テレビ画面を注視していたかどうかが分かる視聴データを独自に取得・分析するREVISIOでは、13日に放送されたNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(総合 毎週日曜20:00~ ほか)の第27話「願わくば花の下にて春死なん」の視聴分析をまとめた。
氷のように冷たい治済の表情「面白くないのう」
最も注目されたのは20時01分で、注目度72.5%。松前道廣(えなりかずき)から面白くない話を聞かされた一橋治済(生田斗真)が、静かに怒りをたぎらせるシーンだ。
江戸城一橋門内にある治済の屋敷には、松前道廣・廣年(ひょうろくさん)兄弟が詰めかけていた。島津藩当主・島津重豪(田中幸太朗)も同席している。道廣の用件はただひとつ。幕府が蝦夷を召し上げようとしているのを、治済の力で阻止してもらうよう懇願に来たのだ。
しかし、治済にとって蝦夷地上知の話は初耳であった。幕府側も慎重に事を進めているのだろう。「田沼が蝦夷の上知を企んでおるようで」重豪が言った。その言葉に治済の顔が歪む。さらに重豪は、工藤平助(おかやまはじめ)の著した『赤蝦夷風説考』の写しを献上し、そこに蝦夷を松前から上知して幕府の金蔵とすることが記されていると付け加えた。
先日の桜の宴に田沼父子が来たことも無関係ではないと続ける重豪をよそに、治済は「面白くないのう。はあ…わしは桜が好きであるのに心より楽しめぬようになってしまったではないか」と力なくつぶやいた。しかし、治済の表情は氷のように冷たく、腹の底では怒りを煮えたぎらせているのが分かる。田沼派への反撃が今始まろうとしていた。
べらぼう悪のツートップの絡みに「くぎづけ」
注目された理由は、一橋治済と松前道廣というべらぼう悪のツートップの絡みに、視聴者の視線が「くぎづけ」となったと考えられる。
田沼一派が極秘に進めていた蝦夷を上知する計画が、ネクロマンサー・治済の知るところとなってしまった。治済は作中では、田安治察(入江甚儀)、徳川家基(奥智哉)、松平武元(石坂浩二)の死の黒幕であるとほのめかされているが、この件によりまた新たな犠牲者が生まれてしまいそうだ。SNSでは「意次の蝦夷上知の狙いを知ってからの一橋治済の動きのまぁ早いこと!」「佐野の系図紛失した件も知ってるみたいだし、治済さまは田沼親子の身辺にもスパイ仕込んでるのかな」「史実通りなら治済さまはつまずくことがないもんな」と、人を陥れるスペシャリスト・治済のやり口に注目が集まっている。
前回、松前藩に向かった平秩東作(木村了)の協力者として登場した松前藩勘定奉行・湊源左衛門(信太昌之)が何者かに鉄砲で撃たれたが、まず治済の手の者と考えてよいだろう。源左衛門は松前藩で目付を経て勘定奉行を務めた人物で、意次の腹心の一人・土山宗次郎(栁俊太郎)とも交流があった。史実では1785(天明5)年、幕府が北方探検隊を蝦夷地へ派遣した際、源左衛門が相談役に抜てきされているので、もしかすると一命を取り留めたのかも知れない。
上知とは幕府が大名や旗本の領地を没収し、天領として編入すること。対象となった大名や旗本は、その土地の支配権や収入源を失うことになり、代わりに別の場所へ領地を移されることになる。これは、長年築き上げてきた領地との結びつきや、そこでの収入などをすべて失うことを意味するので、大名としては何としてでも避けたい処分だ。
作中でも語られていた、1764(明和元)年に秋田藩から阿仁銅山と周辺村1万石を上知しようとした件でも秋田藩は猛烈に反対し、1カ月後には撤回された。一方、1769(明和6)年には長崎奉行・石谷清昌の進言で尼崎藩領・西宮周辺の24の町と村が上知されている。豊かな地域が召し上げられ、やはり尼崎藩の財施も脆弱化したようだ。