです」
だが、2014年の正月に「仙台アンパンマンこどもミュージアム&モール」を訪れた際、子供たちの姿を見て、アンパンマン声優を続けていくことを心に決めた。
「東日本大震災以降、ボランティアで毎年お正月に仙台に行っていて。子供たちは誰が悲しんでいるとか関係なく、アンパンマンが出てきたら『アンパンマン!』って突進してくるんです。それを目の当たりにした時に目が覚めて、落ち込んでいたらいけないなと気づかされました」
戸田はやなせさんを大きな傘に例える。
「やなせ先生はとっても大きな傘で、その中にふわふわと自分はいたんだなと。すごく頼りにしていた存在だった傘がしぼまってしまいましたが、その代わりにみんなで小さな傘を開いて、その傘をつないで大きな傘にできるように、みんなで精一杯やっていくしかないなと思い、それ以降はやらせていただいています」
