2番目に注目されたのは20時27分で、注目度76.4%。捨吉(染谷将太)の壮絶な過去が明かされるシーンだ。
捨吉によると、母親(向里祐香)は夜鷹と呼ばれる下級遊女で、身籠もった捨吉を何度も堕ろそうとしたが、堕胎はならずに捨吉が生まれた。そんな母親だったので、捨吉は蔑まれながら生きてきたが、なんと7歳で男に売られた。ひどい扱いであったが、金を稼ぐと機嫌が良くなる母親を見て、捨吉はうれしく思ったと言う。母親にはヤスという情夫がいた。向こう傷の男(高木勝也)だ。捨吉はヤスから日常的に捨吉に暴力をふるわれていた。
そんなある日、捨吉は1人の老人と出会う。その老人こそ妖怪画の第一人者・鳥山石燕(片岡鶴太郎)だった。石燕は捨吉と過ごすうちに、捨吉が持つ絵の才覚を見抜いた。石燕からちゃんと絵を学んでみないかと誘われた捨吉は、母に絵を学びたいと話すと激しく折檻を受けた。
そして「明和の大火」が起こる。猛火の中、崩れた家の下敷きとなった母親に足首をつかまれた捨吉は、母の手を振り払いその場から逃げ出した。蔦重と出会ったのはその直後である。その後の蔦重と過ごす時間は、捨吉にとって幸せそのものだった。しかしそこにヤスが現れた。ヤスに脅され、蔦重を裏切った捨吉はヤスと心中するつもりで川に飛び込んだが、またもや死ねなかった。自責の念にさいなまれる捨吉は、自分を傷つける生活を送ることでこれまで生き延びてきたのだ。
「唐丸の笑顔の裏にこんな重い過去を…」
このシーンは、捨吉のつら過ぎる過去に視聴者の関心が集まったと考えられる。
捨吉は吉原で過ごしていた頃、記憶喪失を装っていたが、その過去は記憶を消したくなるほどに過酷なものだった。実の母親から身体を売るよう強制され、その母親を火事場で見殺しにし、執ようにつきまとうヤスの命を奪った捨吉は、自分が生きる価値のない人間だと考えている。いつ死んでもいいと思っていた捨吉に、「俺のために生きてくれ」と蔦重は懇願し、捨吉は歌麿として生きていくことを決意した。
SNSでは、「捨吉の母親が怖すぎる…」「捨吉と喜三ニ先生の場面のギャップが大きすぎる」「あの唐丸の笑顔の裏にこんな重い過去を秘めていたなんてつらすぎる」と、捨吉の衝撃的な過去が話題を集めた。ちなみに母の日にこのような毒親のエピソードを放送するNHKのトガりようにも話題が集まっている。
今回、捨吉はふじ(飯島直子)の尽力により勇助という人別を手に入れることができた。史実でも、幼いころの苗字は北川、名は市太郎だったが、のちに勇助と改めている。また、絵師としては北川豊章という号で当初は活動していたが、蔦屋重三郎に見いだされ、蔦屋の本姓である喜多川を名乗るようになった。
また、5年前ヤスが捨吉をゆすっていたネタは母親を見殺しにしたことであると判明した。現代の感覚では母親を見捨てた捨吉の行為は脅しのネタとして成立するのか疑問に感じるが、救助する能力があったにもかかわらず、積極的な救助活動を行わなかったという点で「不作為」という罪に該当すると推察される。
江戸時代の基本法典である「公事方御定書」では、現代の刑法よりも多くの不作為犯に関する規定が存在した。そちらによると、子ども・召使・弟子は、親・主人・師匠が生命の危機に瀕した場合、救助する義務を負い、その義務を怠ると重い刑罰が科せられたのだ。特に親子関係においては、死刑が適用された。江戸町奉行の記録には、火災に遭った親を救助できなかった子どもが打ち首になった事例が記されているので、捨吉が死刑に処される可能性は十分にあったと考えられる。