香取慎吾主演のドラマ『日本一の最低男 ※私の家族はニセモノだった』(フジテレビ系、毎週木曜22:00~ ※FODで見逃し配信)の第3話が、きょう23日に放送される。

今作は、ある不祥事で退社に追い込まれてしまった元報道番組のプロデューサー・一平(香取)が、再起を図るため政治家を目指し、その戦略として亡くなった妹の夫と子どもたちと同居し、ニセモノの家族=“ホームドラマ”を演じることを決意する…という物語。

すでにおいっ子との距離は縮まっており計画通り“ホームドラマ”は順調に進んでいるのだが、今回は主人公の裏の顔を見抜いている(?)めいっ子の複雑な思いを解いていくことになる――。

  • 香取慎吾=『日本一の最低男』第3話より (C)フジテレビ

    香取慎吾=『日本一の最低男』第3話より (C)フジテレビ

“最低”を“無責任”に変換すると…

まずタイトルへの“疑義”について考えてみたい。今作が語られる上で最も代表的なものと言えば、主人公・一平(香取慎吾)が「実はいい人なのでは?」という“最低男”に対する疑問だろう。

確かにこれまでを振り返ってみても、一平は政治家を目指すための戦略があるとはいえ、初回ではおいっ子の朝陽(千葉惣二朗)のために奔走し、前回も同性カップルと向き合って2人の結婚式を成功させるなど、どれも結果的にはハッピーエンドで、タイトルの“最低男”とは真逆の結果をもたらしている。

それらのハッピーエンドの過程においても、政治家になるための思惑ばかりが見え隠れする作為的な姿であればタイトル通りの“最低男”と言ってもいいだろう。しかし一平は、不純な動機で関わりを持ちながらも、その瞬間から自らの“本気”が気付かぬうちに作動し、失敗や傷つけてしまうことがあっても、その“本気”は紛れもなく“真摯(しんし)な姿”であり、それがまた“最低男”ではないという証明にもなってしまっている。

しかしだ。初回では大団円を迎えたラストだったはずなのに「ホームドラマを演じて見せる」と根っこの部分では何も心変わりしていない様を見せ、前回はあれだけ真剣に向き合ったはずの同性カップルを獲得できる“票”としては少ないとあっさり切り捨ててみせた。それはつまり、市井の“人”としては最低ではないのかもしれないが、こと“政治家(志望)”として見た場合、入り口が不純であったり、その結果がどうであれ私的に吟味してしまう姿は、“最低”というレッテルを貼られてもおかしくないということだろう。“最低”と謳いながらもそうではない?…けれど実は“最低”という、そんな複雑な深読みが、このタイトルだけでもできてしまうのだ。

とはいえ、それではやはり複雑で分かりにくく、この深読みも正解とは限らない。そこで、もっとわかりやすい形に捉え直してみたい。それは“最低”を“無責任”に変換することだ。おそらく本タイトルは植木等が演じた“無責任男”のオマージュにもなっているので、きっとこの変換は大きく外れてはいないだろう。

これまでのハッピーエンドはなぜもたらされたのか? それは、一平の本質によるものが大きいのはもちろんなのだが、彼がこれまでの家族や同性カップルの当事者ではない=“無責任”だったことも大きいだろう。“無責任”だからこそ最初の一歩が迅速で、“無責任”だからこそ大胆に行動することができた。それが奇跡のように好転し、ハッピーエンドをもたらしていったのだ。

  • (C)フジテレビ

心の内に根深いものが潜むめいっ子・ひまり

さて今回の第3話は、めいっ子・ひまり(増田梨沙)の心が解きほぐされていく。

朝陽はまだ幼く正助(志尊淳)の実の子ということや、一平と似ているという部分からも打ち解けるまでに時間はかからなかったのだが、ひまりは正助と血のつながりがなく、一平の裏の顔に気付いている様子もあり、その心の内はかなり根深いものが潜んでいそうだ。

そんなひまりに、これまで通り“無責任”な一平と、今回はそれと対比するように父であるという“責任”を背負った正助が対峙(たいじ)していく。一平は“無責任”だからこそ大胆に、一方の正助は“責任”あるがゆえに慎重に、ひまりと関わっていくのだが、果たしてその先にハッピーエンドは待ち受けているのだろうか?

そしてこの第3話には、昨年12月に亡くなった中山美穂さんの最後の出演シーンも。保育園の園長・園田美奈子役として、保育士の正助に上司らしくキリッと話しかけている。

  • (C)フジテレビ